「春だ、鎌倉初デート♪」
(66666hit キリリク小説)


by 戸田采女

注)本作の前ふりにあたるのが、『わが愛しのテディベア』あとがきにこっそりつけておいたオマケ小説です。現在本作のプロローグとして目次にのせてあります。

 199×年4月某日。寒の戻りも一段落し、一気に桜の蕾がほころびかけた頃、いよいよその日はやってきた。前日の夜、ばあちゃんと炬燵で『水戸黄門』を見ながら、私・櫻田右近の頭の中では様々な思いが交錯していた。

 このたび私は無事修士課程を終了し、大学での生活に区切りをつけた。お世話になった結城先生とも一旦お別れだ。色々な意味で転機を迎えるのかな…と漠然と考えていた。そんなとき先生から花見の誘いがあった。他の学生たちと一緒ではなく、ふたりだけで一日鎌倉へ行こうという。

(やっぱりこれって…)

 デートのつもりだろうか。

 私は番茶をすすると小さく息をついた。

 TV画面では、あでやかに装った『艶奴』が悪代官をだまくらかそうとしている。確か私が子供の頃から『艶奴』はずっと同じ女優だ。体型も崩れず、見上げたプロ根性というべきか、それとも不老長寿の化け物なのか。

(いずれにせよ、大したものだ)

 ひとしきり感心したところで、私は再び明日の花見のことを考えた。

 二週間程前、同じ政治学科の古賀教授の壮行会に出た後、結城先生は私を家まで送ってくれた。ほろ酔い気分だったこともあり、花見の誘いをひとつ返事でオッケーしたものの、後から考えれば…。車で鎌倉まで出かけて、花を愛でながら一日を共に過ごす。それも男ふたりで。

 客観的に見ればかなり面妖である。

 研修旅行ではあるまいし、どう考えてもデートの誘いとしか思えない。それにあの時の先生の表情ときたら…。断ろうものなら手近な木で首を吊りそうなほど、切羽詰まっていた。

 しかし桜の名所なら都内にいくらでもあるものを、いきなり遠出とは一一。敵は周到に計画を練っていたと見える。

(さては…一日どころか一晩一緒に過ごすつもりじゃ)

 私は湯のみを握りしめて固まった。

 もしや帰り道、渋滞に巻き込まれたのをこれ幸いと、
『櫻田くん、あそこで少し休んでいかない?』
と、お城のような建物に向かって、先生はおもむろにハンドルを切り…。

 想像したところで、がりっと湯のみの縁を前歯で噛んでしまった。

(いや、いくら何でもそれはないだろう…)

 仮にも恩師に対しこのような疑惑を抱くとは。私は非礼な自分を恥じた。

 私は結城惣一郎の前世を知っている。

 前世でも深い縁で結ばれていた私と先生だ。大学に入って再会した時、私のほうはひと目で気がついた。一方、当然のことだが、あちらは全く前世の記憶がないらしい。にもかかわらず、私のことを入学式で目にとめてくれたそうだ。

(『殿』はやはり今生でも私の前に現れたか…)

 後日、後輩からその話を聞き、私は溜息混じりに微笑んだ。だが師弟という立場もあり、先生は慎重だった。胸の奥には色々なものを秘めながらも、学生としての私をきっちり評価してくれたし、今日までの六年間、親身に指導にあたってくれた。学者にしては少し軽薄なところもあるが、私はそんな先生が嫌いではなかった。

 師弟という枷がとれた今、先生が私に何を望むのか。本当はもうわかっていた。

 藩主・惣一郎の寵愛を一身に受けた前世の私。

 それに応えるべく、殿のため、御家のために力を尽した。二百年余り経た今の世で、やはり同じ運命が私を待っているのだろうか。

『あれ〜〜っ』
かん高い悲鳴にはっと面をあげれば、TV画面に時代劇の定番、『帯をくるくる〜っ』のシーンが映っていた。
若い女中が絹布団の上で悪代官に手込めにされかかっている。
『これ、大人しくせぬか。かわいがってやろうというに…』
『何をなさいますっ』
『ふっふっふ、そなたまだ男を知らぬようだな』
『い、いやです、お許しくださいましっ…』
娘がもがけばもがくほど、裾が乱れて代官を煽る結果となっていた。
油ぎっしゅな代官は、嬉々として娘の白い腿を撫でさすっている。
私は哀れな娘を自分と重ね合わせ、いたたまれずに目を伏せた。

