大根と絵双紙
(『重陽』3のおまけ)


主な登場人物
by 戸田采女

「三郎ぎみ、この先のお堂で少し休んでいきましょうか?」
「うむ、そうじゃな」
「確か近くに湧水もあったはず。馬にも水を飲ませてやりましょう…」

 馬上のふたりはにこやかに笑みを交わし、街道脇の小道へと馬を進めた。




 稲刈りも終わり、山がまばゆいほどの錦に染まり始めた。

 その日も朝早くから、三郎・誠之進主従は仲良く轡(くつわ)を並べて溝口家の知行地へ赴いた。一昨年の洪水で打撃を受け、誠之進が用水路の普請を差配した村へ、今年の作柄を調べにいったのだ。代官を伴った視察の後、庄屋の家に招かれたふたりは、心づくしの昼餉を馳走になった。収穫したばかりの新米に、山で採れた茸や栗、野菜の煮物に川魚。里の素朴な料理にふたりは舌鼓を打った。

 庄屋の娘の酌を受けながら、
「善兵衛、ほんに今年は豊作でよかったの。この分なら年貢米を納めたのち、余った米は大坂で高く売れそうだな」
誠之進が満足そうに微笑んだ。
「はい。それもこれも誠之進様のおかげにござります」
「なに、皆がよう働いたからよ」
苦笑しながら誠之進はゆっくりと杯を干した。

 上座から誠之進と庄屋の善兵衛のやりとりを見つめながら、三郎は誇らしさでいっぱいになった。

 二年前の洪水の時。当時三郎は十四歳。九歳で城へ引き取られて以来、誠之進とは一日たりとも離れたことがなかった。それが洪水の後、家老の父・溝口主膳の命で誠之進は視察に出かけ、長期間館を留守にすることが多くなった。三郎がまだ子供だと思ったのか、誠之進は役目の詳細を知らせてくれず、三郎は随分淋しい思いをしたものだ。

 後日、中老の堀隼人丞から聞いた話では、誠之進自ら領内の村々に出向き、被害状況を調べ、用水路普請の優先順位を決め、勘定方に資金の割り振りを指図したらしい。

 お上の権威でもって強引に事を運ぶこともできたが、誠之進は庄屋たちと直に会い、被害軽微で後回しにされた村には、不満が出ぬように領内の状況を懇切丁寧に説明したという。その介もあって、誠之進は村々で今や大きな信頼を勝ち得ていた。

 溝口家の知行地のひとつである善兵衛の村は、後回しにされた口であった。それだけに誠之進としては今年の作柄が気になっていたのである。

 三郎への誠を貫くため、一度は藩を捨て、三郎とともに出奔しようとした誠之進だ。しかし領民たちに慕われ、頼りされる誠之進の姿を見るにつけ、三郎はしみじみ思うのだった。

(あの時…慶次郎が今町湊まで追いかけてきた時……本当に引き返してよかった。
あのまま船で蝦夷へ行っていたら、一体どうなっていただろう…。
やはり誠之進はこの高山の地にあってこそ、己の生をまっとうできるのだ。
藩士、領民のためにも…誠之進はやはり家老として、高山にいなくてはならぬ男だ…)

 夏の出奔を機に、三郎の誠之進へ想いは大きな変化を遂げた。ただひたすら慕い、誠之進の愛に包まれたいという幼い恋心が、誠之進の幸せや生き甲斐を考え、誠之進を守りたいとすら思う、より深い愛情へと姿を変えつつあった。
 
 だがそれは、誠之進の役目や社会的立場を慮りという意味だ。何といっても誠之進命の三郎。誠之進を誰にも取られたくないという独占欲はまた別の話し。

 庄屋の善兵衛との会話は心地よく、三郎も楽しいひとときを過ごしていたが、ひとつだけ気に入らないことがあった。善兵衛の娘をはじめとし、年頃の娘たちがこぞって給仕に出てくる。娘たちが微かに頬を染め、誠之進をちらちら盗み見るのが面白くない。ほとんど条件反射のように、娘たちを横目でちらりと睨んでしまう。

「三郎ぎみ…いかがされました?」
「え…ああ」
庄屋の善兵衛に突然声をかけられ、三郎は箸を手にしたまま思わずかたまった。
娘を睨んだのを見とがめられたかと、三郎は冷や汗をかいた。
「何か…お嫌いなものでもございましたか?」
「いや、どれもこれも美味しくいただいておる」
三郎が慌てて笑みを浮かべると、
「ならば結構でございますが…」
善兵衛は相好を崩し、誠之進はくすりと笑みを洩らした。

