3.一年の計は…

 流石にマンションへ戻る頃には、指先が冷たくなっていた。部屋に入るなり、
「先生、熱いお茶でもいれますね」
右近は速攻で暖房のスイッチを入れると、キッチンへ向かい、やかんを火にかけた。

 私もひとくち暖かいものが欲しかったが、それ以上に邪な気持ちがどうにも押さえがたくなっていた。年末の大掃除で右近が疲れていたものだから、この三日ほど右近に触れていない。一日中忙しく立ち働いたあと、布団に入るなりすやすやと爆睡されては、悪さなどできるはずないだろう?

 すでにお預けをくらって悶々としていたところへ、楚々とした着物姿で「先生…私の運をあげますよ…」などと、男心を鷲掴みにするようなことを言われたら…。もはや一刻の猶予もならないのだった。

 もちろん、右近の前では、そんなことはおくびにも出さない。

 私は右近がお茶の仕度をしている間、こっそり和室を片付けにいった。ちょうどいい具合に陽が傾いて、奥の和室は薄暗くなっていた。まずは暖房をつけ、お気に入りの行灯型ランプを押し入れの奥から引っ張り出す。電源を入れてみた。ふむ…ほの暗い和室にはぴったりの間接照明だ。中身はもちろん電球だが、シェードは絹張りで、あっさりと花鳥風月が描かれている。これまで着物Hの機会がなかったが、ようやくこの行灯も日の目を見るというものだ。

「先生、ほうじ茶か煎茶、どちらにしますか?」
お湯が沸いたのか、キッチンから右近の声がかかった。
「そうだねえ…ほうじ茶にしようか」
「はい」
本当はお茶などどうでもよかったが、適当に応えながら、今度は秘かに寝室に向かった。サイドテーブルから目当てのチューブを取り出すと、袂に忍ばせてリビングへ戻った。

 右近はすでにソファに腰掛けて、私を待っていた。
姿を見るなり、湯のみに茶を注いでくれる。
「先生、成城のお宅(惣一郎の実家)へは何時頃行くんですか?」
「成城…?」
「あれ、元旦の夜はあちらへ顔を出すんじゃなかったの?」
「ふむ…そんなこと言ったっけ?」

 私は右近の隣に腰掛け、一口茶をすすると考えこんだ。

 電話で母とそんな話をしたような気もするが…。私には私の正月のプランがあるのだ。

 怪訝そうに見上げる右近に、
「…まあ、別に今日じゃなくてもいいさ。約束したわけじゃなし」
「でも…」
俯きかげんで右近も一口茶を飲んだ。だが、どうしても行こうとは言い出さない。

 まあ夫の実家など、好き好んでいきたい嫁はいないだろう。恥ずかしながら、うちの母親、真紀子さんは『帯刀』のマスターの向こうをはるくらい強烈なキャラだ。私の母だから大切にはしてくれているが、右近としてはできれば距離を置いておつき合いしたいタイプだろう。

「結婚して初めての正月だよ。元旦くらい、二人きりで過ごそう…」
「…先生がそうおっしゃるんなら」

 薄く微笑んだ右近が、なんとなく安心したように見えた。

 私は ことり、と湯のみをテーブルに置いた。
 
 右近の手からもそっと湯のみを取り上げて、テーブルの上に戻した。
右近がぼんやり見上げたところを、隙を与えず、肩を引き寄せて唇を重ねた。柔らかく唇を吸いながら頬を撫でる。部屋へ入って暖まり、冷たかった肌に、ようやく温もりが戻ってきたところだった。

 ああそういば、キスに漕ぎ着けるまでも、なんと長い道のりだったことか…。誘い出すように舌を絡めながら、私は右近に出会った頃のことを思い出していた。


 入学式で新入生の列に右近を見つけた時、一目で恋に落ちた。
彼の美貌に私は心臓を射ぬかれ、一発で白旗をあげた。もう無条件降伏である。

 容姿が優れているだけでなく、右近は十年にひとりの秀才といわれ、教授陣の期待を一身に集めていた。私は教官として評価してもらいたい一心で、右近の入学以来、授業の準備にもこれまで以上に熱が入った。やがて私のゼミに右近が入ってきたときには、小躍りしたものだ。

 何が何でも彼を手に入れると心に決めていた。そうするのが私の人生において必然のように思えた。

 陳腐ないい方だが、恋とは本当に「落ちる」ものだと、右近と出会って大いに納得がいった。
恋愛観は人それぞれで、「じっくり付き合っているうちに相手の良さがわかり、憎からず思うようになる…」、とおっしゃる御仁もおられるだろうが、私にいわせれば、それは恋とは別物だろう。「一目惚れなど、すぐ覚める」と反論をくらいそうだが、なんの、私はあしかけ七年、彼の成長を見守りながら辛抱強く想い続け(『しつこく』の間違いとちゃうんか?)、この秋ようやく結婚、入籍とあいなった。

