* * *
同日、十三と半刻。
「何とか……」
「――……奪ってこれた」
岩風見鶏の居る山に着くまでは、あっという間だった。
だが、肝心の鳥は案の定強敵で、協会内でも三番目に強い階級の二人が、約二時間近く格闘して、ようやく五個だけ奪ってくることに成功した。
ほとんど魔法を使いっぱなしだった上に、険しい山道を駆け回った二人は、協会についた時点で、気力も体力も使い果たしていた。
「うっわ、セイカにレム……どうしたんだよ、どろっどろだぞ」
名前を呼ばれて振り向くと、そこにはよく見知った魔術師の少年が立っていた。
「あー、ティートじゃん」
「悪いんだけど、ココ開けて」
ぼろぼろな状態の二人に、ティートと呼ばれた少年は慌てて協会の扉を開いた。
そして開くと同時に、二人はその場に倒れこんでいた。
「ちょっ、本当に大丈夫かお前ら!?」
「ティート君にお願いがあります、飲み物持ってきてください」
「ティート訓にお願いです。軽く濡らした布ください」
「――――ああ、大丈夫そうだな」
立てないながらもちゃっかりとおねだりをする二人に、ティートは苦笑しながら、頼まれ物を持ってくるために奥へと消えた。
「床冷たいな」
「もう一歩も動けない」
「同感――いった!」
そんな会話をしながら、二人が床に這いつくばっていると、誰かに足を踏まれた。
セイカの方はそこまで痛くは無かったが、レムラシードのほうは、かかとの高い靴だったようで――しかもふくらはぎを思い切り踏まれたらしい――衝撃で飛び上がった。
思わず文句をつけようとして、レムラシードが振り返ると、上品な服をまとった初老の紳士と、ふわふわの髪を揺らした人形のような少女が立っていた。
「ああ、申し訳ございませんでしたお二方。お怪我はございませんでしたか?」
「ちょっと、なんでリズ伯父様が謝るの?悪いのはそっちの二人じゃない。床に這いつくばるなんて、踏んでくださいって言ってるようなものでしょ?」
「こら、アンジェリカ。たとえそうだとしても、踏んでしまったこちらが悪いんだ。素直に謝りなさい」
悪態をつく少女を紳士がたしなめるが、彼女はつんとした態度を崩すことなく、謝罪も無かった。
少女の態度は腹立たしかったが、往来のあるこの場所で半ば行き倒れかけていたことは事実な為、レムラシードは怒るに怒れないでいた。
そんなところに、タイミングよくロマが現れた。
「あれ、セイカ君にレムラシードさん。そんなところでどうしたんだい? 何かあった――って、リーゼルシア様?」
訝しげだったロマの表情が、驚きに変化した。それは初老の紳士と少女も同じようで、ほっとしたような、嬉しそうな笑顔に変わっていった。
「ああ、ロマ。ちょうどよかった。頼みごとがあってな」
「ロマお兄様、お父様から記念式典の事で手紙預かってきたの。ねえ、私ココまで歩いてきたのよ。褒めて頂戴!」
「すみませんご足労おかけして、アンジェリカも頑張ったね。さて場所を移しましょう。あ、そうだ。セイカ君にレムラシードさん、帰ってきたって事は、無事にとってくることが出来たみたいだね、お疲れ様。終了報告は後で大丈夫だから」
紳士はまだしも、少女の変わり様には、セイカたちから見てもどこかすがすがしかった。
それに苦笑しつつ、ロマはリーゼルシアたちを連れ応接室へ、セイカとレムラシードの二人には労いの言葉をかけた。
そして、ロマたちがいなくなると同時に、飲み物の入った容器と濡らして絞った布を持ってきたティートが戻ってきた。
「はい、お二人さん。って、何か有った?」
「いや、うん」
「お嬢様って怖いなあって」
溜息のような二人の言葉に、ティートはただ首を傾げていた。
* * *
同日、十五の刻。
あれから、じっとしていた事で少し体力を取り戻したレムラシードとセイカは、互いに大机越しに向かい合った状態で金の玉子の泥落しと、ひび割れのチェックを入れていた。
じつはこの玉子、岩風見鶏との格闘後すぐにあわてて布袋に突っ込んでしまった為、クッション用の柔苔に包み忘れていたのだ。
しかも協会に入った瞬間ぶっ倒れたため、二人は卵のことを思い出した瞬間、思わず顔面蒼白になった。
