________+鳥は歌い人は笑う+__




一人の人間の身に何が起ころうと、この大きすぎる世界にとってはたいした問題にもならない。
また今日も太陽が昇って変わらぬ朝が来る。
ちょうど小鳥が1羽屋根を飛び立ったとき、東方司令部執務室には黒いソファに向き合って座る3人の錬金術師の姿があった。
「もう行くのかね? 少しぐらいゆっくりしていきたまえよ」
「冗談。オレたちは一秒だって無駄にしてらんないんだ。部下が有能なのをいいことに仕事押し付けまくって楽してるどっかの無能と違ってそんな暇ねーよ」
ロイの言葉になかなか辛辣な言葉を返すエドワードに、いつもは諌める立場であるはずの弟のアルフォンスは、なぜか今日は沈黙している。
無言のオーラがロイに向けて放たれているような気がするのは、気のせいなどではない。
エドとロイがきわめて微妙な関係になってしまってから一夜が明けて、エルリック兄弟は出発前の挨拶にと軍を訪れた。
昨日は一晩中大変だった、とエドは隣に腰掛けた巨大な鎧を盗み見る。
激昂する弟をひたすら拝み宥め倒して司令部を出たのはいいものの、部屋に帰ってからも延々と続く説教。
そしてロイへの罵倒。その言葉の中には、姉についていかなかったアル自身への罵倒も含まれていた。
温厚なはずの弟の怒りは、普段おとなしいだけに、爆発したときはすさまじかった。
まずアルフォンスに落ち度はないこと、自分は全く気にしていないこと、殴られたのは自分が悪いのだからしょうがないこと、おかげでますます覚悟が決まったこと、ロイにもなにか事情がありそうだったことなどを伝えて、なんとか納得させたが、本当に納得してくれたかどうかは疑問だ。
現に今だって、殺し屋もかくやといった目でロイをにらんでいるし。
まったく、アルのやつ……処女なんかたいしたことじゃないって言ったのに。
エドはこっそり息を吐く。
ここに挨拶に来るのだって、反対したのだ、この弟は。
いつもならむしろ逆で、礼儀を大事にし、「だめだよ兄さん、お世話になったんだから」などと言って兄というか姉を引っ張っていく方であるのに。
なんだってオレの弟はこんなに頭が固いんだ、と昨日から嘆いてばかりのエドなのだった。
だがしかし、アルにも言い分はある。
兄のような姉が、実は平気なふりしてけっこういろいろ考えてしまっていることぐらい、ちゃんとお見通しだ。
昨日姉から聞かされたことの顛末は、自分にとっては天地がひっくり返るくらいの衝撃だった。
まして当事者である姉の衝撃はもっとすごいものだろうに。
だいたい、処女くらいってなにさ。それこそ、たいしたことじゃないわけないじゃないか。
だって、兄さんの態度はおかしい。本人は気づいていないかもしれないけど、やっぱりいつもと違う。
いつもみたいに憎まれ口たたいていつもみたいに笑みを浮かべていつもみたいに大佐を見ようとしてるけど。
完全にいつもどおり、なんて。できるわけがない。
ほら、声にだって視線にだって仕草にだって、大佐を意識してるんだってわかる微かな何かがある。
たったひとりの、かけがえのない自分の姉のことだ。心配になって何が悪い。
だからロイを見る目だって、自然に険を含もうというものだ。
そしてアルからそんな視線を送られているロイはというと、何事もなかったような顔をしてソファに腰掛けているものだから、アルは機嫌をますます損ねていく。
だが、エドの窺い知れないことをアルが思っているのと同様に、ロイもアルの窺い知れないことをその内に秘めていたのだった。
外からわからないだけで、人の心とは複雑なものなのだ。
あんなに酷いことをしてしまったにもかかわらず、エドが自分と変わらず接しようとしてくれていることに、ロイは安堵していた。
もう以前のようにはいかないだろうと思っていた。軽蔑されるかもしれない、怖がられ、避けられるかもしれない。
行為の直後こそ、エドはロイを責めなかったし、気にしたそぶりも見せなかったが、一晩たって気が変わらないとは言い切れなかった。
それでも、あれだけのことを少女にしてしまったのだから、自業自得だ。
まだ咲いてもいない花を――これからゆっくりと咲こうとしていたはずの花を、自分の欲望をぶつけて散らしてしまった。
それなのに、こうして自分に挨拶に来てくれたということは、自分を許しているということなのだろうか?
嫌われたのなら、顔も見たくないに違いないのに、わざわざ会いに来てくれたということは。
期待しても、いいのだろうか。そんなみっともない願いを、望んでもいいのだろうか。
ふと、エドと目が合う。澄んだ琥珀の瞳。
その透明な光の集合の中に、明らかに無理をしている、という光を見つけて、ロイは自嘲の笑みを内側に向けた。
お前は馬鹿か、ロイ。あまり自分の都合のいいように考えるのはやめろ。
こうして会話をしてくれるだけで十分だ。
二度と会いたくないなどといわれなかったことを、幸運に思わねばならない。
なのに、通常、いつもどおり、普段と同じ、ということが、何故こんなにたまらないのか。
自分を意識して欲しいというのがずうずうしいものだとは思うのに、それでも。
ロイが何事もなかった風を装っている顔の裏で、こんなことを考えているとは思いもよらず、しかし実はエドも同じようなことを考えていた。
エドがアルに無理を言ってまでここに来たのは、ロイの態度を確かめたかったからであった。
なんとなく、気になって。落ち着かなくて。いてもたってもいられなくて。どうしても行く前にもう一度会っておきたくて。
それなのに、目の前のロイは相変わらずだ。自分にもロイにも無性に腹が立つ。
なんだよ、もうちょっとなんかあってもいいだろ。
それともなにか。ああいうことって、あんたにとってはなんでもないことなわけか。日常茶飯事ってわけか。
怒りのベクトルが普通とは違う方向に向かっている気もするが、その理由に、エドはまだ気づきたいとは思わない。
ああもう、なんでオレ、こんなことでいらついてんだろ……。
あっちがこれからも普通にやっていこうって考えてんなら、オレもそのとおりにするだけだ。
オレと大佐はただの知り合い。上司と部下。なんの問題があるっていうんだ、それで。
そしてすれ違いまくっている二人は、お互いの本当の思いには気づかない。
ほら、もう行かなきゃいけない時間だ。バイバイ。次に会うのは、きっとまた、かなり先の話。
エドとアルが立ち上がる。
会釈をするアルはやっぱり無言で、エドの言葉もそっけない。
「じゃあな、大佐」
「ああ――――」
別れの言葉を返そうとしたロイの胸に、突然閃く感情があった。
それは啓示のようなもの。
このまま、何もしないでいていいのか?
動かないでいたら、変えることもできずにそれで終わってしまう。
「鋼の」
こちらを振り返った金髪の少女に。
「今度来るときは、絶対にお茶に付き合ってもらうぞ」
そう言って微笑むと、エドの顔は一瞬でトマトのように真っ赤になった。
アルはというと、そんな姉の反応に驚いている。
驚いたのはロイも同じだ。ただし、こちらは喜びとしての驚きだったが。
少しは気づいたのかもしれない。脈がまったくないわけでもなさそうだ。
「う……か、考えとくっ!!
照れ隠しだろうか、大声で叫んで勢いよくドアから出て行ったエドに、ロイの笑いはますます止まらなかった。




NEXT


BACK