_______+荒野のフィーメンニン+__




「エドワード」
トランクを担いで再びホームに降り立つと、ハボックが鉛を無理に呑み込んだような顔をして待っていた。
間違いなくいい知らせではない。
エドの顔も、自然と曇る。
「そちらが?」
ああそうだ、先程エドは小ロイのファミリーネームまでハボックに伝えたのだった。
「失礼ですが、グリマーさん……でいらっしゃいますよね?」
エドとアルの少し後ろから歩く夫妻と小ロイに、ハボックがそう問いかけたとき、この場のおそらく誰もが事実を悟った。
「リー・グリマーと申します。妻のジョーと息子のロイです」
「娘、だったんですね……」
力なく夫人が呟いた。
そのままくずおれそうになった身体を、リーが支える。
幼いロイの唇はわなわなと必死に感情をこらえるように震え、今にも大声を上げて泣き出しそうだった。
「目撃者の証言によると、轢かれたのはユーリ・グリマーさんと見て間違いないようです」
「どうして、そんなことに? ホームに落ちたんですか? 誰かに押されたとか」
妻の肩を抱いたままリーは、真正面からハボックに問いかけた。
真実を告げるか否か。
より深い傷を与えるとわかっていて、それでも実行しなければならないときがある。
ハボックは優秀な軍人だ。だからといって冷徹な、人の心がわからないような男ではない。
東方司令部のロイの部下は――ロイ自身も含めて、むしろ逆の人間ばかりなのだ。
ゆえにエドもアルも、彼らと比較的親しいお付き合いができている。
誰が好きこのんで嫌な人間と親睦を深めようなどと思うものか。
だがそれでもハボックは少尉なのだ。責務は全うされなくてはならない。
自分の心を周囲に偽ってでもそれを成せと言ったのはロイだったということを、エドは思い出した。
「どうも、娘さんは自分から線路に飛び込んだらしいです」
ハボックが告げたのは、夫妻にとっては思ってもみなかった事実だ。
なんて残酷な言葉なのだろう。
どうして信じられるだろう。
結婚を間近に控え幸せの絶頂にいる娘が、家族が祝いに来るのをホームに迎えにきて、そこで自殺をするなんて。
普通に考えるとまずありえない話だ。
「そんな、そんなはずありません! だってあの子はもうすぐ結婚するんです! 今すごく幸せなんだって、それなのに自殺するはずが……!! そうです、そんな人間が自殺なんてしますか!?
ハボックに食ってかかったジョーを、リーがなだめた。しかし、こちらも同じく信じられないといった顔をしている。
ハボックはもう煙草を吸っていない。
「動機はまだわかりませんが、何かあったのではないでしょうか。指輪もはずしていたようですし」
「あいつだ! あいつが何かしたんだ!」
「ロイ」
突然それまでこらえていたなにかが切れたかのように小ロイは叫んだ。
「あいつ?」
鸚鵡返しにハボックが尋ねた。
「だから軍人は信じられないって言ったのに!」
顔を上げた小さなロイの目には、今やハボックや自分に対する憎悪もありありと見て取れて、エドは彼の傷の深さを思った。
それはすべての軍人を憎む目だ。
話の流れがわからないハボックが、戸惑ったように夫妻に説明を求めた。
「あいつとは? 軍の人間なんですか?」
「あ、娘の婚約者で、カイン・バレットと……階級は確か曹長だったと思います」
リーが答えると、ハボックはああ、と思い当たったようだった。
どうやら知っている人間らしい。
「わかりました、彼に話を聞いてみます。軍人ならすぐに連絡が取れるでしょう」
どこか別のところで連絡を待つか、それとも軍の施設に行くかと問われ、夫妻は軍の施設に行くことを選んだ。
少しでも早く真実に近づきたいと思っているのだろう。
ジョーの嗚咽で震える肩を、夫はぐっと抱いてやる。
列車に乗っていたときはあんなに母親として包む力のあった身体が、今ではとても小さく頼りない。
「どうする、兄さん」
優しいアルは、彼らが放っておけないようだった。
普段の自分なら間違いなく、アルに『甘いんだよお前は』とかなんとか言って、さっさと自分の目的を果たしに行くだろう。
だが、今のエドはアルと同じように、グリマー夫妻を、少年のロイを、このままにしては行けなかった。
そんな気がしていた。それは何か、予感にも近かった。
「オレたちも一緒に行きましょうか」
エドはそう言った。アルがほっとしたような顔をした。実際には、鎧に表情はないのだが。
「でも……」
遠慮をみせるグリマー氏に、エドはわざとなんでもないことのように言った。
「オレ、結構軍の中で顔が利くから。お役に立てると思います」
少なくとも、国家錬金術師が側にいれば、他の軍人たちにぞんざいに扱われるようなことはないだろう。
不快な思いをする確率もずっと低くなる。
ハボックがこのまま担当してくれるというなら心配しないでもいいだろうが、彼だってつきっきりというわけにはいかない。
どうしたって態度のよくない人間というのはいるものだから、グリマー一家と接する他の軍人が、必ずしも親身になってくれるとはわからないのだ。
「いいよな、アル?」
「もちろんだよ」
もとより反対する理由が無い。
こうしてエルリック兄弟は、グリマー一家の付き添いをすることとなった。




