東方司令部の一室に、彼と彼女と一匹はいた。
軍服をかっちり着て髪を後ろでまとめているのは、ロイの側近で優秀な軍人でもあるリザ・ホークアイ中尉で、先程からアルフォンスと一緒に彼女の愛犬ブラックハヤテ号をかまっていた。
舌を出しじゃれつくブラックハヤテ号の頭をなでてやりながら、アルは言った。
「ホークアイ中尉、今ごろ兄さん、大佐にめちゃめちゃ怒られてるのかなぁ……」
「心配?」
聞かなくてもリザにはその答えがわかっていたが、一応確認の意味をこめて尋ねてみる。
案の定、返ってきたのは予想通りの言葉だった。
「心配です。やっぱりボクもついていけばよかった」
大きな鎧の姿をした少年は、どうにもじっとしていられないようで、先ほどからそわそわと兄を気にするそぶりを見せていた。
「だいたい、今日の事件、あそこにはボクだっていたんです。だから、油断して犯人に反撃されそうになったのは、兄さんだけのせいじゃない。ボクにも責任はある、なのになんで兄さんだけ呼ばれて、ボクはお咎めなしなんて」
リザはため息をついた。
「申し訳ないけど、運が悪かったとしか言いようがないわ」
「え?」
「今日、中央からクレー准将という方がみえたの。あなたたち二人も会ったと思うけれど」
「あ……それってひょっとして、今朝の人ですか」
「彼、もともと大佐のことをあまりよく思っていないのよ。今回こちらにきたのだって、隙あらば大佐に傷をつけてやろうと、探りを入れにきただけなの。おそらくはね」
「そんなときに、ボクたちが……?」
「エドワード君やアルフォンス君が悪いわけではないわ。ただ、クレー准将は」
「ボクたち、大佐に言いがかりをつけることのできる、いい口実を与えてしまったんですね」
ごめんなさい、とアルはつぶやく。
優しい少年だ。リザは安心させるように柔らかく笑ってみせた。
「気にしないで。このくらいのことで大佐をどうにかできるわけないんだから。クレー准将だって本当はわかっているのよ」
そう、彼は、気に入らない生意気な若造、自分の地位をおびやかすロイを煙たく思い、なにかにつけて嫌味や当てこすりを言ってくる。
だが、そんなものに阻まれるロイではない。
実力、運、自慢の部下たちという追い風を受けるロイの炎の勢いを止めるのは、いまや不可能に近かった。
「だから、エドワード君も大丈夫」
「はい……わかりました、ボク、おとなしく待ってます」
そう言うとアルはブラックハヤテ号を優しく抱き上げた。

 

____+罪深き者たちの祈り+_

 


