「れ? キャプテン?」
昼休み、忘れ物をとりに沢村が部室に行くと、結城がたった一人で部室の机に座っていた。
「沢村か」
「何やってるん……あ」
ひょいと結城の手元を覗き込めば、机に折りたたみ式のマグネット将棋盤が置かれている。
合宿で将棋に付き合わされたことを思い出し、何故か沢村は感心した。
「キャプテン、将棋好きっすねぇ」
「まぁな。丁度いい、付き合わないか」
「ええ!? 俺まだ昼飯食ってないんすけど」
行った途端に、結城が足元の荷物をごそごそと漁り、沢村の前に焼きそばパンやらメンチカツパンやらをぽいぽいと投げて寄越す。
「それでも食え」
「え?」
「よろしくお願いします」
いきなり頭を下げられ、沢村は慌てて結城の向かいの椅子に座った。
「よ、よろしくお願いします!」
これ食いながら相手しろ、って? って言うか付き合わないか?とか言ったって、選択肢ねーじゃん!!
内心で思い切り突っ込みを入れるが、いくら沢村とは言え、流石にそれを結城に言うことも出来ない。
でも、流石に貴重な昼休みを潰して相手するからには、もうちょっと何かいいことがあったっていいような気がする。
「あ、そうだキャプテン」
「なんだ?」
「これ終わったら、キャッチボール付き合ってくださいよ!」
「そんなに時間が余るなら、もう一勝負できるじゃないか」
「ええええ?! じゃ、じゃあ俺が勝ったらキャッチボール、キャプテンが勝ったらもう一勝負で!」
「……乗った」


結果、将棋は沢村の勝利であっさり片が着き、二人でキャッチボールになった。着替えるのも面倒で、二人とも制服のままだ。
「お前、将棋強いな」
結城のグローブが、パシッと小気味良い音を立てる。
「そうっすか?」
投げ返されたボールをグローブで受けると、こちらのグローブも良い音がした。
「結構勉強しているつもりなんだが、ああいうものは独学では中々強くならないものだな。野球なら独学でもやれるのに」
再び結城のグローブが音を立てる。
「俺、野球の勉強は一人でやってもちっとも分かりませんよー!」
ちょっと身体を伸ばしてボールを取りながらそう言うと、結城は僅かに苦笑したようだった。
「それにしてもお前は、本当に野球が好きだな。貴重な昼休みまでキャッチボールがしたいのか」
「いや、貴重な昼休みって言うか……」
貴重だから、それを将棋で潰すのもちょっともったいないなぁ、と思ったわけなのだが。
「俺、出来ないこといっぱいあるッスから。コントロールも駄目だし、それだけじゃなくてフィールディングもバッティングも全然出来ないし。今のままじゃ、本当に先輩たちの足引っ張るだけだから、ちょっとでも上手くなりたくて」
へへ、と鼻の下を指で擦ると、結城はボールを投げようとしたモーションを止め、途中で手を降ろした。
「キャプテン?」
「だったら、キャッチボールより素振りでもした方がいい」
「え、でも」
「ピッチングに関してはクリスのようには教えてやれないが、バッティングなら教えてやれる。来い」
「は、はい!!」
それから急遽、昼休みの残りの15分だけ素振りの練習になった。
結城は言うまでもなく、青道で一番実力のあるバッターだ。そんな人に、15分とは言え、1対1でバッティングを教えてもらえる。
もしかして俺ってラッキー?と思いながら、沢村は結城の指導に聞き入った。


たった15分、と思っていたその時間の効果は、あっさりとその日の練習に現れた。
それまでかすりもしなかった沢村のトスバッティングが、かするようになったのだ。
「おおお!! 当たる!!」
「当たってねぇよ、かすってるだけだろうが」
呆れた調子の倉持の突っ込みが入る。
「栄純君、でもかするのも初めて……だよね?」
春市の言葉に沢村がこくこくと頷くと、結城が歩み寄ってきた。
「沢村、教えた形から崩れてるぞ」
「え? 哲さん?」
驚いた様子の倉持を他所に、結城が沢村の手足や肘、腰に触れてフォームを修正する。
「もう一度やってみろ」
「うす!!」
言われてトスに向かって沢村がバットを振ると、今度は真芯で捉え、ボールは外野まで飛んでいった。
「お、おおおおお!! スゲー!! キャプテンて魔法使いみてー!!」
「魔法使いじゃなくて妖術使いか山伏か天狗あたりにしてくれないか」
「うす! じゃあ山伏で!!」
いいながらもう一度バットを振ると、ボールはいい音を立ててまた外野へと飛んでいく。
春市が『突っ込みたいけど、今突っ込むとキャプテンにまで突っ込むことになっちゃうしどうしよう』という顔で戸惑っていると、少し離れた場所にいた亮介が代わりに突っ込みを入れた。
「そこの馬鹿二人、周りのやる気まで削ぐようなしょうも無い会話するのやめてくんない?」


