秋の日はつるべ落としとは良く言うが。
この間まであんなに長かった昼が嘘のように、夜との戦いは形勢が逆転している。
放課後、六時ともなればもう暗くなってしまう空を見上げて妙は苦笑した。
買出しに行きたかったからもう少し早く帰るつもりだったのに、図書室で勉強していて思いのほか遅くなってしまった。
「けほん」
小さな咳をして、スカーフが揺れた。
妙はまだ少し痛む喉を軽く押さえながら、後ろの気配にふと振り返った。
「よお」
同じクラスの土方が、どこかばつの悪そうな顔をして立っていた。
それにしても、この男には本当に学ランが良く似合う。
「あら、土方君も今帰り?」
「ああ――まあな。それよか、まだ風邪治ってねぇみたいだな」
「たいしたことないわ。熱もないし」
「そんなこと言ってて、無理してぶりかえしたらどうすんだ。遅くまで残ってんなよ」
「そうね、はやく家に帰りたいのはやまやまなんだけど。困ったことに、これからお夕飯の買出しに行かなきゃならないのよね」
じゃあまた明日、と振ろうとした手を掴まれた。
男の手のひらが思いのほか熱くて、むしろ彼のほうが熱があるんじゃないだろうか。
妙はしげしげと彼を眺めた。
「なあに?」
「荷物持ちが必要だろ」
「あら、いいの?」
「体調悪い女に重いもの持たせるよりかはましだ」
「じゃあ、甘えちゃおうかしら」
やっぱり彼はばつが悪そうな顔をしている。それがなんだか面白くて笑うと、土方はますます渋面を作った。
恥ずかしいのなら妙のことなど気にせず帰ればいいのに、風邪気味の女をほうってはおけないし、さりとて単なる手助けと割り切って妙を意識しないでもいられないのだろう。そんなところが彼らしかった。
「……おい」
「なに?」
「多すぎねぇか、量が」
土方はカートに積み上げられていく食料品の山を見て眉をしかめた。
妙は涼しい顔で、
「せっかく男手があるんだから重いものを買いだめしておこうかと思って」
そう言いながら醤油と味噌を山に加える。
そんな風にして売り場を一通り回り終える頃には、カートの中の山はかなりの高さになっていた。
当然会計もそれなりの値段である。
札を出して少々の小銭しか返ってこないのだが、それと一緒に渡されたチケットが五枚。
「今福引やってるんですよ。どうぞ帰りにでも寄っていってください」
愛想良く言うレジの中年女性に、はぁ……とあいまいな返事をして、カートの中の物をビニール袋に入れる。
卵に葱に醤油に味噌に、じゃがいもにんじんきゅうりに玉葱、その他諸々きっちり詰めて三袋ぶんになった。
妙は土方にひとつ渡してから、残りのふたつを当たり前のように手に取った。
「志村」
「どうかした? あ、ひょっとして重過ぎたかしら。こっちの一袋は少し軽いから、換えましょうか?」
そう言って袋を差し出したが、取る気配が無い。妙は首を傾げた。
目の前の土方は、どうやら怒っている。
「そうじゃねえ。あのな、これじゃ荷物持ちの意味ないだろうが。なんのために俺がついてきたと思ってんだよ」
「でも、随分助かっているけど」
「いいからそっちもよこせ」
妙が何か言う隙もなく、土方は妙の両手にあった荷物を奪っていた。
てぶらになってしまった妙は目を瞬いた。
「あの、土方君?」
「なんだ」
「……重くない?」
「別に」
少しは重いのだろうが、彼は平気な顔をしている。
「やっぱりオトコノコなのねぇ」
思わず感心して呟いた。不機嫌に声が返ってくる。
「コはやめろ……」
スーパーの入り口のところで、からんからんと鈴の音がした。
福引の機械と、その横には様々な景品が積まれている。
「あ、ねえ福引。ちょうど五枚で一回ですって」
「なんか欲しいもんでもあるのか?」
「そうね、お米が欲しいかな。そろそろ無くなりそうなの」
土方は景品に眼をやった。三等米俵二十キログラム。
――――さすがにこれはキツイ。
いや、俵だけなら持って帰れるだろうが、両手にスーパーの袋を三つも提げているとなると……。
土方の顔色が変わったことなど知らぬげに、妙は福引係のスーパー店員と談笑している。
「右に一回まわしてください」
言われたとおりに妙が機械を一回転させる。
土方はつい八等ポケットティッシュになることを願ってしまったが、固唾を呑んで見守った玉は、灰色だった。
「あー、これは七等ですね。はい、賞品。またどうぞー」
妙の手に渡されたのは小さなぬいぐるみ。――パンダの。
「だから灰色なのね」
「米じゃなくて残念だったな」
「そんなこと言って、ほんとはちょっと安心したでしょ?」
妙はくすくす笑う。見透かされていたか、と土方は少し面白くない。
志村家への帰り道を歩く間、妙はパンダの手をひっぱったりしていじっていた。
と、何かに気づいたように妙が振り返った。セーラーのカラーが翻る。
「ね、結構前にこういうCMあったわよね?」
「ああ?」
「これに似たパンダの。えっと」
次の瞬間。
土方は、目の前の現実を疑った。
「奪っちゃったー」
どさり。
手の中の袋が落ちた。卵がつぶれたらしい音が聴こえたが、それを気にする余裕がない。
何が起こったのか把握しようとするので精一杯だ。
卵もまさか、妙以外の手で可哀相な目に合わされるとは思ってもみなかったに違いない。
「あ、ちょっと! 何やってるの、つぶれちゃったじゃない」
抗議する妙に言ってやりたかった、それはこちらの台詞だと。何やってるんだ。
今のはもしかしてもしかしなくても口付けというやつで、しかも妙から。
認識したとたん、どっと感情が押し寄せてきた。
「……土方君?」
「あのな志村」
「はい」
「あのCMはな、キスはぬいぐるみがするのであって、本人が直にするもんじゃねぇんだよ!」
「ああ、そういえばそうだったわね」
なんでもないことのように言う妙に、土方は無言で彼女の額に手を当てた。
やっぱりか。
口の中で小さく呟いて、土方は妙の頭を軽くはたくと、ビニール袋を持ち直した。
「熱上がっちまってるじゃねェか。帰ったら大人しく寝とけ」
道理で言動がおかしいわけだ。素面であったなら、妙が自分からこんなことをするはずがない。
「伝染ったらお前のせいだからな」
そう言うものの、もし本当に土方が風邪をひいたならあの天敵教師に理由を教えてやれる、それはなかなか悪くない。
どんな反応をするのか楽しみではあるな。
今度は妙はパンダのぬいぐるみとキスしている。
間接キスーとCMの再現のつもりらしい彼女に、間接じゃねぇって、と土方はつっこんで、街灯の照らす下をゆっくりと歩き出した。
ルドモ