_______+荒野のフィーメンニン+___




結局あれからエドはろくに眠れなかった。
うっかり夢の続きでも見てしまった日には立ち直れないだろうことが容易に想像できたから、眠ることに抵抗があったのだ。
そして現在のコンディションはもちろん最悪である。
ひたすら自分に言い聞かせ心の安寧を取り戻そうとするものの、なかなかうまくいかず鼓動は乱れっぱなしだ。
忘れろオレ。昨日のあれはオレじゃない。
極限近くまで疲れた脳と、ちっこいほうのロイをロイロイロイロイ呼んでたのと、ハボック少尉に言われたことのせいであんな夢を錬成してしまっただけで、決してオレが欲求不満だとかそういうことじゃないんだ。そうだ。うん。
朝食を感情に任せてがつがつ食べた結果、昨日の『空腹で目覚めた』という言い訳についてアルに
「そんなにお腹すいてたんだねー兄さん」
と信じさせることには成功したが、それを手放しで喜ぶ気にはなれなかった。
なんとか暗示をかけて頭の中から大佐に関することを追い出し、
「ごちそうさま」
と言って食事を終了させようとしたところへ。
とん。
目の前に白い液体の入ったビンが置かれた。
「……なんだよこれ」
「牛乳」
「んなこと見りゃわかる。オレが訊いてるのは、どういうつもりかってことだ」
「兄さんこれ見よがしに残してるから」
「オレが牛乳嫌いなこと知ってんだろ。いらない」
「また好き嫌いして。そんなだからおっきくならないんだよ」
「……その“大きくならない”は背か胸かどっちにかかってるんだ」
「えーと、両方かな?」
「かな? じゃねぇ――!!
いらんと言ったらいらん!! と怒鳴るエドに、アルも負けじと兄さんわがまま!! と言い返す。
姉弟げんかと称したスキンシップに突入しようとしたところで、ノックの音がそれを打ち破った。
投げつけようとした木製の椅子を床に下ろして、エドはドアを見、次いでアルを見た。
「どちらさま?」
エドがドアの向こう側に呼びかけるその隙に、アルはエドの手に牛乳のビンを押し付ける。
と、あちらからどこか不機嫌を含んだ答えが返ってきた。
「……ロイ」
がっちゃん!
思わずエドはビンを取り落としていた。
アルがああっと声を上げるが、今のエドにはそれを気にする余裕がない。
いや、頭ではわかっているのだ。ロイはロイ・グリマーであって、ロイ・マスタング大佐ではないことは。
しかしあんな夢を見た後では、ロイという単語に対して平常心を保つのにも一苦労だった。
落ち着けー落ち着けー。こういうときは錬成式でも思い浮かべるに限る。よし。
床に散らばったガラスの欠片は危ないので錬成して直し、小ロイを部屋の中へ招くと、彼はエドと目をあわせないようにして入ってきた。
「おはよう、ロイ」
「……おはよう」
アルの挨拶に一応挨拶し返すが、不機嫌な態度は崩さない。
昨日一日でずいぶん嫌われたなぁ、とエドの口元に苦笑が浮かぶ。
まあ、軍人はどこへ行っても嫌われ者だから、これは国家錬金術師の宿命みたいなものだけど。
「ご両親はどうした?」
「なんか、葬式とか、いろいろ手続きがあるからって、軍に行かなきゃならないんだって」
「ああ……そっか、なるほどな。で、お前は待ってろって?」
「うん、だから……今日は俺、あんたたちについていこうと思って」
目を丸くするエルリック兄弟に、小ロイは手を合わせて
「頼む! 俺も連れてってよ!!
どうする? と弟は姉を見る。
どうするって……。エドはこめかみに手をやりながら息を吐いた。
「……遊びじゃないんだぞ」
「俺は本気だよ! 姉さんを殺したやつを絶対許さない、だから行きたいんだ!!
「あのなぁ、殺されたとか、軽軽しく言うな。まだわからないだろ」
「わかるよ!!
否定するロイに、エドの眉がぴくりと動いた。
「なんでわかる」
「…………わ、わかるさ。俺は弟だからなっ」
「ふーん……?」
「い、いいから連れてけよ!」
「なぁアルフォンス、なんでこの子はこんなに偉そうなんだろうねぇ?」
「あ、ご、ごめんなさい連れてってくださいお願いします」
大嫌いな軍に頭を下げてまで、真実を求めるのか。そういうところは少し自分とも重なって。
自分がこの事件を放っておけなかったのは、なによりロイがいたからなのだろう。
「わかった、連れてってやる。そんかわり邪魔はすんなよ。大人しくしてろ」





「おお、さすが富豪のお屋敷」
目の前にどっしりとかまえるネルソン氏の屋敷に、エドは感嘆の呟きをこぼした。
広大な敷地に華美な装飾の施された外観、庭には噴水まである。
軍と癒着してそうだな……。エドは顎の下に手を添えた。
仰々しい鉄の柵の横には門番部屋とおぼしき小部屋があり、中に人がいるのが見えた。
「すみませーん」
呼ぶとすぐに出てくるあたり、職務に忠実な人物であるようだ。
なかなかに屈強な30がらみの男で、その風貌は用心棒代わりでもあるのだろうと思わせる。
「……なにか……?」
子供と得体の知れない鎧の3人組だ。不信がるのも無理はない。
エドは銀時計を男にわかるように見せると、
「軍東方司令部からの任務でやってきました、国家錬金術師のエドワード・エルリックです。ちょっとお訊きしたいことがあるんですけど、取り次いでもらえます?」
男は恭しくお辞儀をし、少々お待ちくださいといって部屋に戻った。
屋敷の中に電話をかけているのか、ぺこぺこしながら話しているのを見ながら、エドたちは大人しく待った。
軍の関係者の応対に手慣れている。
いや、というより、エドが軍人とわかって態度が急変するのは。
やはり――――……。
もしかすると少しやっかいなことになるかもしれない。
「どうぞ」
柵が音を立てて開き、中に通された。中といっても、屋敷の玄関まではまだだいぶ距離がある。
庭師が植木の剪定をしている。屋敷の玄関をメイドが掃き清めている。
この広い屋敷にいったい全部で何人ぐらい従業員がいるのか、話を聞くのも一苦労になりそうだ。
年若いメイドは箒を持つ手を止め、門番と同じく恭しくお辞儀をした。
彼女の手によってドアが開くと、そこにはお約束のように赤い絨毯が敷かれていた。
なんかほんっと金持ちって感じだな……と足を踏み入れると、ドアの内側には数人のメイドが控えていて、彼女たちに応接室へと導かれた。
エドにだって国家錬金術師としてものすごい額の研究費が支払われているのだが、旅から旅へ、普段贅沢をしない生活のため、自分が金持ちだという自覚はない。
応接室にはこの屋敷の主人であるフェール・ネルソンが待っていた。
エドたちが部屋に入ってくるなり高そうなソファから立ち上がり、
「これは国家錬金術師殿。当家になんの御用でしょう?」
と、アルに話しかけた。……これも、お約束だ。
いや、もう何も言うまい……。エドは黙ってまた、銀時計をフェールに示した。



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