★魔術師は橋の下★
「邪魔じゃないの? こんなになっちゃって」
開け放たれている扉の向こうに広がる緑の壁に、使用人服姿の女性、フェルリアナはカウンターに頬杖をついて問い掛ける。
店主である少年・コルクは、ティーカップに入ったお茶を飲みながら、オニキスのような黒い目を伏せ、そ知らぬ顔で答えた。
「邪魔になったら、焼き払うよ」
それには彼女も小さく溜息をついた。
この国の都には、岩石や土塊、そして様々な草木で飾られた三つの【ケーキ】があった。
五層に分かれたそれは、頂上に王族が住まい、貴族などの富裕層に近づくほど上に、一般市民たちは下の層に住んでいた。
そして、通称【橋の下】と呼ばれる第一階層街は、魔術師たちが多く住まう場所だ。
由来はそのまま、二階から上の街を支えるための柱が、ちょうど橋桁のように見えるために名づけられた。
そこはケーキの重要な土台であり、魔術師たちが好きに作り変えられる玩具のような場所だ。現にこの都の地下には、彼らの、彼らによる、彼らのための巨大都市がある。
また不思議な事に、魔術師たちはケーキのつくりとは逆に、力が強く、階級の高い者ほど下層にもぐり、階級が低い、または何かしら商売をしている者ほど地表により近い場所に居を構えた。
コルク=グラムスは、後者だ。
中の上くらいの力がありながらも、こぢんまりとした雑貨屋の店長として立派に働いている。
とはいえ、土地は『一番安かった』という理由で彼の曽祖父が購入したもので、店の権利に付いても彼の父親が持っているうえ、立地がかなりよろしくないため、常に閑古鳥が鳴いている。
というのも【西のケーキ】こと【西離宮階段街】の、本当に一番隅。地下帝国からも昇降口が遠く、上の階へ行く為の階段すら遠い。
加えて、歩いて数メートルもいかない距離にある鬱蒼とした森、店の近くにある大きな栗の木や、第二階層の街からカーテンのように溢れた様々な草花より、徹底して人を遠ざけるような場所だ。
実際、緑の壁のおかげで、もはや外観はおろか看板を見ることすら出来なくなっている。
よって、ここに店がある事に、一般市民はもとより、同業の魔術師ですら見つけられない事が多々あった。
現にフェルリアナも、最初にこの店を訪れた際、橋の下を何周もしてようやく見つけたのだ。一番手っ取り早いのは、店先を覆い続ける植物達を切り払うことなのだが、店主の一存により、絶賛放置中となっている。店を持つ者にとって、客の入りが少ないのは死活問題のはずなのに、肝心のコルク自身が目立つ事を好まない性質のため、階段上の街では『蜃気楼の店』などと呼ばれていた。
今も彼は、店の中にも関わらず腰丈まであるケープのフードを目深にかぶり、全体的に長めの黒髪に顔を覆われており、表情が読み辛い。その上、大体常に茶を飲んでいるため、辛うじて見えていた口元すら隠れてしまうため、今コルクがどんな顔をしているのか、さっぱり検討がつかない。
事実、彼の接客に愛想は、ほぼ無い。
初見の相手には最低限の愛想は見せるが、フェルリアナを含むごく一部の常連客、家族相手には、かなり無味乾燥な態度をとっている。
とはいえ、フェルリアナ自身、この店が嫌いなわけではない。
店主のコルクとは歳が近く、魔術師同士でもあるので気兼ねをする必要が無い。それに、不謹慎ではあるが客足が少ない為に、余り人に聞かれたくない話もしやすい為、時間があるときはこうしてのんびりとお喋りに興じるのが習慣となっていた。
フェルリアナはスカートを翻しながら、近くにあった背もたれの無い丸椅子に腰掛ける――彼女は気付いていなかったが、これも実は売り物の一つだったりする――そのまま視線を、カウンターに鎮座しているティーポットに向けると、その奥に歪な石がカゴ一杯に山積みにされているのが目に入った。
「なに、この石ころ。こんなのも売ってるの?」
するとコルクは、カップを置きながら驚いたように目を細めた。
「その石、買うの?」
「あら。これ、売り物じゃないの?」
「昨日来た客が置いていったんだ。磨くか、術でも込めれば使えると思って引き取ったけど――」
