カルシファーは炎を抑えていなくてはならなかった。決して明るく周りを照らしてはいけないのだ。
 薄暗がりにちらちらと揺れる、生き物のように動く影を作る光でなくては――――怖い話をするときは。
 ごくり、とマルクルが唾を呑み込む音が聞こえた。
「それでね……その女の人が夜ふと寝苦しくなって窓を見ると、真っ暗で月も隠れてしまっているの。それっておかしいのよ。だって、その日はとてもよく晴れていたし、今夜は満月のはずなんですもの。不思議に思って目を凝らすと、どうやら誰かが窓の前に立っていて、そのせいで月が翳っているみたい。でもこんな時間にいったい誰が、勝手に寝室まで入ってくるというの? 怖くなった女の人がベッドから身を起こすと、きらりと何かが光って……でもそれも月じゃなくて、目の前にいる正体もわからない誰かの、鋭い牙だったのよ。その牙の持ち主はベッドに近づいてきて、輪郭が月明かりに浮かんで男性だってことがわかったの。女の人は悲鳴を上げようとしたわ。でもその前に、彼が女の人の首筋にがぶりと噛み付いて……! 彼は吸血鬼だったのね。血をすすって、すすった人間を彼らの仲間にしてしまうんですって」
 ソフィーの話を、マルクルは顔面蒼白で聞いていた。その手はしっかとソフィーのドレスの端を掴んでいる。
 カルシファーはようやく終わったと大きな青白い炎の息を吐いて、身体の大きさを元に戻した。
 再び部屋がある程度の明るさを取り戻す。もう夜も遅いので、とても明るくとはいかなかったけれど。
「なあに、怖い話をして欲しいって言ったのはマルクルじゃないの? 苦手だったなら、どうしてそんなこと頼んだりなんかしたの?」
 ソフィーがからかうように言うと、マルクルはぱっと手を離した。
「怖くなんかないよ! ただ、ちょっと、その……」
「やれやれ、マルクルはちょっと驚いただけなんだよね? そうだろう、マルクル」
「お師匠さま! 僕は別に……このくらい、平気です」
「さあ、もういいわね? 満足したなら寝てちょうだいね」
 ソフィーはマルクルの額をちょん、とつっつき笑いかけた。
 荒地のおばあちゃんを寝かせた後暖炉の前で縫い物をしていたのだが、そこへやってきたマルクルに、眠る前に何かお話をしてとねだられたのだった。
 最初は他愛も無いおとぎ話をしようとしたのだが、「もっと怖いの!」とのリクエストを受けて、こうなったわけである。
 ちなみにハウルは最初からソフィーの隣にいて、べたべたと身体をくっつけてはソフィーの針仕事の邪魔ばかりをしていた。
「ハウルも部屋に帰りなさい、針がちっとも進まないじゃないの」
 言われてハウルはようやく長椅子から身体を起こした。
 うーん、と伸びをして、座ったままのソフィーを振り返る。
「キミは寝ないの? ソフィー」
「わたしはまだやることがあるの! あなたが散々手を止めさせるから、ほとんど終わってないわ」
「ああ、ごめん」
 ちっとも重みの無い笑顔の謝罪に、ソフィーは針を布にくぐらせながらため息をついた。
「悪いと思ってないくせに……何かしてるときにまとわりつくの、できればやめて欲しいんだけど」
「できないからやめられないね! だって僕はソフィーが大好きなんだよ? ずっと一緒にくっついていたいと思うのは当たり前じゃないか」
「マルクル、いつまでもドアのところに立ってないで寝なさい」
 さっきからずっとノブに手をかけたまま足を止めて、二人の様子に見入ってしまっていた魔法使いの弟子は、ソフィーの声に慌ててドアを閉めた。
 階段を上がる足音がだんだん小さくなる。……まったく、もう。
「あれ、ひょっとして照れてるの? ソフィー」
 にやにやとハウルが言うので、ソフィーは知らん顔をして縫い続ける。
 否定しても肯定しても調子に乗られて、彼女にとって好ましくない結果を招くのは目に見えていた。
「わたしがこの針をあなたの手に突き刺さないうちに、とっとと寝たら」
「ソフィーが冷たい……」
「あら、このうえなく優しくお願いしてるのよ?」
「わかったよ、寝るよ、寝ます。おやすみ」
 手のひらをこちらに向けながら肩の辺りに持ち上げて、ハウルは降参の意を示してきた。
 ソフィーは手元から目を離さないまま、ええ、おやすみなさいとだけ言った。
 不満げに鼻を鳴らす音が聞こえた。影がかぶさって暗くなる。
 ちょっと、手元がよく見えないじゃないの。そう思って顔を上げれば、鼻がくっつきそうなほど近くにあったハウルの顔が目に入る。
「よく眠れるおまじないをしてよ、ソフィー」
「……呆れた」
 ん、と目をつぶってあごを突き出すような彼の、そのまぶたの上に軽くキスをした。



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04.12.02