「春だ、鎌倉初デート♪」中編
(66666hit キリリク小説)


by 戸田采女

 ばあさまの突っ込みはすごかった。
毛穴という毛穴から後ろめたさが滲んだが、本当に右近が言うように、何時に帰れるかは道路状況次第だ。もっとも…一応鎌倉の宿は押さえてはあるが。いや、それは、どんな展開になっても対応できるよう、念には念を入れてという意味だ。

 昼食の懐石はキャンセルだが、なに、きっと鎌倉へ行く機会はまたあるさ(なかったら泣く)。
早起きしてちらし寿司なぞ作ってくれた、ばあさまの好意を無にしてはならない。
右近の父親とは違い、ばあさまは以前から私に好意的だったし(…と思いたい)、今後のためにも味方は確保しておかねばっ。

 そんなことより何より…。

 私はハンドルを握りながら、助手席の右近をちらりと盗み見た。

 入学式で右近を見初めてから苦節六年! とうとう初デートに漕ぎつけたのだ。今日はテディベア右近二号の代わりに本物の右近が隣に座っている。美しい横顔を目の端で捕らえるたび、私は秘かに感涙にむせぶ。この日を何度夢見たことか…。ゼミ旅行でもない、飲み会でもない、ようやくふたりきりの遠出が実現し、私は感無量だった。

 一方の右近は行儀よく腰かけ、何やら前方に目を凝らしていた。車は湾岸線を快調に走っていたが、ちょうど横浜ベイブリッジが見えてきたところだ。

(おっと…。私としたことが、感動のあまり言葉少なになっていた。何か楽しい話をしなくては…っ)

 そういえば、右近は横浜に行ったことがないらしい。私は学生時代よく遊びに来たものだ。結構この街は気に入っている。(*どうせ元カノのひとりがフェ●●の学生かなんかだよ:天の声)

(なるほどな。ベイブリッジも初めてみるわけか。しかし、はとバスじゃあるまいし、今さら観光案内も何だかなあ…)

 右近の横顔に見蕩れながら話題探しに悩んでいたところ、
「先生」
いきなり目を合わされ、どきりと心臓が跳ねた。
「あ、ん?」
「思ったより、道すいてましたね」
「ああ、この時間に出れば行きはこんなもんだ。平日だしね」
「ええ、トラックが多いですけど、すいすい流れてて快適です」
右近ははきはきと明るく答えた。
研究室で仕事を手伝ってもらっているときと同じ口調だ。
「それに…いつもの派手なのより、今日の車のほうが落ち着きます」
「それは…よかった」
アルファロメオが嫌われた?のは悲しいが、サーブのガブリオレを選んだのは正しかったようだ。
「先生」
「何だい?」
「今日はお忙しいなか、お誘い、ありがとうございます」
「いやなんの…こちらこそ」
思わず私も丁寧に頭を下げてしまった。
お互い、身に染み付いた師弟モードからなかなか抜けだせない。
そう簡単にデートという雰囲気にはならないか…とほんの少し凹んだ。

 私がふっと眉を寄せたところ、
「問題は帰りなんですよね」
「え?」
低く深刻な呟きに私の耳がたった。
こちらにも秘密の予定とか色々あったりするものだから、ついその…。
右近をじっと見つめ返してしまった。

『忍ぶれど、色に出にけり下心一一』

 右近は瞬時に頬を強張らせ、
「な、なんでもありませんっ!」
言い放ったきり膝の上できゅっと両手を握りしめ、前を向いて黙りこんでしまった。

(なんだなんだっ? もしや…何か警戒されているのか?)

 そんなはずはない。
私は今まで下心はおろか、恋心も懸命に隠してきた。
そりゃあ多少の贔屓はしたかもしれないが、真面目に親身に右近の指導にあたってきたつもりだ。
右近とて、そんな私に全幅の信頼を寄せているはずじゃあなかったか?

 一瞬ぐらぐらと自信が崩れかけた。

(待て…。早とちりで勝手な判断はやめよう)

 とりあえず、
「…音楽でもかけようか」
右近はこっくりうなずき、私は軽快で爽やかな曲をと、モーツアルトのディヴェルティメント(二長調のほう)をCDプレーヤーに放り込んだ。




 デートならやっぱり海の見えるコースかと、安直に海岸線ルートを選んでしまったが、右近の楽しげな様子からして正解だったようだ。海を眺めつつオープンで走るのは爽快で、右近も開放的な気分になったのか。陽光を浴び潮風を頬に受けながら、惜し気もなく笑顔をふりまいてくれる。

「先生、江ノ島に行く時間はありますか?」
「ああ、いいけど。行きたいの?江ノ島」
「はい、江戸時代からの観光地ですし、一応は見ておかないと」
何かと言えば江戸時代を引き合いに出すのは、右近の口癖だった。
六年間の付き合いで私ももう慣れた。
あの時代に右近は並々ならぬ関心があるらしい。
観光バスとかち合わなければいいが、と秘かに溜息を洩らしつつ、
「いいよ、すぐ近くだからね。帰りに寄ろう」

 もろ観光地だけどね。
君が望むことなら何だって。
帰りが遅くなったらなったで…もごもご。
穴場の老舗旅館は秘かに押さえてあるし、そうそう、葉山まで足を伸ばせばうちの別荘もある。何なら今から爺やに電話して布団でも干しておいてもらおうか…(と、勝手に先走ってはいかん)

 真顔に戻ってハンドルを握り直すと、
「あ、干物屋だ!」
右近がおそろしく無邪気な声をあげた。
右近の指差す左手前方を見遣れば、鯵の干物やワカメが店頭に並ぶ、のどかな店先が目に入った。
「ばあちゃんにお土産を買っていきたいんで、帰りにぜひ寄ってくださいね!」
「ああ、もちろんだよ…」
私は苦笑しながらうなずいた。

 はて。右近の機嫌がよいといっても、これではデートというより遠足だなあ。まさか水族館にも寄りたいなどと言い出すのだろうか?