(わかっていたのだな…、誠之進)

 三郎はばつが悪そうに俯くと、ひたすら大根と茸の汁をすすった。




 街道から少し脇道に入ったところに古いお堂がひっそりと立っていた。結城家の前の殿様の時代、もう百年以上も昔からあるらしい。周囲は深閑とした林が広がり、高い枝から時折山鳥のさえずりが聞こえた。風雨に曝された縁側は多少痛んではいたが、村びとたちが手を入れているせいか、建物自体は小さいながらも堅牢なものだった。

 誠之進と三郎は裏の林の泉で喉を潤すと、馬にも水を飲ませたのち適当な木につないだ。お堂の縁側に並んで腰を降ろし、ふたりは紅葉の始まった林をぼんやりと眺めていた。城まではあと一里ほどの道のりだ。慌てなくとも夕刻までには城に戻れるだろう。

 無言で肩を寄せあいながら、三郎はそっと誠之進の手をとった。
「いかがなされました?」
目顔で問いながら、誠之進も三郎の手の上に己の手を重ねた。
「ん…今年は豊作でほんによかったな」
「はい。さすがに凶作が三年続いては、まこと、難儀なことでござりました…」
三郎はこくりとうなずき、ほんの少し頬を染めて誠之進を見上げた。
「誠之進…」
「…何でござりますか?」
「我らのことも…父上からお許しがでたし…」
「はい。まことにありがたき幸せにござります」
大真面目でうなずく誠之進に、三郎はおずおずと切り出した。
「その…むろん、そなたにはいつでも私の側にいてほしいが …、そなたも次の筆頭家老として、その…いろいろと仕事が…」

 伝えたい思いがすっきりと言葉にならない。
三郎がもどかしげに続けようとすると、
「それは当然…忙しくなりまする。若のお守ばかりしてはいられませぬぞ」
誠之進は口元に笑みを浮かべ、優しく諭そうとする。
「…わかっておる!」

 わかっておるから、こうして自分のほうから言おうとしているのに。誠之進に先に言われては、理不尽と知りつつ何やら腹が立つ。

 ふいと横を向いた三郎に、
「なれど、若と過ごす時間は必ず作りまする…」
誠之進は艶のある低い声で囁き、三郎の肩をそっと引き寄せた。
間をおかずに誠之進の唇がゆっくりとこめかみに降りてきた。
しっとりと押し当てられ、そっと離れていく温もりを、三郎は全身で追いかけてしまう。

 誠之進のふっと笑う気配が伝わり、三郎はほんの少し悔しく思った。

 自分ももう十六歳。

 夏の出奔以来、三郎は自分と誠之進の将来を真剣かつ現実的に考えるようになった。本田家との養子縁組は、誠之進が身を賭して阻んでくれたおかげで、父・信輝公も悩みぬいた末、破談と相成った。

 もう養子にはいかなくてもいい。分家を起こせるよう嫡子・惣一郎に相談すると父は約束してくれた。

 それだけでも十分に三郎の望みは叶ったのだ。

 されど偽らざる本心は、

 西の丸の館でいつまでも誠之進と供に暮らしたい…。

 いずれ元服して分家を構えれば、誠之進と同じ館で暮らすことはもはや許されぬだろう。誠之進にも国家老としての体裁や立場がある。

 他国へやられることを思えば、それくらいは我慢しなくてはならない。同じ城下にいれば…会おうと思えばいつでも会えるのだ。

 自分とて、いつまでも誠之進に甘えていてはならぬ。

 何処ぞの誰かに誠之進の足をひっぱるなどと、断じて言われたくはない。

「若…?」
黙りこんでしまった三郎の顔を、誠之進が気づかわしげに覗き込んだ。
「いかがされました?」
真摯な眼差しで見つめられ、三郎の胸がとくんと高鳴った。

 それをきっかけに身体中が一気に熱く脈打ち始めた。

 二人の仲を父・信輝公に暗に許されて以来、誠之進は再び西の丸の離れで暮らしている。もはやふたりが恋仲というのは公然の秘密だったが、さりとて全く人目を気にしないわけにはいかなかった。むしろ、周囲の暗黙の了解ゆえに、二人はかえって身を慎む結果となっていた。

