「わが愛しのテディペア」その後…
(33333hit キリリク小説)


by 戸田采女

 平成某年三月。愛しの右近は無事修士課程を終了した。年度末のもろもろの行事が終わる頃、季節は本格的な春へと移ろい、桜だよりもあちこちから聞こえてきていた。

 出会ってから足掛け六年。右近もこの三月で二十四歳になった。

 私の忍ぶ恋も七年目に入ろうとしている。

 右近は修士課程終了後、ふたたび就職活動をする。これで縁が切れてしまうのかと私は焦ったが、一人前の男が決めた人生の選択だ。邪な恋心でこれ以上院に引き止めるのもどうかと思った。おそらく外務省に再びチャレンジするつもりだろう。


 だが、私ももう三十歳。

 そろそろ結婚して身を固めたい時期だった。

 結婚ときいて、読者の皆様は「おのれ、右近ちゃんを捨てるのか?!」とお怒りになるかもしれないが…。

 んなわけがないでしょ。

 私は右近の修士課程終了をひとつの節目と考えていた。
この春こそ右近に積年の想いを告白するつもりでいる。愛していることはもちろん、結婚を前提に交際を申し込むつもりだ。男同士で結婚とは、おまえ気が狂ったかと言われそうだが、要は養子縁組をして生涯のパートナーとして生きるという意味だ。

 女嫌いではないが、女性に興味もなさそうな右近。かといってゲイにも見えない。結局在学中も誰かと交際していた形跡はなく、私には彼に恋愛感などまったくわからなかった。

 ただ、何事にもきっちりした右近のこと。

 こちらが真面目すぎるほど真面目に、正攻法で迫るのがベストのような気がした。少なくとも私の本気を笑ったりはしないだろう。

 まだ付き合ってもいない、キスもしていない。手すら握ったことがない。こんな段階で結婚してくれも何もないかもしれないが、一生君と暮らしたい、ふたりで生きていきたい…。その想いを少しでも形にして示したかったのだ。

 右近の就職如何では、この先どうなってしまうかわからないが、私とてこのまま想いを伝えずに終わるなどできない相談だった。




 国際政治学科の先輩で、四月に渡英する古賀教授の壮行会に、私もうちの研究室の学生たちとともに出席した。研究者としての右近をとりあった仲ではあるが、この男、多少スカしてはいるが腹黒いところのない、実は面倒見のいい先輩でもあった。

 『よかったら、一度ふたりでロンドンに遊びにきたまえ。ふっふっふ…』

 私と右近に意味ありげに微笑み、古賀教授は英国に旅立った。

 壮行会の帰り、私はタクシーで右近を南千住の団地まで送った。

 別れ際、いつものように恐縮して礼を言う右近。
「じゃ、先生、おやすみなさい」
と、少し潤んだ眸で私を見上げた。
酒のせいなのはわかっている。
だが何とも艶めいた眼差しに、私の心臓は跳ね上がり、うずうずと息子まで頭をもたげそうだった。もう辛抱たまらん。抱きしめてキスしたいっ…。

 私は思わず肩で息をついたが、寸でのことろでぐっと奥歯を噛んで堪えた。
とにもかくにも、まずは初デート、でもってきちんと告白するのだ。
ここで襲いかかっては六年の苦労が水の泡…。

「さ、櫻田くんっ!」

「はい…?」
声がひっくり返ったような呼びかけに、右近がおどろいて小首をかしげた。
「来週あたり、時間あるかい?」
言いながら、高鳴る動悸がじりじりと喉元までせり上がっていた。
「え…それはまあ」
「一緒に…花見にいかないか?」
「先生と…?」
「ああ」
「ふたりで?」
私はしっかりうなずいた。
不覚にも喉が音をたててなってしまった。
聞こえてたらどうしようと焦ったが、
「はい…いいですけど。ちょっと早くないですか?」

 と、とりあえずはオッケーなのだな!