(も、もしもその気だとしても、先生はそれなりの手順を踏むはずだ。…若殿だったときも、いきなり帯をくるくる〜っではなかったし)

 『殿』との濃〜い記憶は頭が覚えていたが、今の身体で男同士のほにゃららの経験はない。終着駅はわかっていても、これから先生と自分がどうなっていくのか、やはり不安でいっぱいだ。

(いや、仮にも先生には『お洒落で紳士』という看板がある。初デートで××なんて…そんながっついた真似をするはずがない…)

 結城惣一郎の良心とプライドを、意地でも信じたい私であった。




 番組がコマーシャルに入ると、
「右近、明日は何時頃出かけるんじゃ?」
ばあちゃんが脳天気に話しかけてきた。
とりあえず手込めシーンは忘れることにして、
「えっと…8時頃迎えに来るとか言ってたっけ」
「ふむふむ、ならば楽勝じゃな」
「はあ?」
「儂が5時起きで弁当を作ってやる」
「ばあちゃんたら…いいよそんなの」

 先生のことだから、きっとお昼はどこかへ予約をいれているはず。それ以外にも、一日の予定はびっしりつまっているだろう。

 しかしばあちゃんは意外に頑固で、
「今までさんざん世話になったお礼じゃ。わしにも何かさせておくれ」
「ばあちゃん…」
「実はな、もうそのつもりで材料も買うてある」
着物の衿をぽんと叩いてにっこり笑うばあちゃんに、私は『いらない』なんて言えなかった。
予定を変えてしまうのは申し訳ないが、ばあちゃんの気持ち、きっと先生もわかってくれるかな。

「ところで明日の天気はどうじゃ?」
ばあちゃんはそんなことまで心配している。
私は手近にあった夕刊をがさがさと広げ、
「うん…晴れのち曇り、時々雨だって」
「本降りにならんといいな」
「そうだね…」

 しみじみうなずき合ったところで、ふたたび画面に助さんと角さんが出てきた。『お艶さん』も加わって派手な立ち回りが始まった。TVに集中してしまったばあちゃんの横で、

(鎌倉か…)

 私は胸の中で呟いた。
あれは明和何年だったっけ。車も電車もないあの頃、殿や小姓達とのんびり出かけた江の島詣が懐かしい。

 越後の荒々しい海とは別世界の、明く晴れやかな湘南の海。

 波の音や潮の香は今も同じだろうか…。




 翌朝、結城先生は8時の時報と同時にうちの玄関先にやってきた。国税局に勤める父と微妙すれ違ったのは幸いだった。父と先生は今いち相性がよろしくない。父は先生が私を無理に院に引き止めたせいで、就活をやめたと思っている。

 ドアを開ければ、先生は「櫻田くん、おはよう」と爽やかな笑みを見せた。
大学で見るよりもカジュアルな、春らしい装いが良く似合っていた。
「おはようございます。あ、ちょっと上がって待ってていただけませんか?」
「え、まだ仕度できてないの?」
そのまま出かけるつもりだったのか、先生が小首をかしげた。
「ぢつは…ばあちゃんが弁当を作ると言ってきかなくて」
私が小声で告げ口すると、
「何か言ったかいっ?!」
台所からすかさずばあちゃんの声がとんだ。

「…すみません、先生。夕べ突然言い出したもので」
上目使いに表情を伺うと、
「え、ああ」
やはり、先生の顔にちらりと落胆の色が浮んだ。
きっとお昼は懐石かフレンチでも手配していたのだろう。
先生のこんな顔を見てしまうと、ばあちゃんにはっきり断ればよかったと後悔する。