 でも…楽しいんならそれでいい。
クールな櫻田くんの、普段とは違う顔もいいもんだ。
水族館でも地引き網でも、私はとことん付き合うよ。
君とふたりきりで過ごす時間そのものが、私にとっては宝石のようなひと時だから一一。




 海沿いを離れて北鎌倉へ向かう途中、浮かれて調子こいた私はスピード違反でつかまった。『止まれ』の標識とともに警官が飛び出してきた時、こんな場所で何のコスプレかとわが目を疑った。

 こっちこっちと旗で誘導され脇道へ。ようやく『やられた』と実感が湧いた。自分ひとりなら、制限速度が遅過ぎじゃないですかと反撃したかったが、せっかくのデートを台無しにされてはたまらない。私は大人しく書類にサインして、早々に退散した。

 助手席の右近が心配そうに私の様子をうかがった。
「たった15kmオーバーで一万円ですか」
「らしいねえ」
私は片頬で苦笑し、溜息を洩らした。
ゴールド免許の私としたことが…。
確かにちょっと気を抜いていたことは認めるが、今日は運が悪かったとしかいいようがない。
罰金自体ははした金だが、愚痴のひとつも言いたくなる。
「そもそも、こんな上り坂で制限速度50kmというのがおかしい」
坂を上がる時にどうしたってアクセルを踏むじゃないか。
「規則が道路の実情と乖離していますね」
右近がすかさず同意した。
お、いつもの櫻田くんらしくなったなと、何やらわくわくした。
「まともに50kmで走ろうものなら、かえって追突事故続出ですよ」
「その通り。だから制限速度をもう少し現実的なものにするべきだね。逆に罰金は高くしてもいい」
右近はええ、と肩で溜息をついた。

「先生…日本の役所というのはどこも同じようなものですかね」
「え…?」
一瞬話が見えず私は首をかしげた。
右近は私と目をあわせ、
「実は僕…迷っているんです」
溜息混じりに呟くと、ふっと視線を流した。

 ざわざわと胸騒ぎがした。
「それって…もしや外務省の?」
国家公務員一種試験のことか…?。
たしか出願は来週いっぱいのはずだ。

 再び視線が絡み、右近の瞳の奥がゆらりと揺れた。
何とも色っぽい眼差しに、不覚にも喉がごくりと鳴った。
「櫻田くん…」
じっと見つめかえせば、右近はふいに頬をひきしめ、
「すみません、先生。今日はよしましょう。せっかくのドライブです!」
作ったように快活な口調に戻った。 
「ああ、しかし…」

 悩みがあるならいつでも聞くよ。
私とて教師のはしくれ。
君が就職のことで悩んでいるなら、ぜひとも相談してくれたまえ。

 大学に残りたいなら、何としてでも席を用意してあげよう。
民間企業へ行きたいなら、父のつてを頼ってもいい。

 いや、本音はこうだ。いっそのこと就活などやめて、私のところへ永久就職しては?

『櫻田くん。結婚を前提に私と付き合ってくれないか?』

 どうだ。これ以上は望めないほど、まっとうなプロポーズの言葉だろう?
このひとことが言いたくて、喉仏のあたりがうずうずしているのだ。
しかし口にしてしまえば、もはや取り返しがつかない。
場所とタイミングをよくよく選ばなくては一一。

 焦ってはならん。やはり初志貫徹。夕暮れの海岸にこだわるべきだ。

 陽が沈みかけ、肌寒くなってきた頃が最適だ。
強くなった海風に肩をすくめる右近に、ジャケットを脱いで着せかけてやる。
なに?そんな使い古した手でいくつもりかって?
わかっとらんな。右近には何事も王道で迫るのがいいはず。
六年間も指をくわえて右近を観察してきたのだ。
私の読みに間違いはない。

『先生…?』
肩ごしに振り返ろうとする右近。
そのまま後ろからジャケットごと抱き締める。
頬を寄せ耳もとに、
『右近くん…六年間、待ち焦がれたよ』
『え…』
戸惑う様子を見せながらも、右近もきっとわかってくれる。
『ずっと…こうしたかった』
私はぎゅううと腕に力を込め一一。

 白い絹のような肌に頬擦りしかけたところ、
「さ、先生。そろそろ11時ですよ。お腹すきませんか?」
助手席から超現実的なひとことが飛んだ。
ぱちこんと妄想のバブルがはじけた。
「あ、ああ」
「ばあちゃんの弁当、どこで食べましょうか?」
「…そうだねえ」

 私はバックシートに置いた婆様の重箱を、ちらりと目の端で捉えた。

 正直言うと頭が痛い。鎌倉の弁当スポットなんて家族連れやハイカーで溢れている。平日だとて桜の時期はそれなりだろう。家族連れの隣で男二人、重箱広げて仲良くランチというのも…。うかうか『あ〜ん』もできないぢやないか。私は曝しものになっても構わないが、それでは右近がかわいそうだ。

(どこかの寺に頼み込んで部屋でも借りるか…)

 確か実家の家政婦、富士子の里が北鎌倉のマイナーな寺だった。


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