どこかうんざりしたように、彼は溜息をついた。
橋の下での交易は、主に物々交換で行われる。
もちろん貨幣での売買も行っているが、珍しい骨董品や、何かしらの術に使う素材の類は、それに見合う、もしくはつり合うものとの交換で取引を行う事が多い。
そして交換した物は、素材そのままか、専門の職人や技師に頼み加工してもらった後で店に出すのだ。
コルクも、そのつもりで石を職人に見せたのだが、瞬間にこう言われた。
「『こんなただの石に加工したら、費用が嵩むだけだ』って笑われた」
「お気の毒様」
彼女が苦笑すると、コルクは一度店の奥へと引っ込み、淡い青色の液体が入った瓶を三本持ってくるとカウンターの上に並べる。そして、鍵付きの引き出しから【注文書】と書かれた紙束と、不思議な模様の大きな印鑑を取り出した。
ラベルに書かれた品物の名と数を照らし合わせたあと、彼はそれをフェルリアナの前に提示した。
「はい、いつものやつ。三本でよかったよね」
「ありがと」
彼女は慎重に瓶を確認すると、注文書へサインをし、花柄の大きな布で簡単に包む。その様子を眺めながら、コルクはレジスターに金額を打ち込み、金額を告げた。
「じゃあ全部で三十G。手持ちがなければ、代わりになる物を出して」
「そうね、昨日手に入れたこれでどう?」
彼女が差し出してきたのは、乳白色をした手のひら大の置物。猫が王冠をかぶった様な形をしており、石細工にしてはすこし軽く、油を塗ったように滑らかな光沢を持っている。
見ただけで一級品と分かるそれを、まじまじと観察しながら、コルクは彼女に尋ねた。
「エリ。これ、ずい分良い物だけど――何所で手に入れたの?」
「さあ……」
「さあ。って」
「だってそれ、貰い物なんだもの」
面倒臭そうに溜息をついたフェルリアナは、そのまま流れるような動作で、カウンターに乗っていた空のティーカップに自分の分のお茶を注ぐ。慣れた手つきなのは、この店の常連である証だ。
現にコルクも、呆れてはいるものの、声高に批判はしない。
「こんな良いの、家にはもったいないような」
「そう? 常に持ち歩くには邪魔だし、首から下げても大きすぎるし、重いし」
「飾っとけばいいじゃん」
「それは、お城づとめのドロドロを知らないから言えるのよ。じゃ、薬はもらっていくわね。お茶、ごちそうさま」
そう言うと、フェルリアナはお茶を飲み干し、笑顔で店を去っていった。
手元に残ったのは、空のカップが二つと、置物一つ。
押し切られたものの、結果的にコルク自身が損をしていないので、よしとした。
* * *
数日後、普段は閑古鳥が鳴いている彼の店に、新規の客人がやってきた。
品良く、身に付けるもの全てが上質な初老の女性は、ぐるりと店内を見回した後、白百合の香水と磨かれた水晶、それを置く台を購入していった。ここまでは、何ら他の客人と変わらないのだが、その人もフェルリアナと同じように、少しの貨幣に加えて、乳白色の猫の置物と交換していったのだ。
さりげなく聞いた話によれば、どうやら彼女も、あの置物を他人から貰ったとのこと。ただ、つい先日屋敷を掃除をした時まで忘れており、捨てるにも忍びないのでここで適当な値段で売り払うつもりだったらしい。
「続くもんだね」
ポツリと呟きながらも、コルクはそれを軽く磨き、見栄えのする場所へ据える。
ふとコルクは、二つを隣に並べて初めてある事に気付いた。同じものだと思っていたその置物は、比べてみるとほんの少しだけ違いがあった。
フェルリアナの方は、『王冠をかぶった猫が、威風堂々と仁王立ちしている』もの。
初老の女性の方は『ティアラを身に付けた猫が、二本足でおしとやかに立っている』もの。
「これ、ペアなのかな」
そう口にしてみて、再度疑問が生まれる。
これがペアのものであるなら、なぜ別々の人が所持していたのか。
好奇心が刺激されたコルクは、店の奥にある自室から、一冊の本を手にカウンターまで戻ってくる。
