古泉の家は、長門ほどではないが高校生の一人暮らしにしてはちょっと贅沢な造りをしていた。
 玄関で靴を脱いで上がりこむ。
「邪魔するぞ」
 へぇ……男一人のわりに片付いてるじゃないか。
 かといって、長門みたいに、必需品以外ほとんどない、というわけではない。
 一言でいえば、センスがいい。そういう印象の部屋だ。
 こいつ、何から何まで本当に完璧なんだな。なんかちょっと腹立ってきたぞ。
「例えば涼宮さんが気まぐれを起こし、突如古泉くんの家に行きたいわ! と言い出したときでも、すぐに対処できるよう……そういう風にしてあるんです」
 ということはつまり、この部屋はハルヒが古泉に求めているイメージの通りに作ってあるってことか。
 それってどうなんだろう。
 本来ならプライベート空間であるはずの自分の家でさえ、他人の意思が介入してくるってのは。
 窮屈だったりしないんだろうか。
「あ、適当にしててください。今何か飲み物でも……」
 古泉は妙にそわそわしている。自分の家のくせに、俺よりも遥かに落ち着きがない。不自然なくらい目も合わせようとしないし……。
 もしかしたらやっぱり迷惑だったのかもしれない。
 自分の領域に他人を入れるって、結構色々な条件がいるものだ。
 例えば素の自分を曝け出す覚悟とか、相手への絶対的な信頼とか気安さとか、そういうもの。
 俺は古泉にとって、その条件を呑むに値する相手になれているのだろうか。
 あのときの「愛されている」という実感は、弱っていた俺の思い込みに過ぎなかったとしたら。
 古泉はただ異常な事態に錯乱していただけで、俺がそれを自分の都合のいいように受けとっただけだとしたら?
 足元が急に消えた気がした。
「お茶とミネラルウォーターがありますが、どっちがいいですか?」
 俺は正直とても喉が渇いていたが、冷蔵庫を開けている古泉を遮って言った。
「いや、それより風呂貸してもらえないか」
「あ……はい、じゃあお湯溜めますね」
 溜まるまでどれくらいだ。時間がかかるのなら意味は失われる。
 俺は再び古泉を遮った。
「やっぱシャワーだけでいい。俺が押しかけたんだし、そこまでしてもらうのもなんか悪い気がする」
 なるべく自然を装って笑う。これって結構疲れるんだな。
 古泉、普段からこんなことばっかやらされてたら、へとへとにならないか?
「そう……ですか。遠慮はいりませんから、なんでも仰ってくださって結構なんですが」
「サンキュ。とりあえずシャワーは遠慮なく貸してもらう。風呂どこ?」


 あのまま向き合っていて、古泉の目にもし、嫌だななんていう感情が一瞬でも浮かぶのを見つけてしまったら、俺はたぶん裸足でこの家を飛び出していただろう。
 自分の想像に怖くなって、これ以上古泉の前にいることを拒んだ、覚悟の足らない俺。
 古泉の家はユニットバスじゃなくトイレと風呂が分かれていて、洗面所兼脱衣所までちゃんとあった。
 ジャージを脱いで丸め、隅っこに置く。下着は元からはいていなかった。
 こういうと変態みたいだが、どろどろに汚されたあれを再びはくことのほうが変態だと思うのでつまり俺はまともだ。
 風呂場に入ると、俺はシャワーのコックをひねった。冷たい水がタイルの上を流れていった。
 調節をして温度を確かめてから、お湯でできた小型の滝の中へ身体を入れる。
 熱い湯は傷に沁みてぴりぴりした。
 治るまで誰にも身体を見せられないな……ハルヒが例の気まぐれで俺にも「脱げ! そしてこれを着なさい!」とか言い出さなきゃいいんだが。
 朝比奈さん、申し訳ないんですが一週間でいいんでSOS団の着せ替え要員として揺るがないでいてください。
 心の中で女神朝比奈さんを拝み、万が一ハルヒが俺を剥こうとしてもそれでも長門なら、長門ならきっとなんとかしてくれる、とどっかのバスケ部みたいなことを思い、いつしか俺の口からは乾いた笑いがこぼれていた。
「はっ……はははっ……」
 なんだ、俺、結構平気じゃないか。
 あんな無茶苦茶な目に合わされたっていうのに普通にシャワーを浴びて普通に笑えて、――――それとも、こんな風に普通に振舞えてしまうこと自体がすでに異常なのだろうか。
 こういうとき普通ならどうするかなんて、俺は知らない。
 だって下肢にこびりついた精液を洗い流しながらどんな顔をしたらいい。
 がくん、と足が折れた。