唐突に、ドアが開いた。
大勢の少女――昨日香穂子が、戦わずに逃げ出した相手がそこにはいた。
そうだ、香穂子はあれから、彼女たちの前でヴァイオリンをしまい、逃げるようにその場を去ったのだった。
言葉が、光景とともに蘇る。香穂子は一言も発することが出来ずに固まっていた。

――♪―――――――――――――♪―――――――――――――♪――


「なんでまだ弾いてるのよ」
「相手にもされてないってことが、どうしてわからないのかしら」
「うるさいのよ、まるで柚木様に媚びるような音色! 恥ずかしくないの!?」
一人の言葉に、香穂子は、自分の音色がこの期に及んでまだ、無意識に柚木へと向かっていたことに気づかされた。
こんなに思い知らされてもなお、香穂子の音は彼に辿りつこうとするのか。
その事実に呆然とする香穂子に、
名前もわからない少女がつかつかと詰め寄り――――ぱぁん、と。
頬をたたかれて、香穂子はよろめいた。
うるさいほど耳鳴りがして、それに少女たちの声がかぶさって、もっとうるさくなる。
「柚木様にはすでに決まった方がいると教えてあげたでしょう」
押し潰されそうだった。
身体が重さに耐えられなくなって、足が崩れた。ヴァイオリンが下に置かれる。
けれど香穂子が倒れたのは、少女が振り上げた手によってではない。
柚木が誰か他の人間を大切に想っていると言い聞かされる、そのことが香穂子の頬を容赦なく殴打し、地に膝をつかせたのだ。
「辞退すると言いなさい!」
立ち上がらない香穂子に、そうだそうだと、幾重にも重なる不協和音。
コンクールを辞退すること。
それだけは、絶対に嫌だった。
また、あの時と同じ言葉が浮かぶ。どうして。
だけど……今回は、なんとしても答えてもらう。
「どうして、わたしが辞退しなきゃいけないの」
香穂子が反撃してくるとは思わなかったのだろう、少女たちが一瞬怯んだ気配が伝わってきた。
香穂子はゆっくりと、静かな怒りのこもった声を押し出す。
「あなたたちこそ勘違いしてるよ。柚木先輩のこととコンクールは、まったく関係ないのに」
「な、なによ、口答えするっていうの」
「わたしは絶対に辞退しない。する必要がないもの!」
そう高らかに宣言する。激しい意思を込めた瞳。
香穂子に気圧された少女たちは、それを取り繕うために虚勢を張ろうとした。
「生意気なのよ!」
香穂子のそばにいた一人が、置いたままのヴァイオリンを掴む。
「なにするの!」
とがめる声は悲鳴のようだった。
香穂子の肺が、他人の手に汚されてしまう。
「いいわ、辞退しないって言うなら、そうせざるを得ないようにしてやるだけなんだから!」
苦しい。やめて。呼吸が出来なくなってしまう。呼吸を、呼吸を……呼吸を。
ここは屋上だ。柵を少し越えれば、そこは境界線の向こう、世界の果てに続く空の――。
少女の細い腕一本だけで危うく支えられているヴァイオリンが、その指をほどけば落ちていってしまう場所へと運ばれる。
香穂子の目の前で、ヴァイオリンを壊そうというのか。取りも直さず、それは香穂子の肺を潰すのと同じだ。
「やめ――」
制止も意味を成さない。無情にもヴァイオリンは空に投げ出されようとし、香穂子は。

考えるより先に、足が動いていた。
ヴァイオリンを抱きかかえて、香穂子の身体は宙へと舞った。


――♪―――――――――――――♪―――――――――――――♪――


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