彼らの傷はゆっくりと癒えていく。

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自分でも知らないうちに悲痛な顔をしていたのだろう。
音楽準備室から戻った午後の授業はずっと、周りから心配の声をかけられ続けた。
なかでも火原の心配ぶりは相当なもので、「大丈夫だから」と言えば言うほど、彼は柚木を見て眉の端を下げるのだった。
「ねえ、昼休みに何かあったの?」
「なんでもないよ」
「香穂子ちゃんのところに行ったんだろ」
「……」
「二人がケンカしてたっぽかったのは知ってたけど……少し前から一緒に帰ってなかったみたいだし、朝も一緒に車で来ることが多かったのに、最近交差点でよく遇うようになったから」
違う、自分が香穂子にしたことは、ケンカなどというような可愛いものではなかった。
子どもじみたどろどろの独占欲をぶつけて、引き裂いてしまった。
手に入らないなら壊してしまえばいいと思っていた。それが間違いだったことに、今更気づいた。
周囲を上手く動かして、香穂子のほうから堕ちるのを望んでいた。それでは駄目なのだ。
――――柚木は生まれて初めて、本気で自分の力で何かを手に入れたいと思った。
潰すのではなく、柚木のものにするために。
本気を出そう。




とんでもないこと、しちまったよなぁ。
金澤は煙草をくわえながらぼんやりとデスクに向かっていた。
「金澤先生、煙草に火がついてませんよ?」
同僚の教師にからかわれて、初めて気がつく。ばつの悪さをごまかした。
「いえ、禁煙しようかな、と」
デスクに置かれた灰皿は、香穂子がくれたものだ。裏に「禁煙」の文字がでかでかと書いてある。
じっと見ているうちに、唇の感触がよみがえりそうになって、おわ、と金澤は慌てて打ち消した。変態かおれは。
金澤は、リリが香穂子に、彼のことを「むっつりすけべ」と称したのを知らない。
恋なんて二度と出来ないと思っていた。でも、金澤は再びそう呼べるものを得た。
それにささげる全ての情熱は、イタリアで燃え尽きてしまったのだと思っていた。けれど炎はまた生まれた。
――――金澤は今度こそ間違えたくない、と思った。
消えないように、大きく温かなものになるように。
守っていこう。




その放課後、香穂子はリリから新しいヴァイオリンを貰った。
そこにはもう、香穂子を助けてくれる魔法は存在しなくても、香穂子を想うヴァイオリンの心は伝わってきて。
迎えに来てくれるはずの火原を待ちながら、香穂子はようやくひとつの答えを見つけた気がしていた。


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