2. わくわく初詣

 右近の心尽しのおせちや雑煮を食べ、日本酒でほどよくあったまった頃、
「先生、洗いものが済んだら初詣にいきませんか?」(もう『先生』に戻っている…)
割烹着姿でシンクの前に立つ右近が、こちらを振り返った。
「おまえ、どうしても行きたいのかい?」
ソファに座ったまま問いかけると、
「だって、いいお天気ですよ。これなら着物で出かけても寒くないし…」
「うーん、でも今日はどこへいっても混んでるよ?」

 私、結城惣一郎は元旦は家でのんびり、初詣は三日くらいでいいと思っている人間だ。何も好き好んで人混みの中へ出かけていかずとも、暖房のきいた部屋で、ゆっくり大人の楽しみを…などと、元日早々いささかよからぬことを考えている。

 そんな企みを知らない右近は、
「何も明治神宮へいこうってわけじゃないし…、近くの白○神社でいいじゃないですか?」
手早く洗いものをすませ、割烹着を脱いでリビングへやってくる。

 今朝、元旦だし和服を着ようと右近がいいだした。まず私の着付けをしてから、自分は寝室へこもって着替え、リビングに戻ってきた。右近がとびきりの美形なのは今に始まったことじゃないが、初めて見る着物姿に私は正直目眩がした。錆納戸という少しくすんだ青色の紬が、右近の透き通るような肌を嫌が上にもひきたてている。襟元や項のはっとするような白さもだが、角帯の下、きゅっと締った腰の線が堪らないのだ。紺足袋の上の白いふくらはぎが、歩く度にちらっと覗き…。

 うーん、近所へ初詣か。
着物姿の右近をみせびらかしたい気もするが、こんなものを他の男や女どもに見せてなるものか、という気もするし…。

 気がつけば、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。

 そんな人の気も知らず、すっかり外出の支度をした右近は、玄関でごそごそと履物を用意し、羽織りを持ってこちらへ戻ってきた。
「ほら、これを着て」
嬉々として後ろから羽織りを着せかけられ、もはや行きたくないとは言えなくなった。
右近の好きにさせていると、今度はカシミアの襟巻きを持ってきて、ていねいに巻いてくれる。

(ま、しゃーないか)

 世間では『包容攻め様』と呼ばれている私だ。初詣に行きたいという妻の望み…。聞いてやらぬわけにはいくまい。何のかんの言っても、私は右近に甘いのである。お楽しみはお参りの後でもいいかと、ほとんど右近に手をひかれるようにして、私は部屋をあとにした。




 着物で表へ出てみると意外に暖かく、洋装のようなごついコートなしでも平気なのが新鮮だった。右近のいう神社は駅の反対側にある。十五分ばかりのんびり歩いていくことになったが、やはりすれ違う人が皆、右近を一瞬うっとりと眺めていく。自慢なような、心配なような…。うう、これだから美人妻を持つと辛いねい!

 右近を振り返っていく人たちに、私はいちいち鷹揚に会釈した。

 この神社は初夏のあじさい祭りで結構有名らしい。独身の頃、一度、少し時期はずれに来たことがあるが、なかなか風情があってよかったのを記憶している。

 流石に今日は元旦で、たくさんの屋台が軒を列ねている。それなりに賑わってはいるが、どこぞのような押すな押すなの混雑はなく、私をうんざりさせるようなことはなかった。

 早速お参りを済ませ、お守りとおみくじを買っていると、
「おや、結城先生に奥さん?」
後ろから声をかけられた。
振り返れば、馴染みの豆腐屋の主人が細君と並んで立っていた。
商店街の池田豆腐店。グルメの間では知る人ぞ知る店だった。右近がそこの豆腐や生湯葉を気に入っていて、毎日のように通っている。

 「ああ、御主人」
右近がにっこり笑って応えると、
「明けましておめでとうございます。本年もどうぞ御贔屓に」
皺だらけの目もとをさらに和ませて、豆腐屋の主人と細君が微笑んだ。
「おめでとうございます。今年も元気で頑張ってくださいね」
「あ、ありがとうございます…」
ほとんど目を潤ませんばかりに、豆腐屋の主人が右近を見上げた。