カイン・バレット曹長は、婚約者が列車に飛び込んだとき軍で働いていた。
知らせを受けてやってきたカインは、グリマー夫妻やエドたちの目の前で、涙をこぼして恋人の死を哀しんだ。
エドから見た彼はいかにも誠実そうな、柔和な顔をした男だった。
23だと言っていたが、もう少し若く見えるかもしれない。
「信じられない……! 彼女が自殺するなんて……っ」
「話、聞かせてもらえるか?」
ショックのさめやらぬといった様子のカインに、ハボックは目の前のソファを勧めた。
小ロイはずっとそんなカインの顔を見ている。殺してやりたいと、明確な憎しみをこめて。
「婚約者だったんだって?」
ハボックの言葉に、カインは苦しげに詰まった。
「……いえ、婚約は解消しました」
「なんだって?」
ハボックは驚いて問いかけた。話が違う。
夫妻はというと、ハボックと同様驚いた顔をしていた。彼らも初耳なのだろう。
「少し前、振られたんです。僕。指輪も返されて。もうあなたとは結婚できないって」
淡々と語ろうとしていても、言葉の端々に見え隠れする苦渋。
それは自分自身を責めるものか。それとも死んでしまった彼女への思いか。あるいはやりきれなさか。
「わけがわかりませんでした。理由も、話してくれないし……何か悩んでるようだな、とは思っていましたが、まさか死ぬほど思いつめてるようなことがあったなんて」
そこで言葉は途切れた。
かわりにまた涙がこぼれて、彼の軍服の膝に染みを作っている。
「わかった。仕事に戻っていいぞ」
これ以上彼を拘束しても、有益な情報は得られないと、ハボックは彼に退出を命じた。
母親は泣いている。父親の目も赤かった。
静かな慟哭だけが支配する部屋の中で、突然それを切り裂いたのは、カインからずっと視線を離さなかった小ロイの声だった。
「嘘だ」
部屋の中の誰もが、はっと、小ロイの顔に釘付けになった。
彼の目は語っている。あいつが俺の姉さんを殺したんだ。俺の大切な姉さんを。
ぎらぎらとしたその目に、エドは見覚えがあった。
かつて何度もエドが見てきた目だ。
軍の狗とののしる目、軍人を、軍を憎む目だ。
エドは、軍の施設であるここでの優遇を約束してくれる銀時計を、ぎゅっと握り締めていた。
こちらを気遣うようなアルの視線が、とても有難かった。




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