_______+そして全てに幕は下りる+___



ふわりと漂う花の香りは、軍服にはひどく不釣合いだった。
ロイは執務室に入ってくるなりエドの正面まで歩み寄り、え、え、とエドが戸惑っている間に、問答無用でエドをソファに座らせた。
アルにエドの隣を勧め、さっさと自分も向かいに腰掛ける。
それから一息つき、
「良かった、間に合ったな。中尉、何か飲み物を淹れてくれるか」
「ええ、今そうしようと思っていたところです」
「いやだから、オレらは帰るんだって! それに疲れてる中尉に、そんなこと」
エドは立ち上がった。
表面上はいつも通りぴしっとしているホークアイも、よく見れば疲労の影が見え隠れしていたのだ。
おそらく、あまり寝ていないのだろう。昨夜から家にも帰っていないに違いない。
ロイが顎の下に手を当てた。
「ふむ、それもそうだな。なら私が淹れよう」
彼の動きに合わせて、また甘い香りが鼻先をくすぐる。この匂いはなんだろう、とエドは思った。
悪い匂いではないのだが、あまり好きにはなれない匂いだ。何故かはわからないが気に障る。
「そういう問題でもないんだけど! あんたオレの話聞いてたか!?」
「聞いていたとも。聞いたうえで却下しただけだ」
「外道! 無能! 横暴っ!」
「なんとでも言うがいい。どうしたって力関係は揺るがないぞ」
「くっ……」
「わかったなら、大人しく座るんだな。ソファが嫌なら私の膝に座らせるが」
彼はぽんぽんと自分の膝を叩いて示し、エドがセクハラ発言を抗議するよりもアルが腰を浮かせるよりも早く、一発の銃声が響いた。
「ちゅ……中尉……?」
ロイは青ざめ、引きつりながら呟いた。
銃弾は頬を掠め、ロイの肌に一筋の線を残していた。
全員が慄きつつホークアイを見ると、どうやら撃った彼女自身も驚いているようだった。
銃をしまいながら首を捻る。
「すみません、本気で当てる気はなかったんですが……おかしいですね。ちゃんとぎりぎりはずして撃ったはずなんですけど」
「やっぱり疲れてるんだよ」
エドの言葉に、ロイも頬をさすりながら頷いた。まだ血の気は引いたままだ。
「……中尉。君が狙いをはずすなんてよっぽどだ。仮眠をとってきたまえ」
「では、そうさせていただきます。大佐、私がいないからといって、くれぐれも仕事をさぼったりなさいませんよう」
疲れてはいても、しっかりと上官に釘を刺すのを忘れないところは流石だ。
一礼して、ホークアイは執務室を出て行った。
残されたエドは、途端に気まずく、隣のアルの顔を見上げた。アルは行儀良く座っている。
「さて、では私自ら飲み物を振舞うとしよう。今日は暑いから、アイスコーヒーでいいかい?」
「あーそうですか……じゃあ一杯だけ飲んだら行くから」
諦めて、やれやれとエドは溜息を吐く。
「一杯といわず、もう少しゆっくりしたらどうだ」
「一杯でいい」
ソファの背もたれに埋もれるようにだらしなく体重をかけ、ぼやいた。
「はぁ……、こうしてる間にも賢者の石を探す時間が失われていく……」
ああ、とロイはエドの目の前にマグカップを置く。グラスが見つからなかったらしい。
「そのことで君達を引き止めたんだ」
「え?」
エドは姿勢を正し、冷えたカップを左手で包むように持った。
「植物の錬成の研究をしている錬金術師がいると聞いてね。訪ねてみるといい、きっと何か参考になる」
エドはアルと顔を見合わせる。ロイは笑った、
「国家錬金術師ではないが、なかなかに優秀だそうだよ。名はラウル・レッドブルーム」
聞き覚えのある名前に、エドは尋ねた。
「レッドブルーム? って、ひょっとしてレッドブルーム病院の関係者?」
「知っているのか?」
「あ、うん。昨日の子役の子がさ、そこの院長の息子だっつってた」
「そうか。ラウルは院長の兄だが、医者にはならず錬金術師として一人で暮らしている。病院とは縁を切ったも同然の生活だそうだ」
これが連絡先だ、と言ってロイは紙切れを渡してきた。
エドはそれをありがたく受け取ると、折ってポケットの中にしまった。アルが礼を述べる。
「大佐、ありがとうございます」
「たいしたことではないよ」
ロイが微笑み、また花が香る。コーヒーの香りと混じってはいるが、確かに漂っている。
ひょっとして香水でもつけているのだろうかとエドは思い、彼を見た。
だがこの甘さは女物のような気がする。神経をひっかくような甘ったるさ。
視線に気づいたのか、ロイはエドと目を合わせた。
「どうかしたか?」
「なあ、あんた香水かなんかつけてる?」
「いや……? ――――あ」
彼は何かを思い出したかのように口元に手を当てる。しかし、思案したままそれきり答えない。
エドは首を傾げた。
「なに」
「なんでもない、気にしないでくれ」
「ふぅん?」
エドはコーヒーを豪快に一気飲みした。
あっという間に飲み終えてしまうとぷはっと息を吐き、手で口元を拭う。
早業に、ロイの目が丸くなった。
「ご馳走さん。んじゃ行くわ」
「ちょっ……もう行くのか? いくらなんでも早すぎないかい」
「一杯だけの約束だろ。アル」
アルのほうを振り返って促すと、アルもソファから立ち上がる。ぎしりと鎧の巨体が鳴る。
ロイはどこか焦り気味に引き止めてきた。
「待ちたまえ、まだ話が」
「話? 賢者の石に関する情報?」
「そうではないが……」
「なら今度にしてよ。オレら急いでんだよね」
そう言うとエドは、ロイの言葉も待たずに身を翻した。


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