「おい沢村、さっきのアレ何だよ」
「はい?」
寮の部屋に戻った後、倉持に問いかけられ、沢村は首を傾げた。
「何でお前が哲さんにバッティング教わってんだよ、っての!!」
「何で、って何かまずかったッスか?」
「おっまえ、分かってねぇな! 哲さんにバッティング教わりたい人間、どんだけ居ると思ってんだよ!? うちの不動の4番だぜ!?」
「教わったらいいんじゃないッスか? キャプテン、聞けば教えてくれるんじゃないかと思いますけど」
「バッカヤロ、教わりたい人間が全員教わりにいったら、哲さんが自分の練習する時間なんか一切無くなるっつの! だから皆行かねぇんだよ!! なのになんでお前みたいな初心者ですらないようなレベルの奴がああああ」
倉持に首をホールドされてぎりぎりと締め上げられる。
「ぐええええ!! 将棋に付き合ったってだけですって! ギブギブっ!」
バシバシと腕を叩いてギブアップを告げると、倉持はわりとあっさりと手を離した。
「将棋だぁ?」
「昼休みに部室に行ったら、キャプテンが一人で将棋やってたんスよ。それに付き合って、その代わりに俺の野球にも付き合ってもらったんです」
呆れた様子で倉持が溜息をつく。
「ホントずうずうしいよな、お前。 今まで将棋に付き合わされてた御幸だって、んなこと言ったことねぇぞ」
「けど御幸センパイが『野球教えてください』って言ってる姿って全然想像できないんスけど」
「そりゃそうだな…… つかお前にんな的確なツッコミされるとは思わなかったぜ」
にひ、と笑うと軽いローキックを食らった。
「まあいい。とにかく、哲さんに迷惑かけるんじゃねーぞ!!」
「迷惑……っしたっかねぇ、そういうことだったんなら」
首を傾げると倉持が腕を組む。
「まあ、今日みたいに哲さんの方から教えに来てくれるんなら、周りも表立って文句は言わねぇだろうし、哲さんが構わないっつってんならいいけどよ。とにかく気をつけろよ」
「うす」
そこで倉持との会話は終わりになったが、沢村はそのまま少し考え込んだ。
倉持の言うとおりなら、本人がいいと言っても、やっぱり結構迷惑をかけてしまったことになるんでは無いだろうか。
だとしたら、何かお礼でもした方がいいだろう。
でも、何がいいだろうか。なんとなく、下手なものは受け取ってくれない気がする。
「んー……てかモノは駄目か? じゃあ何すりゃ喜んでくれるかな」
ベッドに仰向けに倒れこんで転がると、ふと自分の携帯に視線が止まった。
「そうだ!」