 三郎の肩から二の腕を撫でる誠之進の手にも、だんだん力と熱がこもっていった。久しぶりの予感に三郎の胸が震える。

 もう待切れぬ。自分からしがみついてしまおうと思ったとき、誠之進の唇がゆっくりと重なってきた。軽く啄むように触れ、三郎の上唇を甘噛みすると、誠之進は一旦身をひいて三郎と目を合わせた。

 熱っぽい鳶色の瞳がじっと自分の目の奥を見つめている。

 瞳だけでなく、身体の奥の潤みまで看破されてしまったようで、三郎は羞恥に身をすくませた。
誠之進は目を細めると、
「三郎ぎみ…ここでは人目につきます。お堂の中へ…」
「そのようなことをして、ばちが当たらぬか?」
「あとでしっかりお参りしておきましょう…」

 三郎は俯いたままうなずき、誠之進に手をひかれてお堂の中へ入っていった。




 小さなお堂の中は村びとが丁寧に掃除しているらしく、クモの巣ひとつなかった。御神体にもきちんとお供えがしてある。まことに罰当たりな所行と知りつつも、素直に求めてくる三郎に誠之進も我を忘れた。

 さすがにお堂の中で全裸で睦みあうのは憚られ、袴だけを脱ぎ、着衣のまま下帯を緩めただけで交わった。誠之進が壁際に腰を降ろし、自分の上に三郎を乗せ、思うさま突きあげて泣かせた。

 城まであと一里は馬に乗って帰らねばならない。最初は手加減するつもりだったが、ひとつになってしまえば、案の定、理性のたがが弾けとんだ。

 三郎の腰を両手でつかみ、ゆっくりと深く抉るように腰をうごめかせ、時には腹側の…三郎が泣いて許しを乞う場所を小刻みに刺激する。奥まで楔を打ち込んだまま、慎ましい胸の突起を口に含んで愛撫すると、三郎は甘く息を乱して誠之進の肩にしがみついた。

 漏れる喘ぎと番った部分からの湿った音が、薄暗く狭い空間に響きあい、充満した。

 その音にすら煽られ、誠之進も三郎も忘我の瞬間目指してひた走った。

「んっ…あぁぁぁ…誠之進っ…」
「若っ…」
押し殺したような呻き声をあげ、誠之進は三郎の中に放ち、三郎も誠之進の下帯を溢れる蜜で濡らした。




 肩で喘ぎながら身体を預けてくる三郎を、誠之進は優しく抱きとめ、背中をゆっくりとさすってやる。精を放った後の開放感、虚脱感が引き潮のごとく去っていくと、愛しさがひたひたと誠之進の心に満ちてきた。

「三郎ぎみ…」
汗で湿った前髪を指先ですいてやると、三郎がゆっくりと顔を上げた。
三郎は満たされた眼差しで、恥ずかしそうに誠之進を見つめていたが、
「あっ…」
突然、鋭い声をあげた。
 
「せ、…誠之進、あそこ…」
三郎の指差すほうを、誠之進は肩越しに振り返った。
「葉っぱのようなものが揺れておる…」
「ん…?」
目を凝らせば、格子窓の間で大根葉がゆらゆら揺れていた。
呆れながらも状況を察した誠之進は、無言で三郎を膝の上から降ろした。
ぐったりと壁にもたれかかる三郎に、
「しばしお待ちを…」
と声をかけ、足をしのばせて入口の格子窓に歩みよった。

 誠之進の足音を聞き付けたか、大根葉がぱっと窓から離れた。慌てて正面の階段を、どたどたとかけ降りる足音が続いた。

 「待て! 何者じゃ!」

 誰何(すいか)の声をあげ、誠之進は観音開きの扉を開け放った。
大根の入った駕篭を背負った百姓娘がふたり、一間ほど先で足を踏み出した姿勢のまま固まった。
「そなたら…そこで何をしておる」
誠之進とて濡れ場を見られたのだ。動揺しないわけがない。声の震えを懸命に押さえ、低い声音で尋ねた。
もはや逃げるに逃げられなくなった娘たちは、こわごわと誠之進のほうへ向き直り、
「お、お許しくだせえ!」
ふたり揃って地面に平伏した。
慌てておじぎをしたため、大根が二、三本、ゴロゴロと駕篭から転げ出た。
「お、おらたち、のぞき見したわけでねえ!」
「んだ、んだ、何も見てねえぞ」

