志村道場は、ミもフタもない言い方をしてしまえば、金に困っていた。
質素倹約が合言葉。贅沢は敵。着物の新調なんてもってのほか。
でも気になる男との逢引ともくれば、着るものに悩んでしまうのは可愛い乙女心。
一着くらい綺麗な着物が欲しいとは言わないけれど思うぐらいいいだろう。
妙は姿見の前で袖を広げてポーズを取ってみた。
「……いまいち」
でもこれが一等綺麗で、一等似合う着物なのだ。
ばかばかしい、なんで私があの人と会うのにこんなにあれこれ服を迷わなくちゃいけないの。
だって銀さんじゃない。いまさら取り繕ってもどうしようもないのだし。
妙は思い切るように姿見から視線をはずした。

化粧はいつもより時間をかけたのでなかなか自信がある。
もう迎えに来る頃だろうか、そう思ったまさにそのとき、木で出来た門を叩く音がした。


カラコロと下駄の音を響かせて歩く。
「どこに行きましょうか」
「んー……」
気のない返事は一応の照れ隠しだと知っている。
柄にもなく誘ったのは向こうだから、少しは行動予定について考えてきてはいるだろうが、さて。
かなりゆっくり目に歩いているのだが、銀時との距離が開かないのは、どうやら隣の男が歩調を合わせてくれているらしい。
これでもこの男なりに気を使ってくれているのだろうと思うと結構嬉しいものがある。
商店街は活気があってにぎやかだ。
物売りの声や呼び込み、子どもの声も時折混じって、その中で二人は仲むつまじい男女に見える。
あるいは夫婦?
飛躍した考えに思わずくすりと笑みがこぼれた。聴こえたらしい銀時が怪訝な顔でん、とこちらを見る。
だってまだプロポーズもされてないのに、いきなり夫婦だなんて。
「なんでもないわ」
「そっか?」
今日は他愛もない会話と散策を楽しむ、その程度。
だとしてもこれは一応デートと言うのだろうか。
「ねえ銀さん」
「なんだお妙」
「手を繋いでもいいかしら」
「何いきなり乙女チックに目覚めちゃってんのお前。これ掲載紙ジャンプだよ? りぼんじゃねーんだぞ。同じ集英社だけど」
「恥ずかしいなら素直にそうおっしゃいな」
「だ、誰が少女漫画に憧れるお年頃だコノヤロォ!!」
「……もういいわ」
妙は諦めかけたのだが、銀時は手のひらをごしごしと着物の袖で拭いていた。
「いつ手ェ繋ぐのが嫌だっつったよ。ホレ、こんなんでよければいくらでも貸すぜ」
「ありがと」
ここは素直にもらっておく。ばつが悪そうな銀時の顔が見れただけで、妙としては満足なのだけれども。


ときたま目に付いた店をひやかし、手を離しては再び繋ぎ直す。
しばらく歩き、そろそろ昼餉にするかと適当な店に入ろうと思った頃。
「よっ旦那、別嬪の嫁さんにプレゼントでもしないかい?」
「は?」
露天商の親爺がそう声をかけてきて、思わずふたりそろって振り向いた。
周りには彼らのほかに、親爺の台詞に該当しそうな二人連れは見当たらなかった。
ということは、旦那とは銀時のことで、嫁とはひょっとしなくても妙なのだろう。
先ほどの空想を思い出して図らずも妙は赤面した。
「あ、あのねおじさん」
「何売ってんの?」
慌てて否定しようとしたのだが、隣の銀時は特に気にした様子もなく親爺の話に乗ったので、妙は面食らってしまった。
え、え、え?
誤解をそのままに男の話は続く。
「そうですねェ、櫛とか簪とか」
「ふーん……おいお妙」
広げられた品物を覗き込んでいた銀時が振り返る。どうしてそんなに平然としていられるのだろう。
「ちょっとこっちきて選んでみ。好きなの一個」
「どうしてそうなるの?」
「旦那としては別嬪の嫁にひとつくらいプレゼントをしようと思ってだな。簪くらい買ってやらぁ」
「そんなお金があるなら新ちゃんのお給料に回して頂戴」
「ばっかお前、これは特別手当なの。現金払いは不可」
さあ観念してひとつ選べ。
そう言うものだから、妙も銀時の言うとおりに観念して銀色に紫の花飾りのついた簪を手に取った。




数日後。万事屋に出勤してきた新八は妙に機嫌が良かった。
「どしたの新八。なんかいーことでもあった?」
「あ、いえ。僕っていうか姉上なんですけど。臨時収入があったとかってちょっと昨日の夕食が鍋だったんです」
「……臨時収入?」
銀時の眉が歪む。まさかそんなことはいやいやいや。疑うのは良くない。
「なんでも簪を売ったらしいですよ」
良くない……んですが、疑いが確信に変わった場合はどうすればいいんでしょォかねェ。
銀時はソファからゆらりと立ち上がった。
「――――新ちゃん、神楽まだ寝てるが起きたら今日は銀さん用事があって出かけたって言っといてくれや」
「は? ちょっ、銀さんどこ行くんですか、銀さーん!?」




道場の前まで来た銀時は、ガラリと戸を開け放った。
「いるかお妙ェェェ!」
「あら銀さん、どうしたの?」
妙は普段と変わらぬ出迎えで姿を現した。いや、どこかが普段と違うような気もしたが。
「どうしたもこうしたもあるか! おっまえ硝子の少年心を傷つけやがってそりゃあんまりなんじゃねェのかこのやろおォ……って」
きょとんと見上げてくる妙の髪にはちゃんと簪がさしてある。それも、銀時が贈ったものが。
銀に紫の花。
「あ、あれ?」
「すごい剣幕ね。それで、一体全体なんの御用があるっていうのかしら」
「い、いや、その、だなぁ」
うろたえる銀時に、妙は何かを感づいたらしい。
「ははぁん……さしずめ新ちゃんに何か聞いて、勘違いして押しかけてきたってところかしら」
「――――う」
その通りだったので何も言い返せない。一瞬とはいえ彼女を疑ってしまったのは事実だ。
後ろめたいことのある男は黙って俯くしかない。
妙はやれやれ、と半ば呆れたようにため息をついた。
「質に入れたのよ、前の簪を」
「んあ?」
「私にはこれひとつで十分だから。今まで使ってたやつを質に入れたら、予想してたよりお金が入ったのよね」
妙は嬉しそうにそう笑った。
けれどそれは、以前使っていたものがなかなかの値打ち物だったということで。
対して銀時が買ったものは所詮露店の安物だ。
「お前それ、……いいのか」
「いいのよ。嬉しかったんだもの」
どうやら銀時は少し気にしてしまったらしいが、そんな必要は全くないのにと妙は思う。
そう、本当に嬉しかったのだ。
簪もそうだけれど、なにより「別嬪の嫁」という言葉を否定されなかったことが。
なんてことはあまりにも自分のキャラと違うので言えやしない。
「さ、誤解が解けたならとっととお仕事に戻って頂戴。それとも新ちゃんや神楽ちゃんだけ働かせる気?」
「おー。了解、そのうちもっといいもんくれてやらぁ。楽しみにしとけよ」
「それはどうも」
「そのためにまずは甲斐性ゲットだよな」
「せいぜい頑張って」
「おまっ、てめェにゃ無理だとか思ってんだろ!? 見てろよ、こんなキンキラキンのプレゼントしちゃる!!」
「気長にお待ちしてます」
いってらっしゃいと妙は彼を送り出す。
それはまるで新婚夫婦の朝の会話のようだった。




ルドモ