背中に柔らかい感触がある。わずかに身じろぎして、ベッドに寝かせられているのだと気づく。
 どっからどこまでが夢だ? まさか全部が夢落ちってことはあるまい。
 これは現実だ、さっきのあれは夢だ、夢の原因になったあれは夢じゃない。
 薄暗い部屋にだんだん目が慣れてくる。誰かがベッドのそばにいた。
「あ、起きました? 気分はいかがです」
「……こいずみ……?」
 古泉はベッドのそばまでわざわざ引っ張ってきたらしいソファに座ってこっちを見ていた。
 まてよ、それじゃあもしかしなくても俺が寝てるのは古泉のベッドか? 押しかけの分際でベッドまで奪ったのか俺は。
「僕はいいんです。それに涼宮さんのおかげである程度の徹夜は慣れてますし」
「でも」
「あなたは僕が、病人をソファに寝かせて自分は平気でベッドに寝る男だとでも思うんですか」
「……そういうわけじゃないが」
「なら、大人しく寝ていてください」
「すま……」
「ストップ」
 俺は口をつぐみ、古泉はベッド脇のテーブルの上からペットボトルを手に取った。
「いいかげん謝るのはやめてください。僕は迷惑だと思っていませんし、あなたが気にする必要はありません」
 ちゃぷん、とボトルの中身が揺れる。少し飲んだ跡がある。
 古泉は手持ち無沙汰にペットボトルをもてあそびながら言った。
「次謝ったら嫌なことをしますからね」
 嫌なことって何だよ。
「そうですね、例えば……こういうことです」
 そう言って、古泉はタオルで俺の汗を拭った。うん、まあ、微妙に嫌と言えなくもない。
 ごく自然に額に手を当てるなよ。お前の家には体温計という文明の利器はないのか。
「うなされていましたよ」
 あんな夢を見ちゃあな、うなされもするだろうさ。
 俺はなんとなく唇を舐めた。熱でかさついているだろうと思ったそこは、意外にも湿っていた。
 古泉が俺を見つめたままなのでどうも落ち着かない。
 とりあえずいま何時か訊こうとして口を開きかけたとき、古泉が言った。
「長門さんをお呼びしましょうか」
 俺はやはり時間を訊いた。
「いまなんじだ……?」
「ええと……夜の二時を回ったところです」
 深夜じゃないか。お前ずっと起きてたのか?
「なんで長門をよぶんだよ」
 俺の尤もな問いに対して、古泉は少し言いよどんだ。
 その目だ、その目が、俺を落ち着かない気分にさせる。
「……記憶を消してもらうのもありなのではないでしょうか、と」
「え?」
「うなされるほどつらい記憶ならば……忘れてしまったほうが、あなたのためなのでは」
「――――いい」
 自分でも驚くほどきっぱりと答えが出た。
 なんでだろう、ただとにかく、俺は忘れてはいけないと思った。
 それにあれは、俺の無知と侮りが招いた面があるのも否めない。
 なのに、忘却の彼方、なかったことにしてしまえば、同時に反省もできなくなるだろう。
 それじゃあダメなんだよ。
 俺はこれから先も、なんだかんだ言いつつ、常識の通じない圧倒的パワーの団長や、機械的だが決して人間味がないわけでもない宇宙人や、心優しいドジっこ未来人や、胡散臭い笑顔のムカつく超能力者たちと関わっていくつもりなのだから。
 古泉はしばらく思案していた風だったが、やがて苦しそうに笑った。
 苦笑ではなく。こっちまで胸が苦しくなるような笑みだった。
「……わかりました」
「……ん」
 理解してもらえたならいい。謝るなと言われたので、俺は別の言葉を使うことにした。
「ありがとう」
「いえ。……眠そうですね、もう寝てください」
 瞼が重くなってきた。古泉お前、催眠術まで使えちゃったりとかするのか?
 俺は眠気に素直に白旗をあげ、目を閉じる。
 全部覚えておくよ、今日あったことも、お前の家に来たことも、さっきの苦しそうな笑顔も、俺が礼を言ったとき、お前が一瞬だけ見せた顔も全部。