第6回
開花するマグロ 4


by 戸田采女

『お疲れさま〜』
機材を片づけながら、スタッフは鼻血もののシーンが撮れたと大喜びだ。
私と惣一郎が風呂おけから出て、各々タオルで身体をぬぐっていると、
「右近ちゃん、なかなかよかったで!」
監督がほくほく顔で近づいてきた。
「後ろめたさを抱えながら殿に抱かれるも、いざ肌を合わせてしまえば果てしなく快楽に溺れていく様子がようでとった」
「…それはどうも」
説明が長いんだよと腹の中で毒づきながら、私は軽く頭を下げた。
きっとこのシーンを特典DVDか何かにして儲けようという魂胆だろう。
「すき焼きでもおごったろか?」
どケチな監督がえらく気前のいいことを言う。
「今日は…疲れましたから」
結構ですと目顔で断る。
「さよか?」
私は一礼すると、バスローブを羽織って逃げるようにスタジオを後にした。

 一目散に控え室に戻り、ドアをロックした。今は誰とも顔を合わせたくなかった。




 きゅっ。

 乱暴に水栓をひねると、勢いよく湯が飛び出した。
タイルに両手をつっぱり、私は熱い湯の下に立った。
打ち付ける湯を頭からかぶりながら、微動だにしない。

 裏撮影ではなかったはずなのに、湯の中で惣一郎に本当に犯られてしまった。
それも最後まで。
見学者やスタッフから風呂おけの中は見えないが、皆、異様な雰囲気は感じ取ったはず。
きっとばればれだろう。

(あっ…)

 生暖かい感触とともに、さっき惣一郎が放ったものが流れ出て、脚の間を伝っていった。
いくらもうNGを出せないからといって、流されて惣一郎の行為を許した自分にも腹がたつ。
あれは撮影というより、惣一郎とのプライベートなセックスを人目に曝したに等しい。




 気の済むまで熱い湯を浴び、私はようやくシャワーブースから出た。
さっきのバスローブはもう着たくない。
戸棚からごそごそと新しいのを探し出して身にまとった。
ローブの紐を締めていたら、誰かがドアをノックした。

「放っといてくれよ。今日はひとりで帰るっ」
てっきり惣一郎だと思った。
いきなりの拒絶にドアのむこうが静まり返った。
知るものかとドアに背を向ければ、
「…右近くん」

 労るようなバリトンが、控えめに私の名を呼んだ。

(え…誠司くん?)

 心臓が…。

「ちょっと…いいかい?」

 深い声音に反応し、私のおバカな胸は切なく脈打ち始めた。

(これじゃあパブロフの犬状態だ…)

 思いきり頭を抱えながらも、
「開けてくれよ」
あの声で優しく促されては、もはやどうしようもない。
顔を合わせる気恥ずかしさよりも、側にいたい気持ちが勝ってしまった。

 観念してドアロックを外すと、誠司くんが外からドアを開けた。
しかし惣一郎との絡みを見られた直後だ。
まともに目を合わせられるわけもない。
私は俯いたまま、手はローブの紐を結んだ状態で固まっていた。

 誠司くんは室内に入ると、後ろ手にドアを閉めた。
そのままドアにもたれ、
「さっき…見学させてもらったよ」
「あ…うん」
うん以外、何と言えばいいんだ。
「…凄かったね」
「え…」
「フェロモン出まくり」
増々言葉を失う私に、
「…内藤さんたちも見てたの知ってた?」
「うん…何となくは」
「兄弟揃って、テント張ってたよ」
誠司くんは声に笑いを滲ませた。
「今頃どっかで抜いてんだろうな」

「誠司くんは?」

(ば、ばか。何を聞くんだ…)

 慌てて口を押さえたが、誠司くんはさらっと流して、極上の笑みを浮かべた。
「髪…まだ濡れてるよ」
「え…ああ」
シャワーから出てローブを羽織ったきり、髪はそのままだった。
ぼおっとしている私の横をすり抜け、誠司くんがすたすたと奥のシャワー室へ向かう。
バスタオルを取って戻ってくると、
「座ったら」
ドレッサーのスツールを指差した。
私は言われるままに、小さく頷いて腰かけた。
「拭いてあげよう」

