_______+そして全てに幕は下りる+___



ロイから距離を置いてもなおまとわりつくような甘ったるい匂いが、エドに平常心を失わせる。
ロイの声が聞こえたが、無視した。
「待て、君はっ」
待たない。
アルの手を掴み、体当たりに近い勢いでドアを開け、部屋を出ると即座にドアを閉め、駆け出した。
兄さん? と、戸惑ったような弟の声が鎧のガチャガチャいう音に混じってすぐ側で聞こえる。
それも無視した。
再びドアの開く音が耳に届いた。
「鋼の!」
エドは舌打ちしたくなった。大佐のヤツ追ってくる気か、しつっこい。
そこまで話したいことってなんだろう、と少し後ろ髪を引かれたが、エドは逃げる速度を上げた。
自分でもなんでこんなにイライラするのかわからない。
感情が激しく揺れる振り子のようで、制御できない。疲労のせいだろうか?
「うわっ」
急いで角を曲がろうとしたところで、何かに思い切りぶつかった。
前から手が伸びて、よろけたエドを間一髪支えた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがと……」
礼を言うために顔を上げればハボックだった。
しかし煙草は銜えておらず、軍服からは微かだがロイと同じ匂いがした。
その理由はすぐにわかった。
彼の隣にはこちらを見て微笑を湛えたクリスティ・ドールがいて、はっきりと花の香を纏っていたからだ。
走ったためにあがっていた息のせいで、うっかり口から空気を吸い込んでしまう。
――――肺の奥深くまで入り込んだ香りに眩暈がした。
「兄さん!」
「エド!」
一瞬意識が真っ暗になり、再び視界が色を取り戻したときには、ハボックに抱きとめられていた。
ハボックは驚きの表情でエドの顔を見下ろしている。目の前で突然倒れかけたのだから、それは驚くだろう。
エドは状況を認識し、慌てて彼の腕の中から離れた。
「わ、悪い、疲れてるみたいだ」
しかし、思いのほかタイムロスであったらしい。
「ハボック、そのまま鋼のを捕まえていろ!」
「え、あ、イエッサ!」
追いついたロイの命令が廊下に響き、悲しいかな部下は条件反射的にエドの腕を捕えた。
エドは呆気に取られたがすぐさま我に返り、なんとか逃げ出そうともがいた。くそ!
けれども相手は肉体系の軍人で、力では適わなかった。
鎧の弟は傍らでどうするべきかおろおろと迷っている。
ロイはエドがもはや逃げられないと見ると、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
その余裕のある態度が癪に障る。
ぴたりとエドの横で足が止まった。エドは下を向いて唇を噛み締めた。
「ご苦労、ハボック。鋼の、来たまえ」
素直に従えるくらいなら、そもそも最初から逃げたりなどしない。エドは頑なに拒んだ。
「や、やだ!」
瞬間、空気にぴりりとした電流に似たものが走った。あるいはそれは炎だったかもしれない。
そして次に空気を振るわせたのは、怒気を孕んだロイの声だった。
「エドワード!」
エドは肩をびくりと跳ね上げた。
「いいから、来るんだ」
ロイは言うと、アルに「しばらく兄さんを借りるよ」と断り、エドの生身の手のほうを取った。
「ああ、それとハボック、ドール嬢をきちんとご案内するように」
「……は、はい」
ハボックは目の前で繰り広げられたものに驚きが継続中らしかった。
どういう事態なのかついていけないので傍観しているしかない、という感じだ。
それからエドは腕を引かれるまま、ロイと共にその場を後にした。


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