 たとえ見ていなくとも、三郎ぎみの可愛い声も何もかも、そこで一部始終を聞いていたわけだな…。

 絶句するとはこのことかと、誠之進は眉尻を下げて溜息をついた。
誠之進は縁側に出ると後ろ手にお堂の扉を閉めた。
腕組みをしてふたり見下ろし、わざと低く恫喝するように言った。
「偽りではないな。『見てはおらぬ』と申すなら、断じて口外してはならぬぞ」
娘の口に戸はたてられまいと思いつつ、誠之進は一応念をおした。
ふたりはふるふると頭を振り、口々に叫んだ。
「ご、御安心くだせえ。おら、おっとうにもおっかあにも、誰にもいわねえ!」
「おらたちは…決しておふたりのことを絵双紙に書いたりなんぞしねえから、安心してくだせえ」

「え…絵双紙?」
思わず言葉尻を捕らえた誠之進に、ふたりがはっとして目を見交わした。
「いったい何のことだ?」

「ばか! 余計なこと言うんでねえ!」
年嵩の娘がぽかりと相棒を叩いた。
「な、なんでもねえです !」
娘たちはぺこりと一礼すると、今度こそ脱兎のごとく逃げ出した。

「おい、大根はいかがする?!」
駕篭を背負った背に呼びかけたが、ふたりはもはや振り返りもせず、街道へ続く小道をひた走っていく。やがて娘たちの姿は米粒のように小さくなっていった。

 誠之進は肩で大きな溜息をついた。

 まったく…。
斯様なところを見られるとは…近頃の娘たちときたら油断も隙もない。

 しかし絵双紙とは何のことだ?

 誠之進が腕組みをして首をかしげていると、
「誠之進…何事じゃ」
三郎がお堂の中から誠之進を呼んだ。
誠之進はふたたび中へ入ると、
「百姓娘がうろうろしておりました。お堂の中で物音がするので、狐でも出たかと思うたそうです」
「え…では見られたのか?」
三郎の頬にさっと緊張が走った。
「いえ…今しがた通りかかったばかりのようでした」
誠之進は三郎を安心させようと、ほんの少し話を偽った。
「ご心配には及びませぬ」
お堂の扉を閉めて三郎の側へ歩みよった。
床に膝をつき、誠之進は身を屈めて三郎のこめかみに口づけた。

「さあ、そろそろ我らも仕度をして参りましょう」
「う、うん…」
三郎はまだ娘たちのことが気になるらしく、不安げに瞳を揺らしている。
誠之進とて『絵双紙』のことが気がかりだったが、この場は何食わぬ顔で帰り仕度をはじめた。

 着流し姿の三郎を裏の泉へ連れてゆき、ぬれ手拭いで手早く身を浄めた。三郎は羞恥と水の冷たさに、もういいからと泣き出しそうな顔で哀願する。その表情があまりにかわいらしく、誠之進はまたもや催してくるのをぐっと堪えた。三郎に袴をはかせ、自らも身支度を整えると、誠之進は腰に大小を帯びた。

「では参りましょうか?」
「うん…」

 誠之進は娘たちの落としていった大根を拾い、お堂の御神体にお供えする。
二、三度柏手を打ち、合掌。三郎も誠之進にならった。
お堂で不謹慎な行為に及んだことを詫び、この埋め合わせは必ず、と首を垂れた。

 山の稜線の彼方、西の空が茜色に染まり始めていた。

 主従はふたたび仲良く轡をとると、林を抜け、秋たけなわの北国街道を高山城下へと進んだ。


おわり



+溝口兄妹のひそひそ話+

慶次郎:なんと兄上、絵双紙のことを御存知なかったのですか? これまた呑気な(;^^)
志保:縁日や馬市で売られておりまする。武家、町人はもちろん、農家の娘さんたちも花や野菜と引き換えにたくさん求めてゆかれまする。ほら、私もここに二、三冊…うふふふ。
慶次郎:特にこの夏はたくさん出回ったらしいですぞ。『若君との愛の逃避行』とくれば、それはもう、娘たちがとびつくに決まっておりまするなあ…はっはっは。
志保:これで雪深い冬の間も、みな退屈いたしませんわねえ。娯楽ができてよろしゅうございました。
慶次郎:まったくじゃ。この絵双紙作り、いずれわが藩の産業として手厚く保護せねばならぬ…。

(家老の誠之進が宰相なら、慶次郎は経済産業大臣あたりが適任ですかね。なにはともあれ兄妹仲良く…)

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イラストは『薫風館』さんからお借りしています。

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