念入りに、そして何度も玉子をチェックしていると、執務室の扉が軽快に叩かれた。
「ただ今戻りました。って、あれ? 二人しかいないんだ」
「あれ、ユラさん?」
「何か久しぶりですね」
執務室に顔を出した人物に、レムラシードとセイカは驚きで目を丸くした。
ユラと呼ばれた人物は、ロマに次いで、アルスバルト内では二人目の最高位を持つ魔術師なのだ。
その人物が、ひと月近く協会を留守にした。
一応それに至るまでの話は、協会長であるロマからある程度話は聞いていた。でも、詳細を知るものは彼以外いない。
それに、事情が分からないのはユラも同じだ。さっきから、セイカとレムラシードの二人が何に必死になっているのか分からず、首をかしげた。
「二人とも、何してんの?」
「玉子磨きです。ユラさんこそ、ひと月もどこに行ってたんですか?」
「あ〜、ちょっと隣の国まで。それより、協会長は?」
「応接室で、家族会議中みたいですよ」
「そ、じゃあ私上にいるから、戻ってきたら呼んで」
「わかった」
「よろしく」
軽く手を振ってユラが執務室から出て行くと、二人は再度、玉子チェックに戻った。
そのまましばらくは、無言で作業していたレムラシードが、不意にポツリと呟いた。
「ねえ、セイカ」
「何だよ」
「ちょっと、賭けしない?」
その言葉に、セイカは玉子に向けていた視線を彼女に向ける。
レムラシードは、好奇心と楽しさを抑えられないといった表情で彼の視線を受けた。
「いいけど、何賭ける気だ?」
「今回の依頼料。銀貨十枚から」
「内容は?」
ほんの少し好奇心を持ち始めたセイカの表情から、レムラシードはニヤリと笑いながら彼の方に顔を寄せた。
そして彼女は、念入りに辺りを見回し、執務室内が彼ら二人しかいないことを確かめると声を潜めて、でも楽しそうに言った。
「ユラさんが、協会長から何のお咎めも無く報告を終えられるか」
* * *
同日、十八の刻。
アルスバルトの時を知らせるのは、王城の手前にある大広場の鐘楼付きの大時計だ。
鐘の音は、朝の六時から夕方十八時まで。その時間の数だけ鐘の音が鳴り響く。ちなみに、六時半など半刻の時は一度だけ鐘が鳴るようになっている。
今、ちょうど本日最後の鐘が鳴り終えた。
それは協会の仕事が終わる事も意味するので、執務室に集まった魔術師たちは、そわそわとロマの言葉を待った。
「さて、今日はこれで終わりだね。ご苦労様。さて、もう少しココに残りたい人は早めに言ってね。鍵渡すから」
そういうと、ロマは執務室を後にした。他の場所に居る魔術師達に伝えに行く為だ。
「あ〜、くたびれた!」
「そうだね」
セイカが机に突っ伏すのと同時に、レムラシードも座っていた椅子にもたれかかる。
木製の椅子は、少しきしんだような音がしたが、彼女は気にしなかった。
「家に帰るの面倒臭いな」
「協会に泊まる? 調理場あるし、一応物置に行けば仮眠用の毛布あるし」
「あれ、二人ともココに泊まるの?」
セイカたちの呟きに、執務室に戻ってきたロマが目を丸くして驚いていた。
そう問われると、ほんの少しだけ複雑な気分になるが、二人はとりあえず頷いた。
「そっか。じゃあこれ鍵と、ひとつ頼まれごとをしてもらえないかな? 本当はユラあたりにでも――頼もうかと思っていたんだけどね」
そう言って、ロマは二人に依頼書と――大きな網と金属のバケツを五つ、手渡した。
* * *
同日、二十一の刻。
夜になると、大広場は無人になる。
噴水も水を出す事を止め、辺りに響くのはあちこちの酒場から聞こえる歓声や騒ぎ合う声だけだった。
耳を澄ませば、虫の声や小川のせせらぎ、あとは城を囲む堀に住み着いた魚の跳ねる水音が聞こえてくる。
だが、セイカとレムラシードの二人には、そんな情緒に浸る暇はなかった。
「嫌な予感、してたんだよな」
「協会長の笑顔は、前から用心してたつもりだったんだけどなあ」
溜息をつきながら、二人は大きな網と魔法を駆使して大広場にある噴水と、城周りの堀の掃除をしていた。
「実はね、蛍蛙が噴水と堀に卵産んじゃったみたいで、おたまじゃくしで噴水や堀の給水口が詰まったり、吹き上げられた水に混じってたりしてちょっと大変なんだって」