胸を這うロイの手が冷たいのか、それとも自分の身体が熱いのか。
エドにはもうわからなかった。
ロイはふと思いついたように、胸から脇腹、ウエストまでを、指でつ……となぞった。
くすぐったいような、そうでないような……よくわからないもやもやがエドの背を震わせる。
「だいたい予想はしていたが、やはり」
と、ロイが真面目な顔をして言った。
「……胸も腰もずいぶん小さいな」
「っ! 誰がえぐれ胸でずん胴幼児体型だっ……」
思わずそう言い、ロイの笑った目にぶつかって、エドは頬に朱を上らせた。
馬鹿にされた、馬鹿にされた、馬鹿にされたっ
!!
激情に声も出ないエドを見て、くつくつとロイは笑う。
「すぐに感情を乱すようではまだまだだよ、鋼の」
男の手のひらがぴたりと胸に当てられた。
中心よりやや左側のそこにあるのは、心臓という名の生命の要。
「自分の心理状態を相手に悟られぬよう、もう少し気をつけたまえよ」
「だったらどうだっていうんだ。心まで機械鎧にしろってのか」
確かに――――確かに今朝のことは、自分が甘かったと思う。
軍の狗になってでも、誰に憎まれののしられようとも、やらなければならないことがあるのに。
自分と弟、アルフォンスの身体を元に戻すこと、そのためにはなんだってやってやると決めたのに。
なのに躊躇した。人の命を奪うことだけは絶対に嫌だった。だからためらった。
覚悟を決めた今、もうそんなことを言ってはいられないのに、だ。
本当はちっとも覚悟なんて決まっていないことを思い知らされた。
それでも自分は、軍に属する国家錬金術師である以上いずれは訪れるであろうその状況を、少しでも先延ばしにしたかったのだ。
大佐に呼び出されたときエドは、きっと大佐のことだから、自分が何をどう考えたかなんてお見通しなのだろうと思った。
そしてまたいつものように、自分の甘さを指摘し、諭すのだろう。
それはエドにとって一番言われたくないことだったが、一番聞かなくてはならない言葉でもあった。
だからエドは、内心の葛藤を押さえながら大人しく大佐の呼び出しに従ったのだった。
それなのに今、こういうことになっている。
最低だ。
信じていたのに。
こんな男だったなんて。
こんなことを笑いながらするような男だったなんて。
エドはきゅっと唇を噛み締めた。また微かに血の味がする。
ロイの指が再び動き始め、下からなで上げるように胸を愛撫した。
ぺろりと首筋を舐める。
きっと酒と汗の混じった味がするに違いない。
黒い髪の毛がエドの目の前にある。一本一本の流れまではっきりと見えるほどの近くに。
ロイの動きにつれて揺れる髪が時折エドの唇をかすめ、エドはふと思った。
そういえば、まだ唇にキスをされていない。
されたいとかそういうのではなくて、ただなんとなく妙な感じを覚えた。
エドは性行為についての知識は乏しいほうではあるが、まったく知らない子供だというわけではない。
エドにとって一番身近な性的愛情の示し方がキスであり、だからこそ最初に経験するものだと思っていたのに。
そうだ、自分はファーストキスもまだだった、といまさらながらエドは思い当たった。
母さんやウィンリィやアルにしたことはあっても、それは家族や友人への親愛のキスであり、それ以外はしたことがなかった。
――――なんだっけ、
ABCとか……確かAがキスでBがペッティングで? Cがセックス。
ペッティングっつーのがなんだかいまいちよくわかんないけど。一緒にペット飼うわけじゃないよな。
