香穂子だって、やられっぱなしではない。自衛ぐらいする。
相手の手口が読めれば対策も立つ。
幸い、嫌がらせなんていう人間としてくだらないことをするようなやつらの行動パターンは、
なんとやらの一つ覚えのように単純で読みやすいことこのうえない。
香穂子はロッカーには鍵を取り付けたし、貴重品は肌身離さなかった。
体育用の下駄箱を使うのをやめ、授業中目の届くところへローファーを置いておき、
スニーカーはそのつど持ち帰った。

――♪―――――――――――――♪―――――――――――――♪――

引き出しに入っていた呼び出しの手紙には応じずに、家で捨てようと思ってカバンにしまった。
こういうのにのこのこ出向いていくのは馬鹿だ。どうせ相手は大勢で待ち構えているのだろう。
それがわかっているのに、わざわざ敵の中に飛び込むなんて行動をとる、そんなの香穂子には頭が悪いとしか思えない。
だからさくっと無視する。体育館裏、とか、女子トイレ、とか、もう古い。
(時代錯誤、っていうんだよ。一昔前の少女漫画のレベル)
そんなことを考えながら正門前に向かう。ここなら、帰宅時に誰もが通るはずだ。柚木だって。
時計の針は3時20分をさしていた。たとえ6時まで柚木が来なくても、ずっと弾きつづけたっていい。
妖精像の正面に陣取って、香穂子はヴァイオリンを構えた。背筋がすっと伸びる。
憎悪の視線もはじき飛ばして、弦に弓を当てる。ヴァイオリンが歌いだす。
どうか、届きますように。
ダムは決壊し、下流を巻き込んで全てを飲み込んだ。
生徒たちの足が止まり、誰もが凍りついたように立ち尽くしていた。
決して抗えない、絶対の音。
会いたい、会いたい、会いたい、だから――弾くのだ。
香穂子から生まれた音が柚木に届いて、彼の心をほんの少しでもいいから鳴らすことができればいい。
どうやら泣き出してしまった生徒がいたようで、しゃくりあげる声が聞こえた。
香穂子の代わりに泣いてくれているのだろうか――そう考えたとき。

ちらりと、金澤の顔が浮かんだ。

「あ」
その刹那、香穂子の音が少し狂った。手が止まって、音も途切れる。
妙な胸騒ぎがした。この感じは、不吉だ。ヴァイオリンがどうかしてしまったのか、それとも香穂子がどうかしてしまったのか。
後者ならまだいい、前者だったらと思うと、香穂子の胸は言いようのない不安にぎりぎりと締め付けられた。
演奏をやめてしまった香穂子を周りの生徒は訝しがったが、すぐにまた、校門に向かい始めた。
彼らは、これ以上ここにいることを恐ろしいと思ったのだった。
香穂子は嫌な考えを振り払うように再び弓を持った手を上げたが、そこに――――邪魔が、入った。
香穂子にとって最悪の、邪魔が。

「やめなさいよ。あんたの下手な演奏なんか、聴かされる方が迷惑なのよ」

香穂子が顔を向けると、柚木を慕う女生徒が、集団でこちらを睨んでいた。
予想通り過ぎて笑ってしまいそうだ。
香穂子が来なかったので、焦れて向こうからお出ましになったのだろう。
香穂子は取り合わず、出だしのフレーズを弾き始める。もう一度初めから。
「ちょっと、やめなさいって言ってるでしょ!」
集団の中から手が伸びて、どんと香穂子を突き飛ばす。香穂子は背中から妖精像に激突した。
肺が圧迫されて息がつまった。ぶつかった背中が悲鳴を上げる。
その行為で勢いづいたのか、彼女たちは口々に香穂子に言葉のつぶてを投げ出した。
「あんたなんか、柚木様の足元にも及ばないのに!」
「柚木先輩にご迷惑をおかけするなんて、サイテー!」
柚木様が、柚木様が。でもそれは、あなたたちに言われたくない。
柚木先輩の名を出して、あなたたちが言っていいセリフじゃない。
香穂子は、言われるなら柚木の口から聞きたいのに。
けれど、決定的な一言が、香穂子の顔にぶつけられた。
「それに、柚木先輩には、ちゃんとフィアンセがいらっしゃるんですってよ! 柚木先輩が選んだ方なんですもの、きっと、あんたが割り込む隙なんかこれっぽっちもないぐらい素敵な方なんでしょうね」
香穂子ののどがふさがった。


――♪―――――――――――――♪―――――――――――――♪――


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