(前略)

 それは先日のこと。
 ハルヒは部室にやってくるなりパソコンの前に陣取って、ひとしきり難しい顔をしたあげく、いいこと思いついたとばかりに喧しく立ち上がった。
「応援団よ!」
 前後の繋がりなくただ唐突に単語を叫ばれてもな。どうしろと。
 連想ゲームかなんかか? 最後にんがつくからしりとりではないよな。
「もししりとりなら、あたしはとことんりで攻めて追い詰めるわよ」
 まさに理詰めだな。
「でも今はしりとりは関係ないの、応援団よ、応援団。うん、やっぱこれっきゃないわね」
 一人で納得してるが、こっちにゃさっぱりわからん。
 お前はどうよ、という意味を込めて、正面に座る男の目を見る。
 古泉はアルカイックスマイルで肩を竦めた。
 長門は一瞬だけ意識を現実世界にアクセスさせたあと、再び本に視線を落としている。
 お茶のおかわりを用意していた朝比奈さんは、トレイをその神々の谷間に抱いたままきょとんと立っていた。
 制服のようにメイド服を着こなす朝比奈さんがびくりと身体を縮こまらせたのは、ハルヒが悪戯小僧の顔で麗しの彼女を見たからである。
「みくるちゃんの新しい服が欲しいんだけど、値段が高騰しててさ。購入資金を手っ取り早く稼ぎたいのよね」
「普通にバイトでもすりゃいいだろ」
 しかし俺のまっとうな意見など聞く耳持つタマではないのだ、この女は。
「あたしがこの世で憎んでいる言葉の一つが『普通』よ! 普通のバイトなんてなんの面白みもないわ」
 悪かったな、俺は絵に描いたような普通の人間だぜ。普通が服を着て歩いたら俺になるくらい普通だ。
 そうかそうか、俺はお前に憎まれていたんだな。初耳だ。
「そしたらひらめいたの。出張応援団なんてどうかしらって! お金ももらえてSOS団の知名度アップにも繋がるし、一石二鳥よ。我ながらナイスアイデアね。自分のひらめきが恐ろしいわ」
 確かに恐ろしいよ、別の意味で。
 つまりは朝比奈さんのコスプレ服を検索していたときにたまたま学ランの写真を目にしたことでそんな思いつきに至っただけの話なのだが、ハルヒの達者な口とお気楽な脳みそにかかれば、もうそれは幸運の女神の前髪なのである。でもって前髪どころか首根っこひっつかんで逃がさないのがハルヒだ。
 神をも恐れぬ所業。あ、一部熱狂的信者の間では神ってハルヒだっけか。
「みくるちゃんのチアと古泉くんの学ランがあれば男女とも需要をカバーできるわ。絶対引っ張りだこ間違いなし!」
「……古泉が着るのか、学ラン」
「なによ、あんたも着たいの? 安心しなさい、全員分用意するから」
 そういうわけじゃない。ただちょっと、あまり思い出したくない記憶があるだけだ。
 呼び起こされる罪悪感を否定して、克服した気になっていた。
 相手の気持ちを犠牲にしても自分の信じるほうを取ろうと決めたはずなのに、こんなきっかけでたやすく揺らぐ。
 古泉の顔を見ると、変わらない微笑があった。そこに僅かに、俺にだけわかるくらい少量滲まされた気遣いの色。
 大丈夫――――大丈夫だ、俺は大丈夫。大丈夫だから。
 握り締めていた手の緊張をゆっくり解いて、気持ちを切り替える。
「じゃあチア3つ、学ラン2つか」
「チア服はあるからいいとして、問題は学ランよね。どっかから調達しないと」
 せめて穏便な調達方法を取ってくれよ。
 俺の心の声を聞き取ったのか知らないが、挙手をして発言を求めるような優等生的態度で古泉が口を開いた。
「ああ、それなら当てがありますよ。お兄さんがいらっしゃるクラスメイトから、いらなくなった制服をいただけると思います」
「そう? じゃあお願いしようかしら」
「かしこまりまして」
 如才ない所作で古泉が一礼し、俺は今もなおまとわりつく影を振り払った。