だんだんと陽射しが強まり、影が濃くなりだす。
春が過ぎ、そして梅雨、それから夏がやってこようとしていた。
紫陽花の株がつぼみをつけ始め、いったい何色になるのだろうと考えるのは楽しかった。
道場の門前で着物の袖端を結び涼をとるために打ち水をしていた妙は、目の前の地面にかぶった人影に目を上げた。
ひしゃくを持ったまま、中身をその辺にぱっと投げる。
「うぉっ! てめェ、何しやがる!」
影の主――土方はそれをぎりぎりでうまく避け、水浸しになるのを免れたが、明らかにわざとであろう妙に猛然と抗議した。
「あらごめんなさい、気づかなかったわ」
「嘘つけこの野郎!! 目が合ってたじゃねェかァァ!!」
「うるさいわね、文句があるの?」
「すんませんでした」
水のなみなみ入った桶ごとこちらに向けられて、土方は素直に引き下がった。
本当なら文句は山ほどあるのだが、ここでそれを言うと頭から桶の中身を浴びせられかねない。
いくら暑くなってきたとはいっても、濡れ鼠になるのは御免こうむりたかった。
「それで、真選組副長さんが、一体どんな御用かしら」
「ああ――近藤さんいるか」
それが至極当然であるかのように土方が言うので、妙は首をかしげた。
「どうして私のところに来るの?」
「とぼけんなよ。近藤さんがあんたに惚れてるなんてェのは、今や真選組ん中じゃ常識にまでなってんだよ」
「嫌な常識ですこと」
「まったくだ」
「私とあの人の関係なんて、出会い頭にラリアットかましてやるぐらいの間柄でしかないわ」
「……今度隊士どもにそう言っておく」
少々口の端を引きつらせながら土方は一歩後じさった。
「で、どうなんだ? いるのか、いねェのか」
「来ていないわよ。昨日、ちょっと多めにお灸をすえておいたから、流石に諦めたんじゃないかしら」
一体何したんだ、だが訊ねるのも恐ろしい。
土方のそんな顔色を読み取ったのか、妙は唇に笑みを刷いた。
土方は不覚にも、どきりとその表情に目を奪われる。
「江戸の玉は硬いのよ。ちょっとやそっとじゃ思い通りに磨かれやしないわ」
言いながら、もう用事は済んだとばかりに妙は桶を持ち直した。
普段は着物の袖にきっちり隠れているその腕が白くまぶしくて、土方は思わず妙の動きを目で追った。
水をまく腕の白い軌跡が光の筋のようだった。みょうに艶めかしくて惹きつけられる。
立ち去らない土方を不思議に思ったのか、妙は再び声をかけた。
「市中見廻りに行かなくていいの? こんなところでさぼっている場合じゃないでしょう、副長さん」
「……土方」
土方だ、と憮然とした表情を崩さず言った男を、女はどう思ったのだろう。
「そう、じゃあ、土方さん? 仮にも警察なら、町民の安全を守るのがお仕事でしょう」
「あァ……まあ」
「なら、さっさと見廻りにお戻りなさいな。さしあたってはあなたのところの局長さんの手綱をしっかり握っていていただけると、私の安全はだいぶ守られるんですけど」
「……善処しとくぜ」
土方はゆっくりと踵を返しかけ――――途中で振り返った。
「なあ、あんた――いい女だな」
気づくのが遅すぎるわ、と後ろから声が被さるのを感じながら、土方は職務を全うしに戻るのだった。
何かいいことでもあったのか、と沖田に問いつめられるのは、あと数分後の話である。
ルドモ