「酔ったか? 頬が赤いな」
 宗茂は清正を褥にいざなった。指摘されて初めて清正は己が思いのほか酩酊していることに気づく。酒の許容量を誤るなどらしくない、どうやら自分で考えていたより感傷的になっていたらしい。清正にとって宗茂はそれほどまでに得難い存在『だった』のだ。だがそれも今朝までの話、これからは互いの欲を満たすための道具でしかなくなる。清正は豊臣のための駒を。宗茂は自由に扱える愛人を、それぞれ手に入れる。
「いや……大丈夫だ」
 布団の上で向きあい、造りのおそろしく整った顔を見つめる。こんなに綺麗な顔をしていながら、自分などを抱きたがる悪趣味をしている、全く人は見かけによらないものだ。顎を掬われ、唇が重なる。
「ん……っ」
 触れる唇は優しく、おそらくこれが宗茂の普段のやり方なのだろう。清正の普段とは勝手が違うので戸惑ってしまう。いつ噛みつかれるかと思ったが、舌を絡めるだけで宗茂は顔を離した。
「脱がせてもいいか」
「構わんが……宗茂、なあ、」
「なんだ?」
「縛らないのか?」
 硬直した宗茂など滅多に見れるものではあるまい。清正は凍りついた宗茂の時が再び流れ出すのを待った。やがて宗茂の口から、掠れた声でゆっくりと言葉が紡ぎ出される。
「……清正。今のはどういう意味か教えてくれ」
「どういう意味も何も……交わるときは縛るものだろう」
「すまん、どうやら根元から食い違っているようだな」
 宗茂は急な頭痛に見舞われでもしたような顔で額に手を当てた。
「清正、お前、男に抱かれることに慣れているような口ぶりだったが、一体どんな扱いを受けてきたんだ」
「どんなって……」
 幼いころの記憶――――一番最初は野武士だった。山野に潜み盗賊行為を働く彼らに、まだ年若い少年だった清正は、獲物として追われ狩られた。彼らは逃げる清正を捕らえ、清正は草の生い茂る中、醜い獣のような男たちの欲をかわるがわる受け止めさせられた。浴びたのは体液だけではなく、卑猥で低俗な言葉も山ほどかけられて、それはまだ何も知らず真っ白だった清正の貞操観念に刷りこまれることとなった。精のこびりついた太股に蟻の這う感触がむずがゆかったのを覚えている。男たちは欲を吐き出し終えると、ぐったりと自失した清正を置いて立ち去った。殺されなかったのは彼らのほんの気まぐれにしかすぎない。泣き叫んだところで誰も助けてはくれなかった。秀吉に取りたてられた武士の子であるならば、己の力で立ち上がらなくてどうする。思えば自分の身体など何をされようが大したことがないと考えるようになったのはあのころからだった。秀吉やねねに心配をかけまいと、清正は川で身を清め、何事もなかったふりをしてうちへ帰った。余計に帰りが遅くなったせいでかえって心配させてしまったのだが。あるいは、優しく抱きしめてくれたねねは全て気付いていたのかもしれない。そして今、清正を抱きしめているのは宗茂だった。ねねとは違い力強い腕は、だがあのときのねねのように優しい。
「……すまない、辛いことを思い出させた」
「別に……たいしたことじゃないだろ。もう昔の話だ。それより本当に縛らなくていいのか」
「こだわるな。何故そんなに縛られたがる」
「何故って、それが普通じゃないのか? 今まで俺が相手してきた奴らは、みな、俺の身体に縄をかけるのを好んでいたし、俺も衆道の交わりとはそういうもんなんだと思っていたが」
 豊臣の利のため、清正は幾度か自分を欲する男と契りを結んでいた。そう多い人数ではないが、全員が清正の若い肉体を縛り、観賞したがった。縛ったうえで行為に及ぶこともあれば、ただ眺めているだけの者もあった。気を失うまで嬲られたこともある。それらの交わりに心は必要がなく、清正にとってはくのいちが色を使って暗殺を行うのと変わらない。
「清正お前、どういう奴らと寝てきたんだ……」
 胸板を通して聞こえる宗茂の声は本当に頭が痛そうで、清正は思わず心配になった。
「違うのか。俺はてっきり、お前も俺にそういうことがしたいのかと思ったんだが」
 だから、宗茂に口づけられたとき落胆したのだ。宗茂もあの男たちと同じなのかと。清正にとって交合とはそういうものでしかなかった。否定するように宗茂の腕に力がこもる。
「違う。お前が好きだと言っただろう。俺はお前の全部が欲しいんだ。身体だけじゃない、心も。お前が俺と同じ気持ちでないのならば、身体だけの繋がりなど意味がない」
「宗茂」
「口づけたとき、お前が拒まなかったのは俺のことを少しでも想ってくれているからだと思った。今夜ここに来てくれたのも、お前の心に俺がいるからだと。だからこそ抱きたいと思った。だが、どうやら違ったようだな」
 清正は……清正のほうこそ、宗茂を見誤っていた。ああなんてことだろう。相手の真実を知らずに決めつけて身勝手に失望した清正よりも、宗茂のほうがよほど誠実だった。清正の思い込みは、宗茂の差し出してくれた気持ちを侮辱したのと同じことだ。己の馬鹿さ加減が許せない。
「清正……清正」
 口づけられたときにも聞いた愛しいものを呼ぶときの声。そっと指を絡められる。清正が顔を上げると、宗茂は清正の額に額を押し当てた。
「俺はお前と心を通わせたいんだ、清正」
 身体を求められてから心の従属をも要求されることはあったが、心を求められてから身体を欲しいと言われたのは、清正にとっては初めてだった。耳がかっと熱くなる。どうしたというのだろう、急に心臓が早鐘を打ち始める。おかしい、こんな風になったことはただの一度もなかった。そして清正の変化に気付かぬ宗茂ではない。
「清正?」
「見、るな……っ!」
 おそらく自分は今真っ赤になっているに違いない。ねねに褒められたときよりも更に上の気恥ずかしさが襲ってきて、どうしたらいいかわからない。宗茂の使った好きだという言葉の重みがどれほどのものか、ようやく実感できた。宗茂は清正のことが好きなのだ。ああ本当になんてことだろう。見るなと言ったのに穴があくほど見つめてきた宗茂は、おもむろに清正の耳を食んだ。
「ひっ!?」
 瞬時に清正が耳を押さえると、宗茂は悪びれず笑う。
「ああすまない、赤くてうまそうに見えたんだ」
「な……」
 ぱくぱくと口を開け閉めするばかりで二の句の継げないでいる清正を面白そうに眺め、宗茂は清正の赤くなっているのだろう場所に唇を落としていく。両のまぶた、目尻、頬。清正はぎゅっと目をつぶって、顎を心もち上向けた。やがて唇の上に唇が重ねられる。
「……少しは通じたと思っていいのかな」
「好きにしろよ、馬鹿」
 宗茂にならば好きにされても構わないと思った。好きになる気がした。一方的に奪われるのではなく自らあげたいと、そう思った。