 ぱっと見、無造作にわしゃわしゃ拭いているようで、タオル越しの誠司くんの大きな手は、決して髪の毛をひっぱったりしない。上手に水気を吸い取りながら、頭皮をマッサージしてくれる感じ。

(へえ…なんか美容師みたいだ)

 私はついうっとりと目を閉じていた。

 やがてタオルが離れたなと思うと、いきなりベルベットボイスが私の耳をくすぐった。
「さっき、ほんとにやってただろ?」
誠司くんは床に膝をつき、下から上目使いに私を見上げた。
私はほとんど窒息しながら
「…ちがうよっ」
「嘘ついてもダメだよ」
「…お、お湯を調べたのかっ?」
誠司くんは一瞬きょとんと目を見開き、次には豪快に笑った。
「その緻密なボケかたが、右近くんらしいというか…たまらん」
小さくなる私の横で、誠司くんは腹を押さえてひとしきり笑うと、
「結城さんが羨ましいな」
ふと真顔に戻って呟いた。
「そんな…」
「撮影でもプライベートでも、右近くんを一人占めだ」
「一人占めって…」

(何となくそういうことになってるだけだよ)

 誠司くんは立ち上がると、再び私の背後に回った。
「それに引き換え、誠之進と右近はどこまでいっても清い仲」
肩にそっと手を置かれた。
「究極の恋なのに…ね」
「誠司くんっ…」
私は鏡の中のふたりの姿を見つめた。

 あうう…お似合いぢゃないか。

 肩に置かれた手の温もりが心地よい。この手で全身くまなく触られたら、どんな気持ちだろう…ぶるっ。

 誠司くんの手の熱が十分おかずになるんだから、私も結構お手軽だ。

 自分に呆れてくすりと笑みを洩らしたところ、
「俺…今度こそ、一度はヤれると思ってたんだけど」
「え"?」
鏡の中、誠司くんの鳶色の瞳がちょっと好色な色を帯びた。
「右近くんと…裏」
「誠司くんっ!」
「一度きりの…後は死んでもいいと思うようなH」
その声で、こんな台詞を吐くなんて。

(あぁっ…どうしよう)

「楽しみにしてたのに」
誠司くんは私の耳もとでとどめを刺した。
鏡に映った誠司くんの横顔。
精悍さと艶を合わせ持った顔は、震えがくるほど好みで一一。

(あううううっ…)

 それが息づかいを感じられるほど、至近距離にある。
ダメだ、くらくらしてきた。

「でも俺は、誠之進ほど人間できてないからな」
言いながら、誠司くんは私の項に唇で触れた。
羽毛のような軽い当て方が、身の内にじわりと熱を生む。
「ここで…やっちゃうよ」
「犯っちゃうって?」
はしたなくも、思わず漢字に変換した。
「あんなモノ目の前で見せられて…このまま帰れるかってーの」
誠司くんは唇を私の肌に当てたまま、鏡の中から上目使いに見つめた。

「監督には止められてたけど…もう限界だ」
「そ、それはどういうっ?」

「言っただろ、新年会のとき。ずっと君のことが気になってたって」
「あれは正月のお年玉とばかり…」(撮影所だより5)

 あの時は、江戸の町並みセットの中、赤い橋のたもとでしっとり盛り上がっていたのに一一。惣一郎が火の見櫓に登って半鐘を打ならし、せっかくの良いムードがぶちこわしになった。続いてやってきた信明と源蔵に、天水桶の水を思いきりかけられたっけ。

 くすりと思い出し笑いを洩らすと、鏡の中、誠司くんも同じ笑みで応えた。
「信明…今、東京だからな」
「そんなこと言って…」
信明のことなど知るものか、のくせに、私は一応頭を振ってみせた。
「なに…いやなの?」
あ、そんな風にまともにとらないで。
「あ、それは…その…」
「…逃さないよ、右近くん」
いきなり項をきつく吸われ、私は小さく声を洩らした。

(に、逃げましぇん…)

 私はうっとりと目を閉ざし、震える身体を誠司くんに預けた。

『とうとう…悲願成就か?!』

 私の頭の中で、バラ色のくす玉が華麗に弾けた。


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