ABすっとばしていきなりCかよ、などと古臭いことを考えてみる。
ファーストキスもまだで、恋人なんかできたこともなくて、それなのにこんな軍の仮眠室なんかで信頼してたはずの上司に無理やり犯されるなんて、最悪だ。
そこまで考えて、どうやら自分がひどくショックを受けているらしいことに気づく。
エドだって、幸せな恋愛を夢見ていたわけじゃないけれど。
そんな資格なんかないということぐらい知っているけれど。
でもこんなの、あんまりじゃないか。
ぱた、となにか冷たいものが頭に当たった気がして、ロイが首に埋めていた顔を上げる。
エドは泣いていた。



「……っ、ぅ……」
ぬぐおうにも腕は拘束されているから、涙はただ流れ落ちるだけだった。
視界が涙でぼやけて、仮眠室の景色も、ロイの顔も歪む。
「鋼の」
そう言った声はなんだかひどく乾いているようで、どうしてだろうとエドは思った。
どうしてあんたがつらそうな顔してんだよ。
自分の心理状態を相手に悟られないように気をつけろって、あんたがついさっき言ったんだろ。
ああそういえば、聞いたことがある。あれは誰が話していたんだっけ。
リゼンブールで。
ウィンリィと、その友人の女の子たちが数人で、誰が好きとか、誰がかっこいいとかを楽しそうに話していたことがあった。
アルなんかは、優しくていいとか、顔もなかなかかわいいとか、何度か名前が挙がっていたのを覚えている。
そのうち一人の少女がこんなことを言い出した。
『キスって好きなひととしかしないものなんだって。この間ね、おねーちゃんが言ってた』
エドはただ静かに泣いた。
「た……、いさ」
「なんだね」
ロイの声は低く、何かに対して苛立っているように感じられた。
「キ、スして……よ」
なんだ、やっぱり本当はキスされたかったんじゃないか。
そう自覚したとき、またも涙があふれてエドののどをふさいだ。
流石のロイもその言葉は予想だにしなかったのだろう、面食らっているようだった。
「一回でいい、から。そしたらおとなしく、する、し……殴ったり、とか、ひどくしても、いい、し。我慢、するよ」
たとえ初めてが軍の仮眠室でも、相手が恋人じゃなくても。
合意じゃなくて無理やりでも、どれだけ痛くても。
キスさえしてもらえれば少しはましな気がした。
なにもかもが普通じゃない状況の中、せめて順番ぐらいは普通を望んだっていいだろう。
それに、自分をなんとも思っていない相手に抱かれるのだと思いたくはなかった。
キスは好きなひととしかしないもの、というのを信じていたのは純粋な子供時代までの話で、今もそう思っているわけではないけれど、それでもロイがキスしてくれれば、この行為が愛されてのものだと自分に言い聞かせることは出来るような気がした。
そんなのは誤魔化しかもしれない。真実は、強姦という名の罰則でしかないのかもしれない。
それでもエドは望まずにはいられなかった。
「オレ、痛いのは……昔っから結構経験あるし。かなり痛いのでも、へーき。耐えられる、と思う」
そう言って、機械鎧の腕を動かしてみせる。
今までだっていくらでも耐えてきた。これからだってずっと。
「それにもう、すでに傷だらけ、だしさ。今更、それがいくつか、増えたって……どうってこと……ない、よ。だからっ……」
エドはまた最後まで言い切ることができなかった。ただ、先程と違うのは、口をふさいでいるのが手ではなく。
男は少女に口付けていた。



