たーちゃんの純情…3
(2004 クリスマス小説)


by 戸田采女

 思わず目尻に滲んだものを指先でふいていると、ふっと暖かい紅茶の香りが鼻先をかすめた。
「ほら…今度は違うのをいれてみました。いかがですか?」
右近ちゃんがあたしの目の前に新しいカップを置いた。
気が付けば、さっきのアッサムは半分いただいたくらいですっかり冷たくなっていた。

「あらいやだ…あたしったらぼんやりしてて…」
決して最初の紅茶がまずかったわけではないのだ。
「ごめんなさいね、右近ちゃん」
あたしは慌ててフォローすると、新しいカップを手に取り、すぐさま味わってみた。
オレンジの香りが優しい、フレーバーティーだった。

 何かしら、やっぱりいい水で入れているのかしら?
右近ちゃんの出してくる紅茶は、どれもまろやかで香り高かった。

 あたしは今度こそ、熱いうちに、じっくりとお茶を堪能した。
なにげに辺りを見回してみると、シックなインテリアに観葉植物。さりげに趣味のいい小物が目についた。ふたりの穏やかな生活の気配が感じられ、あたしは惣ちゃんの幸せを垣間見た嬉しさと、ほんのちょっぴりのほろ苦さに浸っていたわ。

 よかったわね…惣ちゃん。

 ついに見つけたんだものね。一生をかけて愛し抜く人を。

 ホモの夫婦だからって世間が石を投げようもんなら、このあたしの胸板とケツでいくらでも盾になってあげるわ…。

 しみじみとお茶を飲み干すと、 
「さ…あたし、そろそろ店に戻らなくちゃ」
カップをテーブルに戻すと、軽く膝をたたいて立ち上がった。
「あ、じゃあ、近くまで送ります」
「あら、いいのよ、そんな」
右近ちゃんはふわりと微笑んで、
「どうせ買い物があるんですよ。今日は寒いですし…乗ってってください」

 やさしい子ね…。

 親愛の情が暴走して、うっふんとウインクをしてしまったわ。

 右近ちゃんが貼り付いたような笑みを浮かべて、またソファの上でじりっと後ずさった。




 ちょっと仕度してきます、と寝室へ消えた右近ちゃん。
あたしは暇つぶしにリビングから出て、ちらちらと別のお部屋をのぞいてみたの。一部屋はなんとまあ贅沢な防音オーディオルーム。もうひと部屋は…書斎だった。

 惣ちゃんも今では一応学者だし、天井から床までの本棚にぎっしり本が詰まっていた。中にはきっと右近ちゃんの本も混じっているのね。重役っぽいマホガニーのデスクの上に、iMacが鎮座している。そしてその横に…。

 あたしは一瞬自分の目を疑ったわ。

 もう随分手あかにまみれていたけど、マックの横にちんまりと座っているのは一一。

「マスター、お待たせしました!」
背後から右近ちゃんが明るく促した。
「え、ああ」
生返事をするあたしに、
「行きましょうか?」
右近ちゃんが控えめに問いかけた。

 あたしは右近ちゃんの声を遠くに聞きながら、十五年ぶりに出会った『手づくりクマさん』を阿呆のように見つめていたわ。

 なによ…こんなところにいたの?

 惣ちゃんが…あれから何も言わなかったから、てっきり気付かないままだと思ってた。

 次の日、誰かに拾われて、学校のゴミ箱行きだったかなあ…と。

 それが…しっかり生息してたなんて。

 あたしの視線の先に気付いた右近ちゃんが、
「ああ、そのクマさん?」
「え、あ、その…」
しどろもどろになったあたしの気を知ってか知らずか、
「なんだか惣一郎、大事にしてるみたいですよ? 手作りっぽいでしょ」
「そ、そおね…」
「初恋の彼女のプレゼントか何かかな?」
あっけらかんと笑う右近ちゃん。
「一見しょぼいところが何とも言えないですよ。哀愁を誘うっていうか…古くなっても捨てられない気持ち、なんだかわかるなあ…」

 しょ、しょぼくて悪かったわね!

 でも…、新婚の愛の巣にまで、連れてきてもらえるなんて一一。

 あ、どうしよう…なんだかキテしまったわ…。

「マスター? どうかしましたか?」
「な、なんでもないわっ」
「マスタ−…?」
「何でもないのよっ! ほっといて頂戴っ…」

 右近ちゃんに背をむけたまま頭をふってみても、溢れる涙はとめようがなかった。こみ上げる嗚咽に、あたしは岩のような背中を震わせていた。

「そ、そーちゃんたらっ………あうっ…あうっ…」
「もしもし? いったい…どうなさったんですか?!」

 床にしゃがみこんで号泣するあたしの背を、右近ちゃんがこわごわだけど、あやすように撫でてくれていた。




 二週間後の小雪のちらつく夜、惣ちゃんと右近ちゃんが揃って店にやってきた。

 うちの店はこの界隈に生息する、知識人の隠れ家と言われているの。(そういう風に雑誌に載ったことがあるわ)だから、ほとんどお客は大人な常連さんばっかり。今日もそんな人たちが何人か、おもいおもいにくつろいでいたわ。

 音楽もその日の気分でジャズかクラシック。坂本龍一なんかもときどき。リクエストがあればあたしがピアノを弾くことも。カラオケはもちろんおいてましぇん。 

 ふたりはカウンターに座るなり、
「マスター、こないだのちゃんちゃんこ、ばあちゃんとっても喜んでましたよ♪」
右近ちゃんが喜々として報告してくれた。
「あら、お気にめしてくださったのね。嬉しいわ」
「軽いのにすごくあったかいって!」
「おほほほ…」
「たーちゃん、気を使ってくれてありがとな」
「うふふ、惣ちゃんに感謝されるのって、久しぶりねえ……るんっ」

 あたしは思わずシェーカーを胸のあたりで握りしめ、もじもじしてしまったわ。

 あらしまったと、右近ちゃんのほうを見れば、もう後ずさりはしてなかった。惣ちゃんと並んでニコニコあたしのことを見つめてた。

「たーちゃん、右近に何か作ってやってくれ」
あたしはきりっと背筋を伸ばすと、右近ちゃんにむかってカメラ目線で問いかけた。
「何か…お好みはございますか?」
「えっと…じゃあ、マスターの一番得意なものを」
右近ちゃんは上目使いにそう言うと、形のいい柔らかそうな唇をふっと綻ばせた。

 ま、あたしのバーテンとしての力量をまずは計ろうというわけね?

 上等じゃない。ならばお飾りのない、ごまかしのきかないやつでいきましょうか。

「かしこまりました」

 あたしは軽く会釈すると、ビーフイーターの瓶に手を伸ばした。

 あたしの大切な惣ちゃんの…最愛の人。 長いおつき合いになるだろう右近ちゃんのために、あたしは心を込めてギムレットを作った。


おわり





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