昼休み、結城がいつものように一人で将棋盤に向かっていると、昨日のように扉が開いた。
そして昨日と同じ人物が入ってくる。
「お前か」
「あっ、今日も居た!!」
にこにこと嬉しそうな沢村に結城は視線を上げた。
「何だ?」
「てか、今日もキャプテンは将棋なんスね。何で部室でわざわざ? 教室でもいいんじゃないスか?」
「教室でやってると、純がいつも将棋盤をひっくり返すんだ。だから大体ここでやっている」
「あー、ヒゲ先輩やりそうッスねー」
からからと笑った沢村に、本当に物怖じをしない奴だな、と結城は内心で笑った。
大抵の1年生は、レギュラーの3年に話しかけるときは、物凄く緊張した面持ちでやってくる。それこそ全く動じないのは沢村と降谷くらいのものだ。特に沢村は、人懐っこいだけにその印象が強い。
「それで、何か用か」
「そだ!! 昨日、バッティング教えてもらってありがとうございました!」
「別に礼を言われるようなことじゃない。お前のレベルが上がることは、チームのためにもなることだからな」
大体、沢村は元々バントは出来ていた。
バントが確実に出来るということは、完璧に球は見えている。打てない理由はフォームなどの根本的な基礎が全く無いことが原因だった。
ならばまずは基礎を仕込むだけでも大分変わるのは分かりきっていた。
「そんでも、お礼がしたいんスよ!」
沢村が駆け寄ってきて、結城が座っているベンチに並んで座る。
どうしたものかと少し悩んで、隣に座るやや小柄な1年生を見おろすと、相手も結城を見上げて、ニカッと満面の笑みを浮かべた。
「そんで、将棋の勉強の手伝いをしようと思うんス!」
「……将棋の?」
「はい! 俺がキャプテンに出来ることってそれくらいしかないし! それに昨日、将棋は一人じゃ勉強できないって言ってたから」
「じゃあ、将棋の相手をするということか」
それは結構嬉しい申し出だ。相手がいなくていつも困っていたのだ。
「それなんですけど、俺前に友達に教えたときに、両側から手を考えてやってたら、こんがらがっちゃったんですよね。だから、対戦しながら教えるってのが出来ないんスよ」
そう言うと、沢村は携帯電話を取り出して操作し始めた。
「で、考えたんスけど、携帯のアプリに、コンピューターと勝負する将棋があるんです。これをやりながら、どうしてそう打つのかを説明するのが一番いいんじゃないかと思って。それにキャプテンは、まだ勝負すんの早いと思います」
「お前にそう言われると何だか微妙な気分だな」
結城が苦笑すると沢村も沢村も困ったように笑う。
「俺じゃなくて、俺に将棋教えてくれたじいちゃんが言ってたんスよ。本を見ながらじゃないと打てない奴は、盤に向かうのはまだ早い、って」
「そうなのか」
「本を見るなら、本に載ってることは全部暗記しなきゃ、勝負の最中に必要な手を思い出せないから駄目らしいっす。よくわかんないけど」
「なるほどな……」
沢村が携帯電話を結城の方に差し出した。
「見えるッスか?」
「流石に二人で見るには画面が小さいな」
身体をかなり寄せ合っても、中々見るには辛い。
と、沢村が少し考えた後、結城の腕をくぐり、股の間にすとんと腰を下ろした。
「沢村?!」
「こうすれば見えるっすよね?」
確かに画面は見えるが、これでは後ろから抱っこしているようなものだ。
物怖じしないを通り越して、これでは子供か動物かと言ったところだな、と結城は無言で苦笑した。
「あれ? 見えないッスか?」
結城の無言を否定と取ったらしい沢村が、肩越しに結城を振り返る。
「いや、見える。大丈夫だ」
沢村がベンチから落ちないように腰に手を回して支えると、沢村はへへへと笑って携帯を操作し始めた。


「な……にやってんだ、お前ら」
伊佐敷が部室のドアを開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
「何って、将棋ッスよ?」
「将棋やってる体勢じゃねぇだろ!!」
不思議そうな沢村に神速で突っ込みを入れると、結城が顔を背けた。アレは、笑っている。顔が見えなくても伊佐敷には分かる。ダテに親友はやってない。
「おい、哲!!」
「いや……携帯電話の将棋のゲームを、二人でやっていたんだ」
「アァン?」
よく見れば沢村の手の中に携帯電話がある。
……が、だからと言ってその膝抱っこはどうなんだよ、と内心で突っ込みを入れ、伊佐敷は口には出さなかった。
沢村が天然バカなのは周知の事実だが、結城の方もちょっと天然が入っているところがある。
その体勢がおかしいことは理解していても、結局それをやってたら大差はないのだ。
天然二人に対して突っ込み一人では分が悪い。疲れるばかりでどうせまともな収拾なんてつきやしない。
「まあ、いい。次の時間の体育、テニスだとよ」
「ああ、もうそんな時間か」
結城が部室の壁にかかっている時計を見上げると、沢村が結城の膝から降りた。
「じゃあ、俺もそろそろ」
「沢村」
立ち去ろうとした沢村を結城が呼び止める。
「今日も部活後自主トレするのか?」
「勿論そのつもりスけど、どうしてッスか?」
「コレの礼に、バッティング練習と牽制の練習に付き合おう」
「えっ、だってコレ昨日バッティング教えてもらったお礼なんですよ!? お礼にお礼もらったら変じゃないッスか!!」
お礼で将棋の相手すんのにテメーはその相手の膝に座んのかよ、と伊佐敷が内心で突っ込んでいる声は、当然他の二人には聞こえない。伊佐敷は部室の戸口に背を預けて腕を組んだ。
「じゃあ礼じゃないことにしておけ」
いや、礼じゃないことにしたって別に状況変わんねーだろ!!とやっぱり伊佐敷は声に出さずに突っ込みを入れる。腕を組んだまま、伊佐敷は指で腕をとんとんと叩いた。
「じゃあ、明日も昼休みに俺来ます!!」
「それだと明日の自主トレでも教えることになるな。まあ、こういうことは継続して練習するべきだしな」
「じゃあじゃあ、明後日も来ます!」
「それなら、明後日も」
突っ込みいれたい突っ込みいれたい突っ込みいれたい。
元々あまり黙っているのが得意じゃない性分の伊佐敷は、我慢しきれずに口を挟んだ。
「アホ! 明後日は土曜日だ、昼休みねぇだろ!! そのまま続けたって堂々巡りんなんの分かってるだろうが、いい加減にしろ!!」


