________+荒野のフィーメンニン+__





「なんで……姉さん、幸せだって言ってたじゃないか、なんで……」
ぶつぶつとうわごとのように繰り返すロイが痛々しくて見ていられず、エドは目をそらした。
彼の姉にほぼ間違いないらしい。
「あいつが……あいつのせいだ、きっとそうだ、そうに決まって……」
気の毒そうにこちらを眺めていた駅員が向こうへ走っていった。
どうやら軍が到着したようだ。
「ほい、どーもどーも、ごくろーサン……ってエドワード? なんで豆っ子がこんなとこにいんだ?」
「ハボック少尉!」
やってきたのはよく見知った顔で、『大きいほう』のロイの部下であるハボックだった。
こんなところで会うとは。
ってことはまさかあの無能も!? とハボックの後ろを探したが、見当たらないところをみると来ていないのだろう。
安心したような、残念なような。
そんなエドの様子に気づいたのか、ハボックは言った。
「ああ、うちの大佐なら司令部で忙しく働かされてるよ。仕事溜めちまっててねぇ、中尉がおっかないったら」
「そう、か。まったくあの無能、中尉に迷惑かけんじゃないってのな」
「まあ今は大佐の話はいいんだ。で、お前はまた巻き込まれたのか?」
「またって?」
「こないだの銃乱射。ほら、あのクレーのおっさんがいちゃもんつけてきたやつ」
つくづく今日はこの話に縁があるらしい。エドはああ、と頷いた。
ハボックは懐からライターを取り出し
「そうそう、それでお前さんに言っておくことがあったんだよ」
「なに?」
「あのおっさんには気をつけろ。なんでも金髪美少年に目をつけては職権乱用して手を出してるらしい」
まったくいいご趣味をお持ちだよ、と煙草をふかして言った。
「ま、近寄らないほうが賢明だ。覚えといたほうがいいぞ」
「……」
エドは答えない。
見つからなかったパズルのピースが、いくつか見つかったような気がしていた。
あのときのロイと今のハボックの言葉を結びつけるのは短絡的かもしれない。
でも、それなら。
エドはなんだか泣きそうになっていた。
本当に涙を流すわけではないが、胸の奥に生まれた何かが小さく声をあげた。
……大佐。
「お前ら、なんて顔してんだ」
ハボックが若干の驚きをこめてこっちを見ている。
「まさかもう手ぇ出された、とか」
「ち、違うよ、そうじゃないんだ。忠告ありがとう」
恐ろしい誤解をしかけたハボックに否定してからエドは言った。
「ロイ」
隣で『なんて顔』をしているもう一人の小さなロイは、エドの呼びかけにも反応を示さない。
彼にとってその姉は、よほど大切な存在だったのだろう。
信じられない、信じたくないに違いない。
エドにもそういう人がいたから、大切な人を亡くす悲しみが全くわかるとは言わないが……少しは、わかるつもりだ。
「ロイ!? え、大佐が憑いてきたのか!?
的確に表現している漢字変換をしながら、ハボックは慌てて後ろを振り返ろうとした。
「なんだ、いねぇじゃん。驚かせんなよ豆子」
「大佐じゃなくて、こいつ。ロイ・グリマーって言うんだ。えーと、たまたま列車で相席になって……いや、そもそもはあの銃乱射に巻き込まれてオレとアルを見たとかで、声かけられて一緒に座ったんだけど」
そこで声のトーンが落ちる。
「どうも、亡くなった人……こいつの姉さんらしいんだ」
「マジか」
ハボックの顔が、親しみのあるお兄さんから軍人のそれに変わった。
普段はあまりそう見せなくても、ロイの部下なだけあって、ハボックは有能な軍人なのだ。
小ロイは小さく首を振り、
「靴が……姉さんのと同じだった」
彼女の靴は特徴のあるもので、まず間違いないだろうと小ロイは言った。
「そうか。それは……痛ぇよな」
大切な肉親の死を見せ付けられること。
痛みに寄り添うようにそっと目を伏せたハボックの後ろから、軍の人間と思しき男が報告にきた。
「少尉。身体の一部が見つかったそうです」
「わかった、今そっちに行く」
「俺、俺も行く!」
「ロイ」
「やめとけ。家族が見てもつらいだけだ」
「それでも俺の姉さんだ!」
何を言っても小ロイは諦めないだろう。
それを察したのか、ハボックは盛大に煙を吐き出した。
「知らねーぞ……」
そのまま、呼びにきた部下について歩き出す。ついてくるならついてこい、ということなのだろう。
ハボックの後ろに従った小ロイに、慌ててエドも寄り添う。
一人で行かせたくはない。自分もいたほうがいいと思ったからだ。
プラットホームを梯子を使って降り、線路の端に出た。草が茂っている。
軍の制服を着た男が数人、何かを遠巻きにするようにして立っていた。
「少尉」
「よ」
敬礼する軍人にハボックは軽く手を挙げた。
その後ろのどう見ても子供としか思えない二人組みを怪訝に思ったらしい軍の兵士はハボックに尋ねた。
エドたちは、軍人の集まるこの場にはあまりにもそぐわない。