「なんの、構わないよ」
「先生…」
さすがに先生は大人の余裕を見せた。
先生は優しい目をして鷹揚にうなずき、
「せっかくのお気持ちだ。なに、午後まではお天気も持ちそうだから、どこか外で食べよう」
「…ありがとうございます」
本心ではあちゃーと思っているくせに、先生はばあちゃんの顔をたててくれた。
ちょっとポイント高いかもしれん。

 そういえば、『殿』にもこんなエピソードがあった。夕餉の海老しんじょうの中に虫が入っていたときも、当番の小姓をかばって殿は何食わぬ顔でやりすごした。殿様が騒ぎたててしまえば、その小姓は切腹だ。できた藩主なら逆に家臣を思い遣り、事を穏便にすませる努力をしたものだ。

 もっとも虫嫌いの殿は後で私にこっそり打ち明け、『あれ以来、碗の蓋を取るのがおそろしゅうてならぬ』とこぼしていたが。

 今生の結城先生も良い意味での坊ちゃんで、基本的に人にやさしい。殿と同じおおらかさを感じる。八方美人で実がないという批判もあったが、私はそんな風に思ってはいない。大方、玉の輿を狙って玉砕した女生徒の陰口だろう。

 もう一度上がるように先生に促したところ、
「結城先生、朝早うからご苦労さんです」
ばあちゃんが風呂敷包みと魔法瓶を下げて台所から出てきた。
「おはようございます」
先生が丁寧にばあちゃんに頭を下げている。
「おや、重箱ですか?」
「うふふ」
「豪勢ですね」
「穴子ちらしじゃ。婆の手料理じゃが味は保証する」
「ありがとうございます、では遠慮なく」
先生は笑顔で包みを受け取り、何やらばあちゃんも嬉しそうに先生を見上げている。
私は部屋へ戻ってジャケットを取ってくると、いよいよ出かけるつもりで靴を履いた。
ばあちゃんが小柄とはいえ、団地の玄関に大人三人集結すると、いきなり手狭になった。
自然と先生はドアを開けて、ひと足先に外へ出ようとした。

 鉄のドアが重そうに開いた時、
「結城先生、帰りは遅うなるのか?」
本日の目的を見透かしたかのような、なにげに鋭いばあちゃんの問いだった。
先生の首筋に『ぎくう…』と緋文字が浮んだように思えた。
微妙な間があいた後、先生が答えた。
「いえ…ほどほどの時間には右近くんをお送りするつもりですが」
声が掠れて聞こえるのは、私の気のせいか。
ばあちゃんは人なつこい笑みを浮かべ、さらに突っ込んできた。
「いや、若い娘じゃあるまいし、遅くなろうが別に構わんのだが…晩飯をどうしたものかと」
「夕食は…そうですねえ…」
ますます追い込まれたような先生をみかね、
「ばあちゃん、そんなの道の混み具合次第だから…何ともいえないよ」
私は助け船を出した。
言いながら、先程の妄想、お城のごとき建物が脳裡に浮び、私は伏目がちに唇を噛んだ。
ばあちゃんは下からずいっと私の表情をうかがった。
「おや右近。どうしたね。顔が赤いよ」
私はぷるぷると頭を振ると、
「とりあえず、晩ご飯の心配はしなくていいから!」
「そうかい?」
ばあちゃんは意味ありげにふふんと笑った。

(何だい、ばあちゃんたら…)

「さ、先生いきましょう」
私はそそくさと先生の背中を押すようにして、ドアの外へ出た。
「では。行ってまいります」
先生は肩ごしに丁寧に挨拶していたが、私は構わず先生の肘をとって促した。

「気をつけていっといで〜」
ばあちゃんの腹に一物チックな声に送られ、私と先生は車で団地を後にした。
 

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素材は『十五夜』さんからお借りしています。

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