 ふむ…。まさかこの老人がライバルとは思わないが、余程右近が気にいっているらしい。右近のほうも妙に優し気な目で豆腐屋の主人を見ている。内心首をかしげていると、同じ怪訝そうな表情の細君と目が合ってしまった。ふたり同時に苦笑したところがまた可笑しい。

 豆腐屋の夫婦は長話をすることもなく、挨拶を済ませると本殿のほうへお参りに向かった。再びふたりになった私達は、人気の少ない植え込みのあたりで、先程のおみくじを開いてみることにした。

 うっ…。凶だ。

 わ、私が何をしたって言うんだ。やっぱりクリスチャンだから神社に嫌われたのか? それにしても、新婚早々…あんまりじゃないか…。

 思わず肩を落として顔をしかめると、右近が脇から私の手元を覗き込んだ。おみくじを手渡すと、右近は一瞬、げっという顔をしたが、気を取り直して下の細かい字のところを読んでいる。代わりに右近のひいたのを手にとると、…なんと大吉ではないか。こ、このギャップはいったい…。ますます凹むしかない…。

 右近が私のおみくじから顔をあげていった。
「雨降って地かたまる…だって?」
今度は私が右近のを読み上げた。
「おまえのは…待ち人きたる。なんだこれ?」
ふたりは思わず顔を見合わせた。この組み合わせから何かを読みとろうとすると、ますます混乱した。

 右近は軽く笑みを浮かべると、私の手から自分のおみくじを取り返し、すたすたと社務所の横手の木に歩み寄った。何をする気かと後を追えば、自分のと私のおみくじをふたつ重ねて枝に結んでいる。
「…夫婦なんだから…私の運をあげますよ」
「右近…」
結び終わった右近が肩ごしに振り返った。蕾がほころぶような笑みにまたもや見とれた。
「足して二で割れば、小吉くらいにはなるでしょう?」
「右近…」
「…気にしちゃ、ダメですよ。先生」


 4コマ漫画なら、ここで『胸に手をあてて、じーん』である。

 今日から名前で呼んでくれと、朝あれほど言ったのに、右近はまた先生と呼んでいる。

 急に言われても無理ないか…。でも呼び方はどうあれ、私のことを想ってくれる気持ちがあれば、よしとすべきかもしれない。入籍までして、こうやって一緒に堂々と暮らしているのだ。愛していなければ、誰がこんなリスクを冒してまで、男同士で生きていく道など選ぶだろう?

 だが、右近はまだ一度も私に「愛している」と言ってくれたことがなかった。どんなに心を尽くされても、その言葉がないのは、やはり寂しいものだった。

 それも…いずれ時がたてば、自然に口をついて出るものだろうか? 待っていれば叶うことなら、私は待つよ。この先、何ヶ月でも何年でも…。

 「どうしたんですか…、先生?」
また切な気にじっと右近を見つめていたらしい。ああ、このまま抱きしめてしまいたい…。思わず一歩踏み出して右近を柔らかく引き寄せた。右近も逆らわず、しばらくじっとしていたが、

「せ、先生…」
「いいからじっとして…」
「でも…」
照れたというよりは、困ったように右近が呟いた。

 右近の視線の先を振り返れば、ふたりの周りに黒山の人だかりができていた…。




 「しょお〜ばいっ、はんじょお〜〜っ!」
野太い声に続き、どんがらがらがらがらっ、と派手に鈴が鳴った。威勢のいい柏手が続き、これまた重そうな500円玉が十数枚、賽銭箱の上を舞い、ばんばらりんと重量級硬貨にふさわしい音をたてて落下した。

 突然の大音声に人々の関心がそちらへ移った。これ幸いと私は右近の手をひいて、人だかりから抜け出した。そのまま境内を出て帰ろうと思ったが、

 「あら、惣ちゃん!」
先程の大音声が私の名を呼んだ。お参りをすませた着物姿の男がこちらを目指してまっすぐにやってくる。右近とは別の意味で、この男も皆の視線を集めていた。よくみれば決してぶさいくではないのだが、どちらかというと強面の顔に、一匹まるごと銀キツネの襟巻きが、笑いを誘う組み合わせとなっている。