5時間目は科学の実験で、沢村は化学室へと移動した。
それぞれのグループに分かれて、クラスメイトがビーカーやらフラスコやらを用意し始めるが、沢村は触らない。
前とその前の実験のときに、ビーカー3個と三角フラスコ1個と温度計を1個壊したら、もう触るなといわれたのだ。
手持ち無沙汰で窓に近寄り、下を見るとテニスコートが見えた。
「……あ」
テニスコートに結城と伊佐敷が居る。
そう言えば、さっき次の授業は体育でテニスだとか言っていたっけ。
からからと窓を開けて窓枠に手を突くと、後ろからノートで叩かれた。
「いてっ! あんだよ金丸」
「サボってんじゃねーぞ!」
「だって俺触るなっつわれてんだもん」
「あー……」
そういえば前回ビーカーを割ったときは、まとめて3個割ったから、別の班の金丸も片づけを手伝ったはずだ。それを思い出したらしく、呆れた顔になった金丸が溜息をついて窓の外を見る。
「何見てたんだよ?」
「キャプテンと伊佐敷先輩。体育、テニスなんだってさ」
丁度その二人がコートに入っていた。
「お、ホントだ」
「あの人たちがバットじゃなくてラケット持ってると、何か変な感じするよなぁ」
「バカか、テニスコートに入るのにバット持ってる方がよっぽど変だろうが。お、伊佐敷先輩結構上手い」
ラリーを始めた伊佐敷と結城を見る。……と。
「「あっ」」
金丸と沢村は揃えて声を上げた。
「哲〜〜〜!! テメーどんなスポーツでも場外ホームランにすんのやめろっつってるだろーーーーがーーー!! これぁテニスだっつーの!!」
次の瞬間、伊佐敷の怒鳴り声と周囲の笑い声が聞こえてくる。
結城の打ったテニスボールが、フェンスを越えて外へ飛んでいってしまったのだ。
「伊佐敷先輩、声デケー! ここ3階なのにはっきり聞こえる!」
あははは、と沢村が笑うと金丸も身を乗り出した。
「あーあー、伊佐敷先輩走っていったよ。伊佐敷先輩が結構足速いのって、ああやっていつもキャプテンにボール拾いに走らされてるからだったりしてな」
「あー、ありそう!」
「けど、キャプテンってもしかして、野球以外の球技は出来ないのか?結構意外だな」
「そうか?」
不思議に思って首を傾げると、金丸の方も変な顔をする。
「そうか、ってお前……。つーかお前って、全然3年の先輩とか怖がらないよな。何つーか、やっぱキャプテンとかの前に行くと緊張しねぇか? 普通」
「何でだよ。かっこいいからか?」
「かっこいい……いや、かっこいいけどよ。まあ、憧れるとか怖いとかそんな感じか?」
「んー、キャプテンてカッコイイよな。でもさ、かっこいいんだけど時々なんか変なんだよ、あの人」
クスクス笑いながら眼下のテニスコートを見下ろす。
「でもさ」


ボールを拾って戻ってきた伊佐敷が、どうせまた拾いに行く羽目になるからもうやらんと言うので、結城と伊佐敷はコートを他のものに譲ってベンチに座った。
「それにしても、昼のアレぁ、何だよ。膝に乗せる奴があるかっつーの」
「乗せたわけじゃない。乗ってきたんだ」
「変わんねぇよ!!」
「そうか?」
乗れと言った訳じゃないのだから、結城としては多少は違うと思うのだが。
「まあ、平気でお前の膝に乗っかってる沢村もどうかとは思うけどよ」
「アイツはそういうことを気にしないな」
「そういうところもバカだよな。ウルセーしバカだし」
そうは言いつつも、伊佐敷の口ぶりにはどちらかと言えば好意が感じられる。
「クリスや倉持たちが気に入ってるのも分かるな」
「……どっからそんな話に飛んだんだ、お前」
呆れた調子の伊佐敷に、結城は笑みを浮かべた。
「飛んでいない。馬鹿だし、子供なんだが」


「そんなところが、いいところなんだ」


結城と沢村が、互いを全く同じ言葉で表現したことを知るものは居ない。



 
カッコイイ哲さんFANの人ごめんなさい。
哲さんて結構天然だと思います。
テニスやってもバレーやってもバドミントンやっても、「打つ」系のスポーツやらせると必ず全部場外ホームラン。球技大会で対戦相手に亮介さんとかがいると「哲を狙え哲!」とか言われちゃう。野球以外の球技はからっきし、みたいな(笑)
「哲と沢村が一緒に居ると両方天然だから困る」とか純さんが亮介さんにグチを言うと、「純も天然じゃん」というツッコミが入ると思います。

戻る

2007/07/08 脱稿