眼鏡の男が、ぐったりと動かなくなった『彼』を確かめるように軽く揺すった。
「あれ? ぶっ飛んじゃった?」
その言葉に、僕は胸から心臓を取り出されて氷の中に漬けられたかのようにぞっとした。
彼は僕から見てもうつろな目をしており、呼びかけになんの反応も示さない。
「どうしよっか……」
「次俺行こうと思ってたのにな」
「叩き起こす?」
「穴が使えればいいんじゃん」
心ある人間の言葉ではなかった。
そんなやつらが、彼を、この上なく素晴らしく、底抜けにお人よしで、優しくて、超能力者なんて肩書きの僕を当たり前のように受け入れてくれた、どこにでもいる普通の人間のようなのにそのくせひどく得がたい、かけがえのない存在である彼を、下衆な欲望のままに蹂躙したのだ。
その人は、あなたがたが好きに扱っていいような存在ではないんです。
愛されて慈しまれて、幸せに笑っているべき人なんだ。
本来ならあなたがたなんか、彼に指一本触れる価値もない。
「震えてるな。怖いのか?」
僕を捕まえている、短い髪を立てた男が嘲り笑った。
そう、男の指摘どおり僕は震えている。恐怖によってではなく、怒りによって。
激しすぎてくらくらと眩暈がした。体中に巡る血が沸騰しそうだった。
彼にも、こいつらにも、僕自身に対しても、ものすごく腹が立った。
僕なんかを守るために自分を犠牲にした彼は本当に馬鹿だ。
彼を不当に貶める男たちは万死に値するだろう。
目の前で彼が凄まじい暴行を受けているのに何もできない無力な僕は消えてしまえ。
世界を守っているだなんて偉そうなことを言っておきながら、一番守りたいたった一人を守れなくて、なんのための超能力だ。なんのための力だ?
男たちは彼を囲んで、如何にして彼を嬲るかを旅行の計画でも立てているように話しはじめた。
「おい、お前らちょっと待て。俺に考えがある」
短髪男が僕を拘束したまま、男たちの輪に呼びかけた。
「っ!?」
突然へその辺りに手をかけられて、ぎく、と身体が強張った。
後ろから前に回った男の手がベルトをするりと抜く。
「な、にを」
「ずっとテント張ってて苦しいだろ? 解放してやるよ」
自分の状態を言い当てられ、屈辱と羞恥でこめかみあたりがかっとした。
密かに焦がれていた彼の乱れに乱れた痴態は、僕にはあまりにも強すぎる毒であり、僕の身体は浅ましくも興奮してしまっていたのだ。
無駄なことだと判ってはいたが男の腕から逃れようと身をよじる。
「やめてくださいっ」
「あいつさあ」
彼のことを指しているのだと悟り、僕は抵抗を止める。
男は反応を予想していたようにくっくっと笑いながら、横たわる彼を顎でしゃくった。
「これから全員の相手させられたら、まず間違いなくぶっ壊れるな。途中で死ぬかもよ」
なんてことを。
頭ががんがんした。眩暈がひどくなる。
鈴の音のような、この凄惨な空間に似合わない少女の声が、やんちゃな子供を叱りでもするかのように飛ぶ。
「もう、自由にしていいとは命令してあるけど、まだ殺しちゃだめだってば」
「ああ……はい」
男はやけに素直に返事をし(この辺に力関係が伺えた)、僕のファスナーを引きおろした。
我に返る僕の耳に、言葉が吹き込まれる。
「あいつを助けたい?」
「……っ」
布越しに手のひらを感じた。緩やかな手つきで、円を描くように撫でられた。
彼を助けたいかだって? 問うまでもない愚問だ。
それはもう全身全霊をかけて助けたいに決まっている。
「お前が代わりにやるか? そうしたら、それで終わりにしてやるよ。なあ、お前らもそれでいいだろ?」
だから僕は、その申し出に一も二もなく頷いた。
僕が身代わりになるくらいで彼が助かるのなら安いものだ。
何を引き換えにしても構わないとすら思った。
ああ、僕は愚かで、浅はかだった。
どうして気づかなかったのだろう、顔を見合わせた男たちの顔に一瞬遅れて浮かんだ性質の悪い笑みや、短髪男の、生理的嫌悪を催す類の声音に。
「……決まりだな」
ニヤリ、というオノマトペが似合う声だった。
「お前があいつの相手をするんだ」
「な――――!」
僕は耳を疑った。なんだって?