 「先生…あの人知り合いですか?」
右近の声が『ひいて』いた。
私はまあまあとなだめながら、
「ああ…、商店街のはずれに『帯刀』ってバーがあるんだ。まだ連れていったことなかったな?」
右近は黙って左右に首をふった。
「そこのママというか、マスターだ」
「ま、まま?」

 右近の目が点になったところへ、『帯刀』のマスターはやってきた。
「惣ちゃんたら、あたしに挨拶もなしに帰ろうなんて、つれないわあ〜」
バリトンというよりはほとんどバスに近い音域で、この喋り方は強烈だ。
「すまんすまん、そういうつもりじゃなかったんだけど」
右近は思わず一歩二歩と後ずさりして、苦笑する私の後ろに隠れようとした。

 「で、その別嬪さんが、噂の『結城先生の奥さん』?」
マスターは好奇心満々で身を乗り出した。
右近には悪いが、私にも悪戯ッ気がおきて、右近を思わず自分の前に押し出していた。
「紹介するよ。パートナーの右近だ」
「は、はじめまして…主人がいつもお世話に…」
ほとんどひきつりながら、右近が頭を下げた。
「こちらこそ、はじめまして。御主人からお噂はかねがね♪」
マスターの浅黒く目鼻立ちのはっきりした顔が、ずずいと右近に近付いた。じっくりと検分するつもりのようだ。
「しかし、噂にたがわぬ美形だわね…。お肌もきれいで羨ましいわあ…」
大きな目で、しかも至近距離からウインクされ、右近はかたまった。
社交用の笑みを浮かべつつも、内心鳥肌をたてているのがよくわかった。

 「じゃあ、惣ちゃん、松の内があけないうちに、一度奥さんつれてお店にいらしてよ」
「ああ、必ずうかがうよ」
「きっとよん♪ では、ごきげんよう…」

 行くと約束したおかげで、マスターはあっさりとひきあげてくれた。雪駄を踏みならして、石段を下っていく。銀きつねの襟巻きと福笹を揺らしながら、マスターは豪快に去っていった。後ろ姿を見送りながら、私と右近はほぼ同時に肩で息をついた。

 顔を見合わせると、どちらからともなく笑いが込み上げて来た。

 「我々もそろそろいこうか」
「はい」
私は手近な屋台で鯛焼きをふたつ買うと、右近と一緒にかじりながら石段を下った。

 「ああ見えても、彼、内藤帯刀って言うんだけどね。バーテンとしての腕は一流だよ。下手なホテルのバーより、彼の作るカクテルのほうが数段上だ」
「へえ…あの人、そんなマッチョな名前なんだ…」
余程強烈なキャラだったのか、右近はまだ信じられないという顔で呟いた。
「もっと驚く話、してやろうか?」
「ま、まだ何かあるんですか?」
右近の反応が面白くて、つい私も口が軽くなってしまった。
思わず声をひそめて囁いた。
「…彼、元大蔵官僚だよ」
「…。う、うそでしょう?」
「主○局に勤めてたんだが…オネエがばれてねちねちと虐められ、辞職に追い込まれた」
「そ、そんな…」
「…ああ見えても、彼は相当頭もいいんだよ。仕事は…できたんじゃないかと思う。もったいない話だろう。だからお役所ってやつはだめなんだ」
「…ま、まさかT大出?」
「そりゃ、天下の主○局だからね」
右近はほとんど鯛焼きを喉につめそうになっていた。
軽く背中をたたいてやる。
「大蔵省時代に、接待で色んなとこ連れていかれてるからな。いい酒の味を知ってる。だから自分の店もこだわりを持ってやってる。酒だけでなく、あれでかなりの情報通だから話も面白い」
「なるほど…」
「『帯刀』は別にゲイバーじゃないんだよ」
「…何となく、わかってきました…」
「変わってるけど、いいやつだ。今度一緒に飲みにいこう」
「そうですね。たしかに強烈だけど、悪い人じゃなさそうだ」
可笑しそうに喉を鳴らす右近に、もはや嫌悪の色はなかった。


 腕時計を見ると三時を回っている。陽がかげり、少し肌寒さを感じるようになった。私たちは申し合わせたように歩を速め、暖かい我が家を目指した。


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イラストは『薫風館』さんからお借りしています。

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