――――小鳥の歌を聴いていたんです。
そう言ったときに、香穂子はただ笑ってそっか、とだけ言った。

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志水にとって、常に音楽とは自然とともにあるものだった。
自然とは、すなわち世界だ。この世に存在する全てのもの。
世界は音楽に満ちていた。
だから、音楽が人のためだけにあるとは、最初から思いもしなかった。
志水の中にはそんな選択肢は存在しないし、そしてそれが当然だった。疑問を抱いたこともない。
志水にとって小鳥の歌とは、自然の中にあるものだった。
決して、鳥籠の中で人のためだけに歌うものではなかった。
だから、柚木の音にあれ、と思ったのは、おそらくそのせいだ。
彼のフルートが作り出すのは、綺麗な音だ。観賞され、人を喜ばせる音。
だがそれだけだ。
大事なものが隠れていると思うのに、それを絶対に見せようとしない。
おそらく誰にも。
もったいない、と思った。
しかしその感想も、その後に聴く香穂子の音に耳を傾けている間に忘れてしまう。
そう、自然とともにあるのが音楽というなら、香穂子の音はまさしくそれだった。
優しく、温かく、時に冷たく牙を向き、静かに流れるかと思えば荒れ狂い、けれど穏やかで、また可愛らしく甘く鳴く。
いつまでも聴いていたいと思うような音色だった。その色彩が目に見えるようだ。
まるでそれが当然のように、志水は香穂子の音を探すようになった。香穂子の音に惹かれていた。
それほど彼女の音は魅力的だったのだ。少なくとも、志水にとっては。
それが彼女自身に対しても当てはまるようになったのは、いつごろからだっただろう?
おそらく、そんなに時間はかからなかったような気がする。
彼女が柔らかな笑顔で自分に話しかけてくると嬉しくなった。
香穂子の音が好きだった。そのヴァイオリンを聴くのが好きだった。
香穂子が好きだった。
だった。
過去形なのは。
彼女の音が変わってしまったから。
違う。今も志水は香穂子が好きだ。けれど――――


(小鳥は、誰のために歌っているんだろうね?)
(誰のためでもないですよ。きっと、歌いたいから歌うんです)


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