_______+そして全てに幕は下りる+___




オキシドールに浸した脱脂綿を頬の擦り傷に当てられて、エドは盛大に顔を顰めた。
「いつっ」
見えないがおそらくしゅわしゅわと泡を立てているだろう過酸化水素水を薄めた消毒液は、殊のほか傷口に沁みた。
火傷は水で洗われて、これで冷やしなさいと氷を貰った。
医務室に同行したルーの方は、治療の必要が無いほどごく軽症の火傷のみで、だから軍医を前に座っているのはエドだけなのだけれど。
後ろにはルーとホークアイ中尉がいて、エドはなんとなくいたたまれなさを感じた。
ホークアイはずっとエドの怪我を気にしてくれていて、それがなんだか以前、エドが髪を切られた(カツラだったわけだが)ときのロイを思い出させて仕方が無いのだ。
勿論、ホークアイに他意はなく、純粋にエドを心配してくれているだけだとわかってはいる。
けれど車の中で聞いた話が、ずっと頭の中にこびりついたように離れなくて、困惑する。
髪切り魔の事件のとき彼が怒ったのは、自分の身を省みないエドを心配するからこそ。……だと、思う。
嫌なわけではなくて、でもだからこそ反発したくなる。
綿が水を吸うようにすんなり受け入れるには、エドは他の色々なものを含みすぎていた。
ホークアイには、手当てなんていいよと断ったのに、「エドワード君の怪我を、大佐もきっと気にしているはずよ」と、とどめのように言われてしまっては、断りきれなかった。
彼らはエドの本当の性別を知らないからまだいいが、この場に鎧の弟がいたら「兄さん顔に傷なんか作って!」とたっぷりお説教されるに違いない。
想像するだけで恐ろしい。冷や汗が吹き出そうだ。
しばらく氷を当てた後の火傷の上から、薬を塗ったガーゼをかぶせられてテープで固定され、ようやく治療が終わる。
「これでいいだろう」
「ありがとうございました」
軍医に礼を言い椅子から立ち上がると、破れたドレスが足に絡んだ。……邪魔だ、はっきり言って。
「中尉、俺、着替えたいんだけど……なんかいらない布ない?」
普段の服はドレスに着替えたとき部屋に置いてきてしまったし、このボロボロの状態を何とかしたい、一刻も早く何とかしたい。
ホークアイも改めてエドの姿を上から下まで眺めて、頷いた。
焦げた前髪、後ろ髪はほこりをかぶっているし、顔は手当ての際拭いたからもう汚れてはいないが、手袋は薄汚れて、元の色が白だとは信じられない。
見るも無残になったドレスの上にロイの上着を羽織った身体は、よく観察しなくてもあちこちが焦げたりすすで黒い。
ぼろぼろの裾から、機械鎧の足も生身の足も惜しげもなく晒されている。
「その前に、お湯を使ったほうがいいかもしれないわね」
「へ?」
「タオルとお湯を用意するから、身体のすすを拭いたほうがいいわよ。少し火傷に沁みるかもしれないけれど」
「え、あ、い、いいよ!」
「いいえ、ダメよ。こちらのせいで大変な目に合わせてしまったのだから、それくらいはさせてちょうだい」
「う……」
エドはホークアイに弱い(もっとも、彼女に強い人間などお目にかかったことは無いが)。
『お願い』されて無下にできるわけがない。
「じゃあ……お願いシマス」
医務室を出て、ホークアイに誰もいない別の一室に案内される。部屋の中はカーテンが閉めてあって、薄暗かった。
「ここ、使っていいの?」
「ええ。今、お湯と着替えを持ってくるわね。手伝ったほうがいいかしら?」
「い、いいよ! 傷、あるし……あんま女の人に見せて気持ちいいもんでもないし」
ぶんぶんと手を振って苦笑した。
ルーもエドの後をちょこちょことついてきたが、この少年にも、着替えを見られるわけにはいかない。
「中尉、ルーはどうすんの?」
「ああ……エド君と一緒じゃなきゃ話したくないんですって。懐かれたわね、"お姉ちゃん"?」
「ちゅ、中尉まで……! そりゃこんなドレスなんか着てっけど、オレだって一応男なんだぜ!? 傷つくなー」
本気で傷ついたわけでも、怒っているわけでもない。
これは軽口の類で、こういう嘘を自然につけるくらい、ずっとエドは男として生きてきた。
「ふふ、ごめんなさい。少し待っていて、必要なものを持ってくるわ」
「ありがとう」
ホークアイをドアの外に見送って、エドはルーと二人きりになった。
少年の双眸は何かを期待するようにじっとエドを見つめている。
「ルー、じゃあ中尉が戻ってくるまで少し話すか?」
そう言うと、ルーは顔を無邪気に輝かせた。
「うん!」
「あと、お姉ちゃんじゃないからな、お兄ちゃんだから」
「……お兄ちゃん。エド、お兄ちゃん?」
エドは目を瞠った。
――――なんてことだ、生身の頃のアルに言われてるみたいだ。
思わず熱くなった目頭を押さえて瞬きをして、こみあげそうになったものを散らす。
「ルーは一人っ子?」
「ううん、お姉ちゃんと弟がいた」
過去形であることに、エドははっとした。
「お姉ちゃんはいなくなったし、僕も、お兄ちゃんじゃなくなっちゃったんだ」
「ルー……?」
どこか奇妙な言葉に引っ掛かりを覚えたが、それを問う前にルーから尋ねられた。
「エドお兄ちゃんは? 兄弟いる?」
「あ、ああ。弟が一人。少し、お前に似てるよ」
「そうなんだ! いいな、その子」
「その子って……14だから、お前よりたぶん年上だぞ。お前、いくつだよ」
エドに言われて、ルーは小さな両手を出し、いち、にい、と指を折って数えはじめた。
片手を折り終わったところで顔を上げ、首をかしげた。
「うーんと……わかんない」
「ははっ、なんだそりゃ」
「エドお兄ちゃんはいくつなの」
「オレ? オレは15だよ」
「この上着くれた、あのおじちゃんは?」
エドの肩に自分の上着をかけてくれた無能上司の顔が浮かぶ。
「あいつは……えーと、29だったっけ? あんな童顔でも、実はけっこう年食ってんだ、これが。だからルーから見たら確かにおじちゃんかもな、ははっ」
「29さい?」
「ああ、見えねーだろ」
「ふーん……」
ルーはそう言った後、エドをじっと見た。
「エドお兄ちゃんは、あのおじちゃんが好きなの?」
「えっ……」
いきなり何を、とエドがうろたえずにすんだのは、ちょうどノックの音が聞こえたからだった。
こんこんと控えめだけれどちゃんと響くそれ。
ホークアイが戻ってきたのだ。


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