「こちらは?」
「ああ、国家錬金術師殿とそのお連れさんだ」
「はっ」
「エドワード・エルリック、です」
階級が下の兵士にとっては、少佐相当の地位を持つ国家錬金術師の名前の効果は絶大だ。
おまけに最年少国家錬金術師、いろいろな意味で有名な鋼の錬金術師の名前は殊更だった。
ハボックが声をかけると、我に返ったように慌てて兵士は姿勢を正した。
「身体、見つかったって?」
「はい。腕が片方だけですが。肘から先の左手です」
その言葉に、小ロイが弾かれたように顔を上げた。
「指輪……そうだ、指輪は?」
エドもロイの言いたいことに気づいた。
「ああそうか、結婚前だって言ってたな。婚約指輪とかはめてるのか?」
「電話で、嬉しそうにあいつにもらったって。だから」
「少尉」
エドがハボックの顔を見ると、ハボックは心得ているとばかりに頷いた。
「……どうだ?」
「は、はい、指輪ですか? きちんと確認はしていませんが、見た限りではしてはいなかったと」
問われた兵士はそう答え、小ロイの顔にわずかばかりの希望の色が見えた。
姉じゃないのかもしれない。たまたま同じ靴を履いていただけだったのかもしれない。
ハボックは続けて訊いた。
「身元がわかるもの、なんかありそうだったか?」
「いえ、現時点では何も。目撃者を探して、そちらの線から当たってます」
「けっこうかかりそうだな。……ほら、ロイ、だっけ? 別人かも知れねぇなら、お前はもう戻れ。親心配してるだろ」
ハボックはそう言った後、なんだか感慨深げな顔をした。
どうやら子供に対するものとはいえ、自分の上司の名前を呼び捨てにできたことがちょっと嬉しかったらしい。
しかしすぐに不謹慎だと顔を引き締めて、部下に指示を出し始めた。
エドはアルと夫妻のところにいったん戻ったほうがいいと判断して、小ロイを促した。
「オレたちがここにいても、今できることはない。とりあえず戻ろう、な」
「うん……」
ホームのざわめきは未だ消えない。軍の人間が忙しく動き回り、人々に話を聞き、時折メモをとっている。
おそらく駅員からの指示はまだ出ていないのだろう。
車内の乗客は閉じ込められたまま、ホームに降りてはいないらしい。
エドは自分のいた車両の見当をつけると窓に近づいた。
「アル――!」
「兄さん?」
鎧の頭が窓から覗く。
ずいぶん待たせていた自覚はある。きっと自分が戻ってくるのを待ちわびていたに違いない。
「人身事故でしょ? さっき車内アナウンスがあったよ」
「ああ、それだけじゃなくて、……ちょっと、いろいろあってさ」
手、貸してくれとエドは機械鎧の右手を伸ばした。それを掴んで、アルは小さな身体を引っ張り上げる。
エドの表情は晴れない。
「よっ、と……。サンキュ、アル。事故の処理にハボック少尉が来てたぞ」
「へえ。大佐は?」
やはりアルも気になるのは同じらしい。
「大佐は司令部に缶詰」
振り返って今度はロイに手を差し出し、車内に引き入れた。
少年の眼は不安に揺れている。エドだって、懸念を拭いきれたわけではない。
さしあたり、どうやってグリマー夫妻に切り出せばいいのだろう?
事故に遭って(自殺とはもっと言いづらい。言えない)、亡くなったのは、ひょっとしたらお宅の娘さんかもしれないと。
その可能性が高いと。どうして言えるだろう、この希望に満ちていたはずの二人に。
「ロイ、心配させないでちょうだい」
「……」
母親の言葉にも、ロイは口がきけないでいる。無理もない。彼もエドと同じく言いあぐねているのだろう。
しかも彼の場合、エドと違って肉親だ。エドは意を決して口を開いた。
これ以上ロイに鞭打つような真似をしたくはなかった。
「あの……実は。事故に遭ったの、若い女性で……」
言いにくそうに言葉を紡ぐエドの顔を、夫妻ははっと見つめた。
その顔がみるみるうちに青ざめ色を失っていく。
「まさか、ユーリ……」
「そうかもしれません、……でもまだよくはわかってないんです。身元を判断するものがあまりなくて」
黙っていた小ロイがおもむろに口をはさんだ。
「……靴が同じだったけど。でも指輪はしてなかったんだ」
「そう、今の段階ではなんとも言えません。お嬢さんかもしれないし、……そうじゃないかもしれない。幸い、捜査に当たってる軍人は知り合いですから、なにかわかればすぐに教えてくれるはずです」
真っ青な顔で、グリマー夫人はありがとうございますと頭を下げた。
それから数分しないうちに、乗客に別の列車もしくは軍の用意した車で移動するようにとの連絡が入り、人々は降りる用意をし始めた。
対応の遅さに、軍への文句もあちこちで聞こえる。
同時に、こんな事故を起こした人間に対して、なんて迷惑だと憤る人もいた。
それらの話し声を、エドは複雑な気持ちで聞いた。




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