分厚く、サイズも大きなそれには、獣や虫、植物などが絵と簡単な解説付きで記載されており、数は多くないが、珍しい小物に付いても掲載されている事があった。
軽い気持ちではあったが、ページを捲るうちに、それらしき物が書かれた箇所を見つけた。
――曰く、本宮のある【中央階段街】から、真っ直ぐ進むと、かなり広大な遺跡群が残されている。それははるか昔に存在した、余りにも巨大な一つの都の跡。ここ最近になってようやく、そこに何が暮らしていたのか解明された。研究者によれば、気の遠くなるほど昔、そこには竜の都があったとのこと。
彼らの慣習として、生え変わり、抜け落ちた子供の牙で『お守り』を作るのだ。形は様々だが、大体は子供の竜一体で一そろいの物を作るらしい。
本には、現存する中で一際有名な三種類が載せられていた。
その中に、猫を模した物も――記載されていた。
結局、あれから『お守り』は全部で十個揃った。
とはいえ、相当の骨董品な上に、どれも一度持ち主を守れば底を尽きる量しか、術が込められていない。
一度術を解いて、コルクの力を入れなおそうともしてみたが、見事に跳ね返されてしまい、再充填は保留となった。ちなみに、術が跳ね返された時、彼が愛用していたティーカップがいくつか犠牲になった。
これにはコルクも意気消沈して、いつも以上にぼんやりとカウンターに座っていた。無事だったカップにお茶を注ぎ、ゆっくりとすすっていると、ふと窓に人影が見えた。
常連のうちの誰かか、親が来たのだろうかとのんびり構えていると、そのまま影は店を通り過ぎていった。
と思った瞬間、慌てたようにそれは引き返し、ガラスに張り付かんばかりの勢いで、お守りを凝視していた。
怪訝に思いながらも、コルクは持っていたカップを脇に置き、ゆっくりと店の扉に近づくと、音を立てないようそっと開いた。
そこには、焦がしたパンのような色の髪を撫で付けた、背の高い、身なりのいい男がいた。
ただ、服や髪の所々に葉っぱや土をつけていたり、頬が少し扱けて無精ひげが伸びている所をみると、どう見たところで、不審者にしか思えない。
しばらく様子を見るため、一旦扉を閉め、心を落ち着けて店内を簡単に掃除したりした。さりげなく、貴重な品々は目の届かない位置に置いたりしながら、時計を確認し、再び扉を開けてみた。
小一時間以上は経っているのに、男はその場を微動だにせず、じっとお守りを眺めていた。しかも、なにやら小さな声でぶつぶつと呟いている。
コルクは僅かに悩んだのち、仕方なく彼に声をかけた。
「あの、よかったら中に――」
「何てことだ……ここに、幻の『牙細工シリーズ』が揃っているなんて!」
問いかけに対し、間接的に答えた男は、しばらく独り言を呟いた後、ようやくコルクの顔を見た。
それは、なんとも形容しがたい表情だった。
「君、これをどのようにして手に入れたんだい?」
「うちに来るお客様が、代金の代わりに置いて行ったんですが」
言葉が終わると同時に、コルクの両肩はがっちりと掴まれ、かなり強く揺さぶられた。
「そ、それは本当なのか? 嘘ではないんだろうな!」
「うそついて、どうするんですか……」
くらくらする頭を抑えながら、コルクはため息混じりに答える。それに気付かぬ男は、満面の笑みを浮かべながら、うっとりとお守りたちを見つめながら店の中へと入った。
「ああ、夢に見た小動物シリーズ……ごく最近、ようやく犬バージョンをコンプリートしたところだが……まさかここで猫バージョンにまで出会えるなんて!」
彼の言葉に、コルクは薄手の布手袋を嵌めながら眉をひそめる。
「すでに犬バージョンを持っているのに、猫もほしいんですか?」
「それが、コレクターという生き物だよ、少年」
どこか勝ち誇ったような男の表情にイラッとしながらも、コルクは黙ってお守りたちを手に取っていった。
それを、大きなものから順にカウンターへと並べると、奥から取り出してきた柔らかい布を敷いた木箱に五体ずつ詰めていった。最後に蓋を閉めると、焼け焦げたような跡を付けながら、商品名が記された。
これには、男も驚いたように目を丸くさせていた。