急に日が翳ってきたことに気がつき、春市は窓に近寄り外を覗いた。
「うわ・・・・・・!降ってる!」
午前中は快晴だったのに、外は大雨になっている。
今日は学校も部活も休みの日で、前園は買い物に行くと言って外出していた。
「ゾノ先輩、傘もって行きましたっけ?」
春市が同室の桑田を振り返る。桑田は首をかしげ、並んで窓の外を見た。
「さあなぁ。心配なら携帯に電話してみたらいいんじゃないか?」
「そうですね」
春市は自分の携帯を取り出し、電話帳から前園の電話番号を呼び出す。
通話ボタンを押すと、ごく近くから知っているメロディが聞こえてきた。
「アレ!?」
その音は前園の制服のポケットから鳴っている。
春市がポケットに手を入れて確認すると、やはりそこには前園の携帯電話があった。
「ゾノ先輩、携帯忘れて行ってる・・・・・・」
「あちゃ。ドジな奴だな〜」


「あ〜・・・・・・こらアカンわ・・・・・・」
駅の構内で、前園は途方にくれた。
寮を出るときは快晴だったのに、帰る段になり電車に乗ると急に雨が降り出した。
電車が最寄り駅に着いても雨脚は強まるばかりで、一向に止む気配はなかった。
携帯電話を忘れてきてしまったせいで、寮に連絡して誰かに傘を持ってきてもらうことも出来ない。
知り合いの電話番号なんて、全部携帯の電話帳の中で全く記憶していなかった。
「走って帰るしかないか・・・・・・?」
見渡す限り灰色に澱んだ空を見上げて呟くと、よく知った声に呼び止められた。
「あっ!ゾノ先輩、見つけた!!」
振り返れば、寮で同室の後輩が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「小湊? どうしたんやお前」
「迎えに来たんです!」
「迎え?俺をか?」
「はい! ゾノ先輩、携帯忘れて行ったでしょう?それに朝はすごく晴れてたから、傘も持っていかなかったんじゃないかと思って」
「おう、悪い。お前気が利くな」
差し出された傘を受け取ると、春市は小さくくしゃみをした。
「なんや、風邪か?」
「あ、いえ・・・・・・ちょっと寒いかなってだけです」
「そらお前、そんな薄着で・・・・・・」
上は半袖のTシャツ一枚の春市を見て、ふと前園は視線を降ろす。
春市の手にある傘は、殆ど水滴が落ちている。こんな大雨の中をさしてきた傘ならば、こんなに乾いているわけが無い。
「・・・・・・お前、いつからここにおったんや?」
「え?えーと、1時間前くらいから、かな・・・・・・?」
「1時間!? アホかお前、こんな雨降って気温も下がっとるのにそんなカッコで・・・・・・!」
「え、でもゾノ先輩いつ帰ってくるか分からなかったですし・・・・・・」
それもこれも、自分が携帯を忘れたせいだと言えばそうであるから、あまり強いこともいえない。まして、自分で走って帰ればいい所を、わざわざ迎えに来てそんなに長時間待っていてくれたわけなのだから。
前園は小さく舌打ちをして上着を脱ぎ、春市の肩にかけた。
「着とけ!」
「え、でも」
「俺は平気やから、着とけ!!」
「・・・・・・ありがとうございます」
素直に春市が上着に袖を通す。小柄な春市が、比較的体格のいいほうである前園の上着を羽織れば、かなり大きい。
「温かい・・・・・・」
「そら、今の今まで着てたんやし。ほんじゃま、帰るか」
「はい」
連れ立って駅の出口へと向かう。
その途中にある売店で、ふと老女と店員が話をしているのが耳に入った。
「1本も残っていないの?」
「すみません、急な雨だったので、全部売れてしまったんですよ」
「他の雨具も無いのかしら?」
「他の物も、傘が無くなってからすぐに売切れてしまいまして・・・・・・」
「タクシーの列も長くて、並んでいては時間に遅れてしまうし、困ったわねぇ」
足を止めた前園を、春市が不思議そうに振り返る。
「ゾノ先輩?どうかしたんですか?」
「小湊。先に謝っとく。スマン」
「え?」
きょとんとしている春市を置いて前園は老女に歩み寄り、傘を差し出した。
「どうぞ、使ってください」
「えっ? あら、でも」
「俺は連れがおりますから、傘1本あれば足りますし。ちょっと聞こえたんですが、急いではるんでしょう?」
「あらあら・・・・・・すみませんねぇ、ありがとうございます」
傘を受け取った老女に軽く頭を下げ、前園は踵を返す。
「小湊!行くぞ!」
「あっ、はい!」
小走りに追ってきた春市が横に並んだ。
「・・・・・・スマン」
「え? 何がですか?」
「いや・・・・・・せっかく傘持ってきてくれたのに、無駄にして」
「何言ってるんですか、ゾノ先輩はいいことしたんだから謝らないでください」
嬉しそうに言った春市が、パン!と傘を広げて、傘を差してくるりと前園を振り返る。
「それに、ゾノ先輩も言ってたじゃないですか。傘は1本あれば足りる、って。無駄なんかじゃないですよ?」
微笑んで首を傾げた春市に、前園も微笑した。
「そうやな。ありがとう。・・・・・・んじゃ、行くか」
「はい」
春市の手から傘を取り、並んで傘に入って雨の中に足を踏み出す。
「大丈夫か?濡れてへんか?」
「大丈夫です・・・・・・って言うか、ゾノ先輩こそ濡れてるじゃないですか!こっちに傘差し掛けないでくださいよ!」
「俺は俺の上着を濡らしたくないだけや!」
「だ、だったらこれ返します!!」
「ええから着とけって言ってるやろ!!」


なんでこんなに初々しいことに・・・・・・。
寮の部屋に戻っても、自分のせいでゾノが濡れたと思ってる春っちが、甲斐甲斐しく濡れたゾノの肩を拭いたり着替えを出したりして。
桑田先輩に「お前ら新婚夫婦か」とか笑われると思います。

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2007/5/2 脱稿