十ニの巻「雪の華」2
〜湯殿の回想〜


by 戸田采女


 師走。例年のごとく、今年も城下は白一色に覆われ、武家の家族も内職をしたり、一日の大半を家の中で過ごす時期に入った。藩校は先月から休みに入り、三郎も乳兄弟の源蔵も、屋敷で勉学や歌舞音曲の稽古に励む日々であった。

 日によっては激しい吹雪に見舞われ、登城するのも一苦労。一歩外へ出れば、一間先は見えず、息もできぬほどの雪が吹き付けてくる。蓑をかぶっても何の役にもたたない。全身真っ白になり、叩いてもちょっとやそっとでは雪が落ちない。

 誠之進はその日どうしても外せぬ所用があり、三郎とともに暮らす西の丸の屋敷から本丸へ出仕した。城内を移動しただけにも拘わらず、西の丸に戻った時には身体中雪まみれ、袴は凍って棒のようになっていた。

 早く風呂に入って身体を暖めたかったが、折しも城下ではたちの悪い風邪が流行っており、西の丸の屋敷でも使用人が次々と寝込んでいた。

 主の三郎が元気なのは喜ばしいことだが、ここ数日、人手が足らなくて誠之進は頭を抱えていた。今日も下働きの数が足らず、風呂の用意がまだできていないようだった。誠之進は仕方なく着替えだけ済ませると、とりあえず炬燵で暖を取った。

 普段日が高いうちは酒など飲まぬ誠之進だったが、こう寒くては仕方あるまい。炬燵にあたって燗酒を一本あけた。さすがに一杯機嫌で炬燵にあたっていると眠くなる。

 三郎の部屋に顔を出さねばと思いつつも、なぜか今日は気が緩み、炬燵でうたたねをしてしまった。




 「誠之進様、誠之進様…」

 遠くで名を呼ばれたような気がした。誰かがゆさゆさと肩を揺さぶっている。なんだ、五月蝿いのうと、重たい瞼をあけると、お福が炬燵の側に座り、誠之進を起こしにかかっていた。

 「…お福、いかがした?」
寝ぼけ眼で答えると、お福が思い詰めたような、申し訳なさそうな顔で切り出した。
「…実は源蔵も、例の風邪をひきこんでしまったようで…昼前からふせっております」
「何、それはいかんな。熱が高いのか?」
「はい…。ただでさえ人手が足りなくて困っておりますのに、申し訳ござりませぬ…」
「発熱しているのなら仕方あるまい。今日は休ませてやれ」
「ありがたきお言葉にごさりますが…」
口ごもったお福を誠之進は訝しげに見た。
「他の御用はともかく、三郎ぎみのご入浴のお手伝いが…」
「源蔵の他にも近習のものがおるであろう? 皆、風邪で寝込んでいるわけではあるまい?」
「はあ、なれど、三郎ぎみが、源蔵以外の者では嫌じゃと申されるのです」 
「若がまたそのようなことを…?」
お福は困り果てた顔でうなずいた。
「源蔵は、お風呂のお世話だけはすると申しておるのですが、三郎ぎみに風邪を移しては一大事。私がお背中くらい流して差し上げたいのですが、女の私ではやはりお嫌でしょうし…」

 高貴の人は湯殿で前を隠さないなどと言われているが、三郎は哀しいかな町家育ち。赤子の頃から召し使いにかしずかれて育ったわけではない。城は引き取られても、身の周りのことはできるだけ自分でしたがった。しかし『若君ともあろうお方が、そういうわけには参りませぬ』と周囲に説得され、ようやくごく一部の者、子供の頃は誠之進、藩校に入学した頃からは、源蔵にだけ入浴の手伝いを許していた。

 確かに困った。
しかし、若君をひとりで風呂に入れるわけにもいくまい。
「お背中くらい流して差し上げねばならぬな…」
誠之進は溜息をつくと立ち上がった。
「あら、誠之進様がなさるので?」
お福が驚いたような声をあげたが、
「…お福。どうせ私にやらせるつもりだったのだろう?」
誠之進は片眉を吊り上げて笑った。
「あれ、滅相もない…」
首を振りながらも、ひとなっつこい丸顔に満面の笑みが浮んでいた。

 困ったことになったと情けなく眉を下げたが、これも役目と己に言い聞かせた。襷をかけて気合いを入れ、誠之進は湯殿へと向かった。




 脱衣場の引き戸をあけると、すかさず湯殿の中から声が飛んだ。
「誰じゃ? 手伝いなら要らぬと申したはずだ」
「三郎ぎみ、私にござります…」
「誠之進?」
「源蔵の代わりに参りました」
「…赤子ではないのだ。入浴くらい、ひとりでできる。そなたの手をわずらわすこともなかろう?」
真剣に嫌がっているのか、声に棘があった。
しかし、誠之進も役目上、はいそうですか、と引き下がるわけにもいかず、
「長居はいたしませぬ。お背中だけでも流させていただきとう存じます」
と、食い下がった。

 「では、背中だけ頼もうか…」
いかにも渋々という声音だった。
ようやく主の同意を得た誠之進は、ぬか袋片手に湯殿の引き戸を開けて中へ入った。

 たちこめる湯気の中、三郎が背を向けて檜の椅子に腰かけていた。

 肩越しにちろりと誠之進を見遣る。
「何をしておる、寒いではないか。早く戸を閉めてくれ」
「こ、これは失礼つかまつりました」
誠之進は慌てて引き戸を後ろ手に閉めた。

