先輩の指は私の自由を封じるってこと知っています。



・完犯罪の : 前




思えば今日は朝から悲惨だった。
昨夜は英語の小テストのために遅くまで勉強して、終わったから寝ようとしたら思いのほかなかなか寝付けなくて、やっとウトウトしたと思った途端小さな地震があって飛び起き、今度こそ寝ようとベッドにもぐりこめば目覚ましは電池切れで鳴らなくて、慌ててパンかじりながらたまたまつけっぱなしになってた朝のニュース番組で見た星座占いは最下位、おまけにラッキーカラーは黒(どう考えても私にとってラッキーな色だと思えない)、そしてなにより、登校途中でしっかり柚木先輩に捕まってしまい。

「お前、今日はテストがあって早めに学校行きたいから迎えはいいですって言ってなかったか?」
「ええと、目覚まし、電池切れてて……」
いつかの志水くんのような説明をすると、先輩は呆れたようにふぅん、と言った。
寝過ごして結局いつもの時間になっちゃったんです、だから先輩に会ってしまったんです。
テストの日に親衛隊のことなんかで神経すり減らすの嫌だったからこそ、先手を打っていたはずなのに。
「ま、せいぜい頑張れ」
言葉だけは激励、でも先輩の顔はしっかりブラック、髪もブラック、タイもブラック、ベストもブラック、ついでに言うなら今乗ってるこの車もブラック、朝からこんなにラッキーカラーづくしでもまったくちっともいいことが起こりそうな気がしないんですが、むしろ不吉な予感がめちゃめちゃするんですがっ。
せっかく覚えた単語が飛びそう。

車を降りれば嫉妬の視線の嵐が襲い、ただでさえ寝不足とか諸々で疲れ気味の私の体力を奪われていくような気持ちがする。
お嬢さん方、背中にぐさぐさ突き刺さる視線が痛いですよー。
よろり、と思わずよろめいた私の肩を、柚木先輩が嫌がらせかと思うほど見事に支えてくださって、途端周囲に巻き起こるかしましい悲鳴。
「大丈夫?」
先輩のその言葉を合図にまたまたキャー、イヤーの大合唱。
我慢、我慢だ日野香穂子。
英語の先生は嫌味なのよ。ちょっち陰険入ってるのよ。
小テストといえど下手な点を取れば、何があるかわかったものじゃないのだ。
ここを耐え抜いて普通科校舎に一刻も早く辿り着きたい、そうすればきっと……。
そう自分を励まして先輩に別れを告げようとした矢先、先輩は(楽しそうに)爆弾を投げてよこした。

「具合が悪いのかな。心配だから教室まで送っていこうか?」

語尾にクエスチョンマークはついてるけど、完璧に拒否を許してない言葉。
ここで「けっこうです」などと言おうものなら、たちまち周りが
「なにあの子、柚木様がせっかく仰ってくださってるのに何様のつもりかしら!」
と騒ぎ立てるのは火を見るより明らかだ。
最初から私に選択の権利などない。
うう、先輩の意地悪……。




先輩に教室まで付き添っていただいたおかげで、先輩が戻ってしまうと私はたちまちクラスメートに囲まれ、素敵だの凄いだの羨ましいだの言いたい放題無責任にきゃいきゃい騒がれ、ノートを開いて昨夜のおさらいも出来ない始末。
心の中では、そんなに羨ましいならいくらでも代わって差し上げてよ! と思わず親衛隊口調になっちゃったよ。
やっぱり嫌がらせだよねこれ。私、先輩に何かしたっけ?
思い当たる節といえば朝のお迎えをお断りした(結局一緒だったけど)ことくらいなんだけど、それぐらいでこんな目に合わされるとは思えないし。
さすがにそこまで先輩は理不尽じゃない……と信じたい。

一時間目のテストは勉強しておいたおかげでなんとかクリアできたけど、それからの授業も大変だった。
普通科にもしっかり柚木先輩ファンはいて、朝の件のせいで教室移動のたびに隙あらば肩ぶつけられたり足かけられそうになったり当てこすりを言われたりと、心の休まる暇もなく、その中でも過激な人なんかは階段で背中を押そうとしてくるし、常時警戒してないと自分の身を守れない。
そんなこんなで昼休みにはすっかり心も身体もへとへとに疲れ果て、ランチタイムだけが唯一の安らぎ……と気を緩めたのもつかの間。
平和な教室に魔王が降臨なさいました。
嫌がらせ確定……やばいくじけそう。
「日野さん、いるかな?」
扉の向こうにあるのは見間違えようのない優雅な先輩のお姿。
何の御用ですか。まさか一緒に昼食を食べたいなどと仰いませんよね。そのまさかですか。
「よければお昼を一緒にどうかと思って。……迷惑、かな?」
いつもは迎えにこないじゃないですか。
お前のほうから来いとかなんとか言って、朝に今日は屋上だ森の広場だって指定するじゃないですか。
なんで今日に限って至れり尽くせりなんですか。
「じゃあ、行こうか」
ってどこへ。
訊ねる暇もなく手を引かれて、ある晴れた昼下がりの気分はドナドナです。
で、連行先は定番の屋上だったんだけど、屋上って音楽科校舎にあるわけですよ。
逃げられないよう先輩に手を掴まれた私の姿は、傍から見てる分には仲睦まじく手をつないでいるように見えるんだろうなあ。
つまりここにくるまでに音楽科女生徒たちの注目の的になり、イコール午後からの嫌がらせパワーアップするだろうことは明白。

先輩絶対わざとやってますね!? 何もかも計算の上で動いてますね!?
もそもそ卵を咀嚼して軽く先輩を睨めば、

「ん?」

きらきら眩しいその笑顔に、言おうと思ってた恨み言を、卵の残りと一緒に全部呑み込んでしまった私。
負けたあっ。悔しい、やっぱりドキってしちゃったよ!
「……なんでもないです」
ああもうこの人はずるい、一生勝てる気がしない。
「そう?」
微かな風にくすぐられる髪。
先輩の笑みはその風と同じくらい微かで、でもしっかり私の心をざわめかせていく。
先輩と一緒にお昼するようになってから気づいたことがあって、それはお昼休みに屋上に来る人が全然いなくなったということ。
おおかた先輩が「食事中に邪魔されるのはあまり好きじゃないんだ……」とかなんとか言ったんでしょう。
つまりいっつもふたりきりで、それはいっつも緊張するけど別に嫌なわけじゃなくて、ちょっと嬉しかったりもするんだけど。

弱いなあ。

お茶のペットに口をつけながら時間割を頭に描く。
英語、古典、化学、数UB、次はよりにもよって選択体育。で、世界史で〆。
あーあ、午後からまた気合入れて頑張らないと。というか、戦わないと。
最後のプチトマトをお箸で摘まむ。
食べるのが遅い私に、とっくに食べ終わった先輩の腕が伸びてきて、長い指が頬に触れた。
子供じゃないんだから私だって、流石にこの年でほっぺにおべんとつけるようなヘマはしてないつもりです。
そう、先輩の指は別の確かな目的と熱を持って、私の頬と、――お茶で少し湿った唇をなぞって。
この指は、フルートを奏でる以外にも、私を動けなくさせるのに凄い威力を発揮する魔法の指。
先輩、それは反則です。

「香穂子」

トマトはアリの餌になった。
……気合、入ったかもしれない。



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