_______+臆病な恋の贖罪+___




「お手をどうぞ、お姫様?」
「なに言ってるんですか」
柚木の軽口を流し、お邪魔しますと車に乗り込む。
それが、柚木の癇に障ったらしい。
「そういう態度は可愛くないな。ここは素直に従うものだよ? 香穂子」
「はうっ」
手をぐいと引かれ、香穂子は車中でよろめいた。
柚木はしれっとして、
「靴ずれが痛いなら、脱いでいいぜ」
「え」
「ほら、絆創膏。足出して」
「え、え?」
「さっさとする」
「……はい」
有無を言わせぬ柚木に、香穂子はつい流されてしまった。
彼にはどこか逆らえないものがある。
皮のめくれかけたかかとにぺたりと柚木が絆創膏を張るのを、香穂子はほぉーと眺めていた。
「柚木先輩って凄い……なんでも持ってるんですね。マシュマロとか飴とかクッキーとか、絆創膏まで」
香穂子は感心し、柚木はそれに微笑で応えた。
「ところで」
「はい」
「なんで俺は柚木先輩なワケ?」
「え」
なんでといわれても、だってあなたは柚木先輩ですよね?
クエスチョンマークを飛ばす香穂子に柚木はデコピンを見舞った。
「いたっ」
「火原のことは和樹先輩だよな」
ああ、と香穂子は額を押さえつつ柚木の言いたいことを察した。そういうことか。
「そう、ですね」
彼が香穂子のことを「“香穂ちゃん”と呼びたい」と言い出し、同時に「“和樹先輩”って呼びたくならない?」と言われたのだった。
それから、香穂子は彼を下の名前で呼ぶようになった。
火原はなんというか、名前で呼ぶのに抵抗を感じさせないところがある。
彼の親しみやすい雰囲気がそうさせるのだろう。
「じゃ、なんで俺は梓馬先輩じゃないんだ?」
「別に……先輩だって普段、わたしのこと日野さんて呼ぶくせに」
「はぁ? 何言ってるんだお前。お前と俺とじゃ違うんだよ。もう少しおもちゃとしての立場をわきまえろ」
「それってすっごく理不尽じゃありませんか……まあ今に始まったことじゃないけど」
「お前、よっぽどお仕置きされたいらしいね?」
「う、嘘ですすみません」
「まあ、それについては後々考えることにするよ。で、なんで?」
柚木は諦めない。しつこい、と香穂子は思ったが、彼の追及をかわすことが出来るのはよっぽどの熟練者でなくては無理だ。
そして香穂子はそれではない。
「梓馬先輩、なんて呼んだら、わたし殺されますって」
「親衛隊を気にしているのか? なんなら俺と二人きりのときだけでもいいぜ?」
「それでも駄目です。わたし先輩ほど演技上手くないので、使い分け難しいんですよ。絶対普段のときにもぼろが出ます。うっかり呼んじゃったりしそう」
柚木はしばらく黙っていた。香穂子には、その沈黙が少し怖い。
やがてぽつりと零された言葉は何かの感情が込められていたが、それが何かまでは香穂子にはわからなかった。
「呼びたくないのか?」
「呼んで欲しいんですか?」
「別に、どうでもいいんだけれど」
それきり柚木はぷい、とそっぽを向いてしまった。
香穂子は裸足になった足を見る。ぴったり張られた絆創膏。
「じゃあ……努力します。きっちり使い分けできるように」
窓ガラスに、柚木が微かに笑った顔が見えた。




思いっきり、場違いだ。異端分子だ。浮きまくっている。
香穂子はまだいい(それでも生足ローファーは変だが)、普通科の制服だから。
音楽科の制服、それも柚木が着ると優雅さが5割増しくらいになって、
とてもじゃないが百円ショップの大衆的な雰囲気には釣り合わない。
やっぱり付いてきてもらうのではなかった、注目を集めてしまっている。香穂子は非常に後悔した。
「先輩をこんなとこに連れてきたなんて知れたら、わたしほんとに刺されるかも……」
「ああ?」
「菜美ちゃんにも、金澤先生にも言われたんですよ。夜道に気をつけろ、後ろから刺されないようにって」
「金澤先生に――ね」
その言い方には少し含みがあって。
「まあ、確かに悪目立ちしてるな」
そう言って柚木は髪をかきあげる。
その仕草ですら品があって、百円ショップにいていい人物ではない、と周囲に思わせるほどだった。
香穂子がちらりと辺りの様子を伺うと、ほとんどの女性客――幅広い年齢層の――が魅了されている。
「すみません、すぐに買って出ますから」
「ところで、何を買いにきたんだ」
「え、っと。鍵を」
「鍵?」
「パスワードつきのこういう――」
籠に入っていた鍵を手に取る。
比較的ポピュラーなタイプで、どこでも見かける形のそれは、ナンバーを設定しておいて、一致すると開く仕組みになっている。
柚木はふぅん、と言って何か考えていたが、おもむろに香穂子の手からそれを取り上げた。
「お前、パスワード0618にしろよ」
「それって、先輩の」
柚木は花開くようににっこりと笑った。香穂子の後ろで女子中学生が悩殺されている。
「ああ、覚えていてくれたんだ。光栄だね」
「だって、ついこの間じゃないですか。親衛隊が皆して大量にプレゼントを渡してたの、すごーく目に入りましたもん」
「そのわりに、お前はなにもくれなかったね」
「当日知ったんですよ!? そんなこと言うなら、どうして教えてくれなかったんですか」
「教えていれば、用意していた?」
ふと声のトーンが落ちる。
もちろんです、と言おうとした香穂子の喉は詰まった。
装っている白とも、香穂子の前で振舞う黒とも微妙に違う――時折柚木は、こんな一面を見せることがある。
本当に、時折、だが。
香穂子は、なんだかいたたまれなくなって、気づいたときには鍵をもうひとつ手のひらに載せていた。
「香穂子?」
「これ、ふたつ買いますから。ひとつ柚木先輩が」
「梓馬先輩、だろ」
「う。あ、梓馬先輩」
「よくできました」
「梓馬先輩が、……持っていてください」
「さて、どういうことかな」
「予約、です」
「予約?」
「来年のプレゼントの鍵――じゃ、だめですか? それを持ってると、来年の誕生日にはプレゼントが届くんです」
「つまりこの鍵は、『来年のプレゼント』っていう箱を開けるための鍵だということ?」
「はい」
鍵を持っていれば、来年のプレゼントが約束される。
悪くないな、と柚木が言ってくれたから、香穂子は安堵した。
さっきの、身の置き所のなくなるような感情は――――忘れてしまえ。




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