そんな、まさか、だって僕はそういう意味で了承したんじゃない!
「どうせお前がやらなくても、このままあと何人かの相手をさせられる。それを、お前一人で許してやるって言うんだから、温情溢れる交換条件だろ」
どこがだ、悪趣味もここに極まれりといった感じだ。
僕に、彼を抱けというのか。
「あ……」
僕は横たわる裸の身体を見つめた。
告白してしまうと、彼に不埒な思いを抱くようになってから、その手のことを夢想したことはある。
だが所詮夢は夢だ。現実には起こりえないし、僕もそれでいいと思っていた。
ずっと秘めておくつもりだった。
幾重にも鍵のかかった箱に入れられ、そうしてそのまま、誰にも知られることのないまま死んでいくはずの。そっと息絶え、土をかけて葬られるはずの。
なのに今、この状況、この条件!
僕がせっかく押し込めて蓋をしていた想いを眼前に引きずり出し、容赦なく思い知らせてくる。
僕の本音。僕のエゴ。
彼をいとおしく思う、きらきら光る美しい部分と、醜い、どろどろした、欲望と呼ぶべきもの。
大切にしたいと願う裏で、めちゃくちゃにしたいと望む心。
どちらが勝った結果なのか――――やがて力なく首肯した僕の拘束が解かれた。
ようやく触れることのできた頬に涙の跡が筋となって残っている。
やはりまだ、意識はほとんど戻っていなかった。たぶん僕のことも認識できていないだろう。
こんな状態の彼を犯さなくてはいけないなんて。
ごめんなさい。ごめんなさい。許してもらおうなんて思っていません。罵ってくれて構わない。
到底許されることじゃないとわかってはいるのです。
それでも、罪悪感と言い訳に隠れて、どんな理由であれあなたを抱けることに、確かに喜びを感じている僕は最低なんでしょう。
僕は上着を脱いで床に敷き、その上に彼を仰向けに横たえた。
せめて少しでも負担がかからないように、できるだけ優しくしようと思った。
男たちが下品に囃し立てるのも気にならなかった。
僕に何よりダメージを与えるものは、彼自身の口から放たれる矢だけなのだ。
見える範囲の、血がにじんでいる箇所全てにキスを落とした。
唇と唇を重ねるときは柄にもなく緊張して、僕は目をつぶった。
時折思い出したように瞬く彼の目は、変わらず何も映さない。
彼にとってはそのほうがいいのかもしれなかった。全て幻のうちに終わってしまえば。
彼を抱いているのが僕だと気づかないことを寂しく思う資格なんて、僕にはないのだから。
なだらかな腹部が、彼が自分で放ったもので汚れている。そこにいたわるように手のひらを乗せた。
「……っ」
微かな反応があった。それはおそらく、単なる反射に過ぎなかっただろう。
けれど僕はため息をつくほどの幸福を覚える。病んだ、歪んだ幸福だけれど。
彼の足を持ち上げて自分の肩にかける。
すみません、つらいでしょうが少し我慢してください。
いっそ好きですと、愛しているのだと告げてしまえばよかっただろうか。
彼に挿入し、揺さぶり、彼の中に吐き出しながら?
僕もあいつらと同じだ、一方的に彼を踏みにじっている。
そんな僕に、今更何が言えるというのだろう。何を言ったところで空々しく響くに違いない。
それにたとえ想いを明かしたとしても、愛は決して免罪符にはなりえないのだ。
「あっ……あぁ……あ……」
身じろぎのたびに、依然朦朧としているだろう意識の間から、途切れ途切れに彼が嬌声を上げる。
その目がぼんやりと彷徨い、僕を捉えたように見えた。
こいずみ。
そう唇が動き笑いかけられた気がしたのは、僕の錯覚だろう。
あなたが好きなんです。
水滴が僕の目から溢れ頬を伝い、僕はそれが落ちた先、すなわち彼の唇に唇を寄せた。
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