二人に事の次第を説明するロマは、困ったような表情の割には、どこか楽しそうに口元を歪めていた。
「しかも、お城の関係者で知り合いの人に蛙嫌いがいてね。自分で何とかしてくれって言ったんだけど、早く何とかしないと協会に押しかけるとまで言われてね。蛙ごときでそこまでされるのは、流石に迷惑だから、本腰あげてそろそろ掃除してあげようかな、って」
結局、最終的にロマは笑顔になっていた。
これには二人も何も言えず、引き受けてしまった。
蛍蛙は、その名の通り蛍のように淡く光る蛙だ。
その光は、おたまじゃくしの時が一番強く、現に今、おたまじゃくしで一杯になったバケツは、下手なランプより眩い光を放っている。
それでも、大人になれば光るのはオスのみで、光も淡くなるのに、おたまじゃくしの頃はオスメスかまわず光り輝く。
「何か、目が痛くなってきた」
「我慢して。まだ堀の方が残ってるんだから」
「別に、堀の方はそこまで光ってないだろ」
「違う違う、あっちは水蘚取りがメインっぽいから」
「――――なんで、城の人間にさせないんだろうな」
「さあ」
セイカの拗ねたような声に、レムラシードは最後のおたまじゃくしの一団をすくいあげた。
「よっし、終わった。さ、堀の方にいくよ」
「やけに元気だな。疲れてたんじゃないのか?」
「もうここまできたら自棄だ、早く水蘚落としてとっとと寝よう」
満タンになったバケツ三つに、軽量化の魔法をかけると、そのうちの二つを抱えてレムラシードは堀に向かっていった。
セイカは溜息をつきながら、残ったひとつと、まだ空の二つのバケツを抱えて彼女のあとを追いかけた。
* * *
第一炎色の日、八の刻。
「朝日が、まぶしい」
「目が、潰れる」
「二人ともお疲れ」
ぐったりと執務室の大机に突っ伏した二人に、ロマが苦笑しながら労いの言葉をかけた。
昨日、セイカたちは蛍蛙のおたまじゃくしを駆除した後、城の堀掃除をしていたのだが、そこは水蘚どころか、藻が大量発生しており、日のよく当たる城の正面側はもっとも酷かった。
しかもこの藻が、僅かながら毒性のあるもので、これを食べてしまったらしき魚が死んでいたのも、二人が排除しなければならず、思いのほか時間が掛かってしまったのだ。
しかも依頼終了後、協会に戻ると鍵が無い。
魔術使用者協会の、正面入り口は夜になると自動的に鍵が掛かるようになっていて、三日に一度の割合で鍵が変わる。
なので、正規の鍵はロマしか持っていないうえに、二人に渡された鍵も、一度使うと壊れてしまうのだ。
二人は慌てて堀と噴水を再度探るも、出てこない。
途方にくれて、レムラシードが思わずおたまじゃくしで詰まったバケツをひとつ、ひっくり返してしまうと、そこから鍵が出てきた。
その後の記憶は二人とも定かではなく、気がついたら、協会の物置で目を覚ましたのだ。
「そういえば、転送陣――……」
「ああ、大丈夫。セイカ君の変わりに、ユラに手伝ってもらったから」
「え?」
「協会長、荷捌きの途中で居なくなるの、やめてくれませんか? ただでさえ荷物の多い地域で、朝なんて物が多い時間なんですから」
セイカの問いと同時に、執務室の扉が開き、不機嫌さを全面に押し出したユラが、入り口を仁王立ちで塞いでいた。
「はいはい、今行きますよ。ってことだから、セイカ君は今日一日だけ、当番休んでいいよ。じゃ、明日はよろしく」
ヒラヒラと手を振ったロマは、ユラを連れ立って部屋を後にした。
残されたセイカとレムラシードは、ただ呆然とその光景を見送っていた。
「セイカ」
「何、レム」
「協会長、今日は、って言ってたね」
「そうだな」
「明日は、どんな仕事でも、這ってでも当番こなせって事だよね」
「そうだな」
「――――ほんと、ご愁傷様」
心のそこからの彼女の同情に、セイカは思わず顔をしかめた。
「協会長って、ほんっと鬼だな」
「今更」
セイカの呟きに苦笑したレムラシードは、そのまま窓の外に思いをはせた。
ちなみに、二人のした賭けは無効になった。
二人とも同じ予想をしていた為、賭けにならなかったのだ。
こうして、協会のどこかのんびりしつつ、あわただしい日々は続いていくのだ。
〜しょせん、協会の内部事情〜・終