「おう哲、準備できたのか……ってなんだそりゃ」
夏が過ぎ、青道高校にも文化祭シーズンがやってきた。野球部の3年生は任意参加団体として、文化祭ではお化け屋敷をやることを予定している。
お化け屋敷、とは言っても、お化けの格好をした人間が、暗闇の中で驚かせるという、至極単純なものだ。参加するメンバーは全員自分でお化けの格好を用意することになり、入り口で受付を担当する亮介以外は、思い思いのお化けの衣装を用意していた。
本日はその衣装チェックを予定しており、先ほどの純の言葉は、「哲なりのお化け」をみたときに発せられた言葉である。
「見れば分かるだろう。落ち武者だ」
「見ても分かんねーよ!」
哲の格好は、単純に袴の和装だ。せいぜいが浪人で、どう考えても落ち武者ではないだろう。
「お前こそ普段着のままじゃないか」
純を上から下まで眺めた哲に、純はにやりと笑って、手に持った袋を差し出す。
「何だこれは?」
「これからやるんだよ。俺のは一人じゃ着れねーから、お前に手伝ってもらおうと思ってよ」
失敗だった。人選を間違えた。純がそう後悔するまで、時間はかからなかった。
純が仮装に選んだのは、「ミイラ」である。運動部にはどうせ山ほど包帯はあるし、全身に包帯を巻くだけならたやすいと思ったのだ。
しかし、哲が包帯を動かせば動かすほど、純の状態は「惨事」としか言いようがなくなっていった。
「哲!! それじゃ動けねぇよ!! 腕ごと巻くな!!」
「しかし、実際のミイラの包帯はこう巻かれていただろう」
人の話を聞かない哲の手によって、ぐるぐる巻きにされた上半身は、既に全く身動きがとれない。
途中で抵抗したはずなのに、何故結果がこうなっているのかと言えば、純が戸惑っている間に勝負は決していたとでもいうべきか。
「おい、コラ、哲!! 俺の話をききやがれ!!」
「聞いている。ちゃんとミイラらしくなってきただろう」
「いや、ミイラにはなってきてるけどな!」
そもそも、元々っはお化け屋敷で脅かす役の為の仮装なのだ。普通なら、腕と体は別々に包帯を巻いて、動けるように作るのが常識だろう。博物館に飾ってあるような明らかに身動きのできないミイラを作ってどうしようと言うのだ。
「少し暑くなってきたな」
哲が額の汗を拭い、着物の上半身を脱ぎ捨てる。
そしてふと思いついたように、純の下半身に目を向けた。
「純」
「あんだよ」
大量の包帯を巻いた哲もそれは疲れているだろうが、純とて疲れている。精神的に。
しかし哲の次の言葉は、さらに純の精神にダメージを与えるには十分な破壊力だった。
「ジャージを脱がすぞ」
「え……んなあああああ!? 何言い出してんだお前!?」
「いや、上半身を巻いていたときに思ったんだが、服の上からだときちんと包帯が巻けない。どうせなら服を脱いでから巻いた方がいい」
「り、理屈は分かるんだけどよ、でもちょっと、ってゴルァァァァ!! 人の話聞けってば!!」
純が承諾する前に、哲が純のジャージを引きずりおろす。
「トランクスか。これも脱がしたほうが良さそうだな」
「まっ、待て!! 待て、哲!!」
上半身が包帯で完全に拘束されているため、止めようにもろくな抵抗ができない。
じりじりと後退したが、脚に脱ぎかけのジャージが絡まり、ろくに動けないうちにトランクスも引きずりおろされた。
「大丈夫だ、きちんと包帯を巻く」
「そういう問題じゃっ」
するとその瞬間、突然教室の扉が勢いよく開け放たれた。
「哲さん純さん! 今日お化け屋敷のコスプレの衣装あわせって言ってた……」
「く、倉持っ!?」
笑顔で扉を開けた倉持が、途中でフリーズする。ついでに場の空気も一緒に凍り付いた。
凍り付いた笑顔のまま、倉持の視線が、上半身裸の哲を見、完全に拘束状態の純の上半身に動き、そして丸だしの下半身までいって止まる。
「しっ、失礼しました!!」
驚異的な早さで倉持がきびすを返し、教室のドアを閉めた。
「倉持、待て!! 待ってくれ!!」
「どうしたんだ倉持は、変な奴だな」
「変じゃねぇよ!!」
倉持が何を考えて扉を閉めたかなんて、考える間でもない。
「ごっ誤解だあああああああ!!」
純の嘆きは、そのまま秋の空へと吸い込まれ、全力疾走で撤退していた倉持の耳には届かなかった。
2010.07.11 脱稿