我ながら、徳川家康のような粘り強さだった。自分を褒めてやりたい。


「ん…」
軽く触れあうような口づけから、舌を深く絡ませる濃厚なキスへと移る。右近の頬や項の体温が上がってきたのを見計らい、私は着物の衿に手をかけてゆっくりとくつろげた。
「あ…先生…」
キスだけなら大して抵抗もしなかった右近だが、私が先へ進もうとしているのを察知し、戸惑ったように瞳を揺らした。

 こういう表情の時は大丈夫。本気で嫌がっている時、右近は氷のような冷たい目で一瞥するだけだ。おまけに右近は細身ながら剣道三段の腕前だ。優男の私が力で組み伏せるのは、実は結構難しい。

 この様子ならいけそうだ、と判断し、私は右近の襦袢の下に手を忍ばせ、胸の飾りを軽く弄んだ。マグロの割に右近は感度抜群である。洩れそうになる喘ぎを堪え、長い睫を伏せた。

 夫婦なんだから、今さら、である。慎み深い右近は、昼間から行為に及ぶことに抵抗があるだけだ。はやる己が下半身を抑えて、右近が羞恥をかなぐり捨て快楽に泣くまで…辛抱強く愛してやればいい。

 肩が露になるほど、さらに衿を大きく開いた。ああ、白い肩にくらくらする。やはり着物はいい…。

(正月早々裏へいきたい親不孝な貴女は、隠しリンクを見つけてgo!)








 一年の計は元旦にあり。

 の、はずなのに、元日早々こんなことに巻き込まれてしまった。今年一年が思いやられる。 

 終わってからも、くちゃくちゃの着物の上で、私と惣一郎はごろごろ抱き合っていた。
せっかくばあちゃんの縫ってくれた着物が…とも思ったが、交わった後のかったるさが妙に心地よくて、うるさく文句を言う気は失せていた。

 惣一郎は私を胸の中にくるみこむように抱いている。起きているのか眠っているのかわからないが、いかにも満足しましたという顔が、見ていて可笑しい。

 修士課程修了と同時にプロポーズされ、熱心に口説かれてついに入籍?してしまったが、別に悪徳セールスマンに押し切られて一千万の壷を買わされたわけじゃない。修論の指導中はセクハラめいたことはいっさいされていない。そのあたりのけじめは立派だ。

 本命のH大を受験し損ね、滑り止めで入学したK大で、最初に出会った瞬間から惣一郎が何者かわかっていた。そして、再びこの男と生きることになるのだろうか…。多分また…この憎めない男のことを放っておけなくなるだろう…。心のどこかでそんな気がしていた。

 結婚生活、それもホモの夫婦とまっこうから名乗りをあげての生活は、いささか珍妙ではあったが、御近所や職場は惣一郎の悪びれない迫力に圧倒され、今のところ二人をとやかく言う人間はいない。みんな「結城先生の奥さん」に親切にしてくれる。

 かつて三郎がそうであったように、今生の自分は他人の好意を集める「徳」に恵まれているのかも、とちょっぴり嬉しかったりする。

 何だか、惣一郎が妙に愛しくなった。
「惣一郎…」
改めて名前を呼び捨てにしてみた。
惣一郎はぱっちりと目をあけ、嬉しそうに顔をこちらに向けた。なんだ、やっぱり狸寝入りか。
「明日は…成城へ顔出さないといけないね」
「…明日、ね」
額と額をこつんとぶつけて、ちいさく笑いあった。
「三日は家のほうへも来てくれるかな? ばあちゃんも待ってるし…」
「ああ、もちろんだよ。着物で行ったら喜ぶかな」
「うん…きっと」

 私は惣一郎の身体に両腕を回し、自分からきゅっと抱きしめてみた。
みるみるうちに相手が元気になったのを、腿のあたりで感じた。
「分かりやすい人だ…」
くすくす笑い出したところを、唇で優しく封じられた。

 惣一郎の肩越しに行灯もどきが見える。
何度見ても、あの電気コードはいただけないな…。
来年は、本物の行灯に本物の火鉢を用意して…。

 ふるふる。ちが〜う!

 新春マラソンでもいい。富士登山でもいい。来年は、もっと清清しい元旦を過ごすのだ。
こんなただれた正月は新婚の今年限りだぞ。来年までに…この男、ちゃんと躾直して…あ…う、んん…。え…あ、やばい…また…。




おわり




結城夫妻の新婚初のお正月、いかがでしたか? 今回の「初春や」は「春はあけぼの」スタート時点の三ヶ月ほど前の話です。右近もまだ惣一郎を先生と呼んでいたり、大分ネコかぶってますね(^^)。一方の惣一郎、意気込みは「鳴かせてみょう」なんですが、結局は「鳴くまで待とう」モードになってしまうのね。だって気の毒なくらい、右近にべたれですから…。しかし、あのおみくじ「凶」の意味は? いずれ「春はあけぼの」で明らかに!






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イラストは『薫風館』さんからお借りしています。

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