 急に外の空気が流れ込んで、肌寒かったのだろう。
しかし、そんなことにも気付けぬほど、視界に入ってきた三郎の膚に、誠之進の目は釘付けになっていた。

 男同士だし、裸を見るのは何も初めてではない。子供の頃は誠之進が風呂に入れていた時期もあった。夏は水練などで、お互い下帯一枚の姿になっている。

 だが、乳白色の湯気の中に浮ぶ三郎の躯は、誠之進の記憶にある、どの三郎とも違って見えた。

 染みひとつない、滑らかな象牙色の背中。大人になりかけの、少年の優美で細い腰の線。その下にあるまろやかな双丘…。
 
 ひとつひとつ目で辿るうちに、誠之進の躯の奥で不埒な熱がわき起こった。

 夏に海へ行ったときにも三郎の裸は見ているのだ。たった半年前のことだ。しかし、明るい太陽の下で見るのと、薄暗い湯殿の中で目にするのとで、驚くほど印象が異なる。

 何の事はない、己の邪な願望がそう思わせるのだろうか?

 目の前の白い背中は蠱惑的で、誠之進を誘いこむような色香があった。

 (やはり湯殿になど入るのではなかった…)

 誠之進は内心舌打ちした。

 背中くらい流してやらねば、という純粋な親切心と同時に、三郎の裸体を見てしまえば、こうなるのではないかという危惧があった。

 三郎は誠之進に背を向けて椅子に腰かけたまま、背中を流してもらおうと待っている。

 今、理由もなく引き返しては変に思われる。息苦しさを覚えながらも、背中を流す間くらい自制できずに如何する、と厳しく自分を叱咤した。誠之進は静かに息を吐くと、三郎の背後に歩み寄り、すのこの上に膝をついた。

 ぬか袋を桶の湯に浸して引き上げる。

 そっと左手を三郎の肩に置き、ぬか袋を持った右手で背中を優しくこすり始めた。

 三郎は無言で大人しくじっと腰かけている。誠之進の手が動くたびに、三郎の身体に軽い緊張が走った。しかし、嫌がっているというよりは、恥ずかしさに身を固くしている様子である。

 項や脇の下も丁寧に洗ってやろうとぬか袋を動かす。余計なことは考えぬよう自分を戒め、懸命に奉仕しながらも、少しでも気を抜けば、己の手は愛撫するような動きにかわってしまいそうだ。誠之進はいつ己の劣情が暴かれてしまうか、気が気でない。

 再びぬか袋を桶の湯に浸す。軽く絞ると、湯の滴り落ちる音がやたら大きく響いた。

 沈黙が苦痛だった。何か話さないと、高鳴る自分の心臓の音ばかりが耳につく。

 三郎も一言も発さず、じっと誠之進のするがままになっている。

 肺を圧迫するのは、湯殿の湿気なのか、突き上げて来る衝動なのか、もはや自分では判断できない。

 鼓動が極限にまで高まったとき、魔の瞬間が訪れた。

 
 「あっ…」
三郎が小さな叫び声をあげて身じろぎした。 

 気がつけば、後ろから三郎を抱きすくめていた。

 「せ、誠之進…?」
三郎のかすれた声が聞こえる。

 三郎が驚き、戸惑っている。早く身を放さねばと思いつつも、身体が動かない。

 三郎は逃げようともせず、誠之進の腕の中で身をすくませている。やがて沈黙に耐えかねたのか、再度小声で尋ねた。

 「…如何したのだ?」

 誠之進は三郎の項に顔を押し当てるようにして、石のように固まっていた。

 手指で触れた肌の滑らかさ…。湯殿の熱で暖かく香る、三郎の肌の匂い…。

 愛しい温もりを、このまま放したくはなかった。

 されど─。

 湯殿の中でそんなことをすれば、歯止めがきかなくなる。

 三郎が拒みもせず、腕の中で大人しくしているのは、誠之進を肉親のごとく慕っているからだ。信頼しているからだ。このまま、すのこの上で組み敷かれるとは、夢にも思っていないだろう。

 想いも打ち明けていないのに、いきなり湯殿で襲いかかるなど、畜生同然の所行である。

 誠之進は三郎から見えぬ所で、苦渋の表情を浮かべた。

 「…若、御無礼をいたしました…」
ようやくそれだけ口にすると、誠之進はそっと身を離した。

 「誠之進?」
「湯気にあたっておるうちに、何やら眩暈が…」
我ながら苦しい言い訳だったが、
「何? 大丈夫か、誠之進?」
三郎は案ずるような声音で振り返った。

 無垢な眸で見つめられてはいたたまれない。
目を合わさぬよう、誠之進は深く首を垂れた。
「申し訳ござりませぬが…私はこれにて─」
「誠之進?!」
誠之進は逃げるように湯殿の外へ出た。後ろ手に引き戸を閉め、鈍い溜息をつく。

 襷をはずしながら、深い自己嫌悪に浸る。
頭に血が昇って背中から抱きつくなど、いい歳をして何と無様な…。

 誠之進は己の未熟を呪いながら、肩を落して脱衣場を後にした。


つづく


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