 かなり勇気づけられた私は、ふたたび落ち着いた声音を装った。
「鎌倉に…車で一日ゆっくり行くのはどうだい?」
「ああ、あの辺なら来週には結構咲いてそうですね」
「日頃、アメリカ研究をしている我々だから、時にはどっぷり和の情緒に浸るのもいいよ。桜の名刹を尋ね、お昼はどこかで和食でも…」
「ふふふ、なんかよさげですね」
右近が嬉しそうに笑った。
「週末はすごい人出だから、平日に行こう」
右近が微かに頬を染めてうなずいた。

 だが、次の瞬間はっとしたように顔を上げ、
「先生…新学期始まったばかりで何かと忙しいんじゃないですか? 新人の歓迎会とかもあるでしょ」

(うっっ。どうして君は、そういうところばかり気が回るんだ!)

 私は内心焦りながら、
「だからって…一日くらいは何とかなるだろう?」
どんと胸を叩いた。
右近はしばらくじっと私の目を見つめていた。

(頼むから、『お忙しいのに悪いです』とか言ってくれるなよ〜)

 どきどきはらはら返事をまっていると、
「お客さん、まだ行かないんですか〜」
不粋なタクシーの運ちゃんが、車の窓から身を乗り出し尋ねた。
私はきっと後ろを振り返り、般若のような顔で相手を睨みつけた。
「いいから待ちたまえ」
不機嫌に言い捨てると、右近を振り返った。

 般若から一転して、右近の眼差しと出会った途端、私の眉尻は下がり、懇願するような眸で右近を見つめた。

(たのむよ…うんと言ってくれ)

 右近は相変わらず無言でじいっと私を見つめている。
一体何を考えているんだろう。
沈黙が耐えがたくなった頃、右近が優しく目元を和ませた。
「じゃ、僕のほうは四月は暇ですから、先生の御都合のいいときに…。また電話ください」
右近はぺこりと一礼すると、あっさりきびすを返して早足に歩き始めた。

「あ…で、電話するよ!」
「はい」
肩ごしに振り返り、右近がにっこり笑った。

(あぁぁぁぁ、神様仏様!初詣での御利益があったかっ…くううっ)

 私は右近の背を見送りながら、思わず胸の前で手を組み、こくこくとうなずいていた。

 ふと上のほうで鳴った物音に見上げれば、三階のベランダに人影があった。
小柄なシルエットが手すりにつかまって私を見下ろしていた。

(う、右近のばあさまだっ!)

「こんばんは、結城先生」
「あ、こんばんは」
「わざわざうちの孫を送ってくだすったのかね…」
「は、はい。壮行会で…遅くまで付き合わせてしまったものですから」
私は丁寧に頭を下げた。
婆様の表情は暗くてよくわからないが、
「先生も律儀なこったねえ」
声に笑いが滲んでいた。

 からかわれているような気もしたが、少なくともお怒りではないらしい。

「じゃあ失礼します、おやすみなさい」
「おやすみなさい…」
私が一礼すると。婆様の小さな頭もぺこりと沈んだ。

 私がタクシーに戻ると、焦れて煙草を吸い続けていた運ちゃんが、これみよがしに乱暴に車を発進させた。これから成城までいくと確かに遅くなるだろう。早くあがって家に帰りたいのだろうが、こういう態度はいけない。

 深夜料金に上乗せして、チップをはずもうと思っていたのに…やめだ、やめだ。

 もはや運転手のことなどきっぱり頭から追い出し、私は右近と歩く春の鎌倉を思い、うきうきと一日のデートコースを考え始めた。

(朝は早めに出て、北鎌倉、花の寺巡りがいいかな。お昼は●●亭の個室で懐石でも…。右近は甘いものも好きだから、甘味処もチェックしておかねば)

(そして一日の終わり、潮騒の音をバックにふたりで夕陽を眺める…。うまくいけばそのままお泊まりもっ??)

 疾走する恋心。羽ばたく妄想。

 三十路を迎えた私が、胸を震わせ、初恋のような甘酸っぱさを噛みしめていた。

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写真素材は『空色地図』さんからお借りしています。

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