唇が触れ、声も息も呑み込まれる。
「は……っ、っ」
エドの開いた口の間から生温かいものが進入してきて、奥に逃げようとする舌をつついた。
自分に触れるロイの舌は、さきほどの予想の通りに少しだけ酒の味がした。
そりゃあキスしてほしいといったのは自分だが、まさかいきなりディープで来るとは思わなかったのでかなり驚いた。
こいつ絶対さくらんぼの茎を口の中で結べるタイプだ。しかも
10秒とかで。絶対そうだ。
翻弄されながら、エドは見当違いな決め付けをした。
「んん……っ、んむぅ」
口の中で作られた粘着質な音が、骨を通して頭全体に響く。
なんだかとんでもなく恥ずかしいことをしているような気がして、エドは目が回りそうだった。
実際足からはどんどん力が抜けていって膝ががくがくしそうなのがわかるし、頭もぼんやりしてきたし、気持ちいいんだかつらいんだかよくわからなくなってきた。
それになにより苦しい。
自分は初心者でどうやって息をしていいのかわからないうえに、泣きながらときたもんだ。
やっと解放されたときには、エドは真っ赤になってぜーはーと激しくあえぐ羽目になった。
もう少しで酸欠でぶっ倒れるところだった。
その乱れた呼吸にかぶさるように、すまない、と聞こえた。
あるいはそれは空耳だったかもしれないけれど。
でも、エドに触れる指が急に優しくなったように感じる。
それに、目だって……さっきまでとは違う。ちょっと、いつものロイに近い目になった。
なんだか別の焔も燈ってる気もするけど。それがなんなのかまでは、わからない。
わかんない、わかんないけど……わかんなくてもいーや。もう、いい。
「あんがと。っつーのも、変か? んじゃ後はどーぞ、好きにしてくれ」
そういうエドは、顔は真っ赤で、目の端には涙がまだ残っていて、左頬は少し腫れているのがわかり、唇は切れて、今のキスでまた血が滲みはじめているけれど、それでも笑ってみせた。
これが軍の狗になりきれない自分への戒めだというなら、受けるから。
ロイは無言で、今まで触れなかったエドのベルトへと手をかけた。
ベルトをはずし、ファスナーを下ろす。
隙間から手を差し込み、するりとズボンを落とした。
機械鎧の無骨な左足と、生身の右足との違いは明らかだ。
痛々しい機械鎧の結合部分の目立つ足、そしてもう一方はしなやかな筋肉のついた足。
普段のエドは機械鎧を隠すために厚着で、たいてい長いパンツを穿いているから、陽に当たらないそこは白くまぶしかった。
そういうところは、この小さな錬金術師が、瑞々しい少女だということを感じさせる。
ただ、下着がトランクスだったが。
それすらも下ろしてしまうと、下半身を覆うものは何もなくなった。
淡い金色をした薄い茂みがつつましく守っているその部分を明るいところで見られるのは流石に恥ずかしいらしく、エドは居心地の悪そうな顔をしているが、そんなエドを知ってか知らずか、ロイはじっくりと目を離さない。
小さいころはアルと一緒に風呂に入ったりもしていたし、今だってたまに……旅の途中無茶をしすぎて機械鎧を壊してしまうことが何度かあって、右手が使えなくなったとき体を洗うのを手伝ってもらったりなんかもして、だから誰にもそこを見られたことがないなどと言うつもりはない。が。
できればあんまりじろじろ見られんのは勘弁してもらいたい。
だが好きにしていいと宣言してしまった手前、そう抗議するわけにもいかず、仕方なしにエドは顔をそらした。
未知の領域に踏み込むことに対しての怖さは依然として変わらずエドの中にある。
何をされても耐えてみせるつもりでいたが、いざ実行に移されてみると腰が引けるのはまあしょうがない。
なにしろ処女なのだから、怖がるなというほうが無理だ。
理屈と感情は別物だから、このぐらいのことは自分に許してやろう。
「あし」
「……へ?」
唐突に話しかけられたので、ずいぶん間抜けな声が出てしまった。
あし?
あしがなにか。
「足をあげてくれないか。このままではやりづらい」
そう言われて、ややためらいつつもエドは右足を持ち上げてみた。
厚底靴の足首のあたりに絡んで止まっていたズボンと下着が抜かれ、幾分動かしやすくなった。
エドの身体は全体的に細くて小さい。
肩幅がない、胸もない、お尻のボリュームもない、太ももの肉付きだって良くない。
自分でも貧相な身体であることぐらいわかる。
それなのに、はたしてロイはそんな自分の身体を眺めていて楽しいのだろうか、とエドは疑問に思った。
ロイなら、もっと魅惑的な身体の女など飽きるほど見てきているだろうに。
しばらく考え込んでいた風のロイがもう一度さっきのテーブルのほうへと足を運び、酒をグラスに注いだ。
窓を顔が出せる程度に開けるとカーテンが風にあおられて翻った。
グラスの中身を口に含み、窓の外に吐き出すこと数回、ロイは元通りに窓を閉め、カーテンも閉め、グラスを元のところに置いてこちらへ戻ってきた。
エドは一連のロイの行動の意味がわからず訝しげな視線を送っていたが、ロイが自分の目の前に片膝を着いたのを見て、もしやと身を強張らせた。
いや、でもまさかそんな。
すがろうとした望みにはあっけなく手を振り払われて、エドは狼狽した。
ロイはエドの足の片方を持ち上げると、それを自分の肩にかけたのだ。
足と足の間が大きく開かされ、エドは羞恥で顔に血が上るのを感じた。
下を向けば、太ももの横に黒い頭が見えた。
そこに息がかかりそうなほどの近くにロイの顔がある。
いくらなんでも、そんなところを見られた経験はエドにはなかった。
アルにだってウィンリィにだって見せたことなどない、自分ですら見たことがなかったのだ。
秘められた場所であるはずのそこを、男の目が射抜く。
「えっちょっ、嘘だろ……待っ……
!!
ロイは待たなかった。
ほころびかけた花のつぼみに音を立てて口付ける。
ひっ、とエドの喉から空気が漏れた。
一気にさっきのキスを思い出して青くなる。
ロイの舌の器用さはさっき身をもって体験した。
ロイは女ったらしだ。実はかなりもてる。群がる女が大勢いることぐらい知っている。
おまけに人生経験はエドの二倍だ。きっとそっちの経験も豊富なのだろう。
何もかもが初めてのエドに太刀打ちできるはずがなかった。
「――――ふ、……っ、たい……さ」
ぬるりと濡れた得体の知れない生き物が、自分の足の間を這い回っている。
この感覚をなんと表せばいいだろう? エドには思いつかない。
ただひたすら、崩れ落ちそうになるのをこらえた。
自分はいったいどうなってしまうのだろう。
無意識にエドは子供がいやいやをするように首を振った。
下腹部に熱がともる。ろうそくの炎が照らすのに似て丸い形をしているようにエドは感じた。



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