ソフィーはドアを開ける前から、その向こうに立っているのが誰なのか知っていた。
彼が来るときはハウルのご機嫌が斜めになるのでよくわかる。
そしてソフィーは彼が変な動物に変えられないようはらはらしていなければならないのだ、ずっと。
この間のようにはなりませんように、とのソフィーの願いは、果たして通じるかどうか。
「いらっしゃい、カ……王子。それとあの時はごめんなさい、急に用事を思い出したから……」
ソフィーの謝罪に、元・カブ頭のかかしの王子は、帽子を取って優雅にお辞儀をした。
元・帽子屋のソフィーは、その手にある帽子を見て仕立ての良さを感心する。
「いえ、気にする必要はありません。突然訪ねたこちらも悪かったのです」
「それがわかってるなら、なんでまた突然来る……っ」
ハウルの靴を踏んづけてソフィーはにっこり笑った。
「今日はなんのごよう?」
「……どーせまた性懲りもなくソフィーを口説こうって魂胆だろ」
痛みでうっすらと涙目になりながら、ハウルは王子を睨んだ。
王子はやや気圧されつつも、いえいえと首を振った。
「本日は王子たる務めとして、国を代表してのお礼をと思ってきたのです。ソフィーは私の命の恩人。それはすなわち、わが国の恩人ということにもなりますれば」
王冠でも戴くようにソフィーの手をとり、彼は今にも口付けせんばかりだ。
慌ててソフィーはやんわりと手を解いた。また闇の精霊を呼び出されてはたまらない。
「そんなこと……わたしだって、あなたがいなければどうなってたかわからないわ」
ソフィーは手の甲への接吻よりもソフィー自身の言葉のほうがハウルの嫉妬を煽るのだということを自覚してはいなかった。
そっちのほうがよっぽど、ハウルにとっては困りものであるのだが。
「ねえ、お昼はまだかしら? 良かったら食べていかない? 王宮料理とまではいかないけど、それなりのおもてなしは出来ると思うから」
「では、お言葉に甘えて」
「甘えすぎるとカカシになるかもってこと、ゆめゆめ忘れないようにね」
もし猫だったなら全身の毛を逆立てているだろうハウルが、王子とすれ違いざまに脅迫行為に出る。
聞こえたらしいソフィーに「ハウル!」と咎められ、肩をすくめた。
「おっと。ソフィーって耳がいいね」
「ふざけてないで、大人しく座ってるのよ。王子もどうぞ」
そう言って椅子を勧めてから、ソフィーは料理の支度にとりかかった。
行儀よく席に着いた大の男二人は、お互いにちらりと気にしあう。
やはり惚れた弱み、ソフィーの言葉にはあまり逆らえないし、下手に動いて印象を損ねたくないのだ。
だから彼らは穏やかに会話の糸口を探した。穏やかなのはあくまで表面上だけ、だったが。
「それにしても、こうちょくちょく来て大丈夫? 国では心配しないの、君の事」
(訳:もう来なくてもいいよ。ソフィーは渡さないからね)
「ええ、その点については大丈夫です。ただ、このごろ周囲が早く花嫁を迎えろとうるさいんですよ」
(訳:大きなお世話です、それから私はソフィーを花嫁にするのを諦めてはいませんよ)
「君も大変だね。どこかの国の王女様でももらったら?」
(訳:無理だからやめときなって)
「いえ、私は結婚には愛がないと駄目だという信条の持ち主ですから」
(訳:ソフィーを愛する気持ちは負けないつもりですよ)
二人とも、相手の本音がわからないほど間抜けではない。
「……言うね」
「お互い様でしょう?」
「違いない」
ハウルはくっと打ち解けたように笑った。
ソフィーのことさえなければ、王子はなかなか好青年、悪い人間ではないとは思う。
けれど「ソフィーのこと」がある以上、どうしても手放しで歓迎は出来なかった。
なんといったって恋敵なのだ。
一瞬だけ親しみの滲んだ目を、たちまちライバルに向けるそれへと変えてハウルは言った。
「でも、持っている力は君と僕では違う。その気になれば僕はいつでも君をどうとでも出来るんだよ?」
「さあ、そうとも限りませんよ」
その視線を真っ向から受け止めて、王子も微笑んだ。
「わが国にも魔法使いはいるのです。だから私も普通の人間より簡単にここへ来れるのですよ。彼らの魔法のおかげで、ね」
言ってポケットの中から水晶玉を取り出した。澄んだ丸い玉が、美しく光っている。
「私の様子をわが城に伝えると同時に、私を守る効果もあるとか。あなたが私に呪いをかけると脅すのも結構ですが、さて、この玉はそれをはねかえすかどうか……」
「試してみたいって?」
にやりとハウルは笑う。
「いいよ」
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04.12.04