嘘じゃなくて、本当に、このまま死ねたら幸せだなと思ったのだ、フレイは。
だってフレイには生きる為の理由になるものが何もなかったし、好きな人はみんな死んでしまった。
彼女を守ってくれる人も、彼女が守りたい人も、もう誰もこっちにはいない。
最後に見たのがキラの幻なら、綺麗に笑っていくことが出来るだろう。
……そのつもりだったのに。



微笑みの形をしていたフレイの口の中に、鉄の匂いと血の味が広がった。
唇にやわらかい感触を感じて、フレイは意識を軽く浮上させた。
彼女の意識は朦朧としていたので、血と柔らかいモノのどちらが先に唇に触れたのか自信は持てなかった。
ひょっとしたら柔らかいモノが先だったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
だが、彼女には覚えがあった。以前、ずっと以前、自分はこれに触れたことがある。
私はこれを知っている。そう思った。
なんだろう、優しい、柔らかな――――……くちびる。
いつだってそれは自分から求めたものだった。
時には嘘で塗り固めたキス。あるいは繋ぎとめておくための手段として。
安心させるための呪文とともに優しさをこめて。
彼のほうからしてくれたのは、自分と寝たときだけだ。
だがそれはただの獣じみた行為の一環でしかない。
愛情としての証ではない、そして自分もそうだったのだから。


血の味というのは不快なものだ。
自分は吸血鬼ではないし、食べ物だって生臭いものはあまり好きではなかった。
それなのにこの唇は、自分に血を飲ませようとしている。
どういうつもりなんだろう。表面には出てこない意識の下でフレイはぼんやりと思った。
しびれて動かなかった肩、感覚などとうに忘れたものとしていたその器官に激痛が走ったのはそのときだった。
皮肉にも、その痛みが彼女を完全に覚醒させることとなった。
「い……いったーぁ……!」
「フレイ!?」
その声を聞いたとき、フレイは自分の心臓が止まるかと思った。
夢でも幻でもない。実態だ。生きている。だって温かい。だってこんなにはっきり、自分の前にいる。
でもどうして。彼は死んだはずだ。MIAはたいてい助からない。コックピットはどろどろに融けていた。
それがどうしたというのだろう。彼はここにいる。今フレイのところに。それでいいじゃないか。
それが全てだ。どうして助かったかなんて必要ない。彼が生きていてくれたという、その事実だけが大事なのだ。

 

 


キラは一種のパニックに陥っていた。
彼の腕の中のフレイは、彼が今まで見たことのない極上の笑顔で、目を閉じていた。
くたりと力を抜いて、彼の腕に身体を預けきっている。
ぞくりとした恐怖が身体を駆け抜けた。
自分が抱いているこれは、生きることをやめてしまった人間の身体だ。
にわかには信じられなかった。誰がこんな結末を望んだだろう?
僕が見たかったのは、生命力に溢れた、大輪の花のような笑顔だ。


キラはおもむろに、フレイの血まみれの服を破った。
むきだしになった肩の傷口から血が流れている。銃弾は貫通しているようだ。
どうすればいい、どうすれば?
混乱した頭のまま、キラは溢れる血を吸い、たっぷりと口に含んだ。
祈るような気持ちで、フレイの唇に自分のそれを重ねた。
どこかでは、そんなことでは輸血にもなりはしないことをわかっている。
だがそれでも、もしかしたら……という、希望を捨てることは出来なかった。
飲んで。お願いだから、飲んで。少しでもいいから。
笑みを形作った唇を割って、口の中の血を全部流し込む。
フレイの唇は口紅を差したように真っ赤だった。
死に行くものの唇はもっと血の気の失せているものだ。
フレイはまだ生きている、大丈夫だ。信じろ。
そうだ、血を止めなければ、とキラは破った袖の布を、フレイの肩にまきつけた。
ぎゅっと上のほうを縛る。とにかく必死だったせいで、余計な力が入ったのだろう。
きつく縛りすぎた。それほどに、血を止めなければという思いがあったのだが。
フレイの唇が動いた。
「い……いったーぁ……!」
「フレイ!?」
フレイの目が開いて自分の姿をとらえる、映し出す、そのことに、キラは思わず歓喜の声を上げていた。


ススム

モドル