大学生&同棲&浮気 な感じです


 ここは北極か、それとも南極だっただろうか。
 地球温暖化が叫ばれる昨今の日本にあるまじき氷点下のような寒さを肌に感じているのは何故だろう。
 何故ってそれは、じりじりと俺を追い詰めるべく近づいてくる古泉から発せられるただならぬオーラがドライアイスのごとき冷気を纏ったものであるからだ。
 アルコールで火照っていた身体が冷えていくのが判る。
 頭に水をぶっかけられるよりも酔いが醒める気がするね。気がするだけだが。
 俺は自分を守るために片手で『STOP!』の意を示しながら、座ったままベッドの上を後ずさった。
 酒が抜けていないせいでいまいち力が入らず動きの鈍い身体を励ましなんとかずり下がったものの、すぐに背中が壁にぶち当たって嘆きたくなる。
 安普請で狭いながらも楽しい我が家、という認識だったはずなのだが、家賃をケチるんじゃなかったと何度目かの後悔をした。
 いや、苦学生が住むにしちゃ広めの部屋なんだけどさ。
 重ねて言っておくがここは北極でも南極でもなく日本で、雪の降る北海道ではなく東京で、風の吹く外ではなくアパートの中で、孤独な一人部屋ではなく俺と古泉の部屋で、冷える廊下ではなくベッドの上で、暖かいはずの条件は満たされているはずなのに寒い。
 驚くべきことに、俺と古泉は一緒に暮らしているのだった。
 いわゆるルームシェアってヤツだ。
 高校卒業後、二人とも大学自体は別々だが東京にある大学に進学し、上京するにあたって一人暮らしより二人の方が何かと都合がいいし、家事が分担できてなにより家賃折半なのは大きい、という利害が一致した結果の、気心の知れた友人同士のルームシェアというのが表向き。
 実際は、良識ある大人ならなんたる乱れた生活だけしからんと顔をしかめるような、ホットケーキの上にハチミツとバターを乗っけてフォークでぐっちゃぐちゃにしたような日々を送っていたりする。
 親が真実を知ったら仕送り(それほどもらっているわけではないけどさ)を止めたくなること間違いなし。
 つまるところ友人ではなく恋人同士の単なる同棲生活だ。
 そして一緒に暮らしてはや二年、蜜月や倦怠期や喧嘩や家出や仲直りやなんやかやを経験して同棲を継続中の俺たちは、ここのところ特に問題もなくもうすぐ三年目に突入しようかというところだった――――のだが。
「落ち着け古泉、落ち着いて俺の話を聞け」
 笑顔貼り付けたまま無言で迫ってくるな怖いから。呪いのビデオから現れる女もかくやという怖さだ。
「お、落ち着けって。な? おれの話を……」
 ああくそ呂律がまわんねえ。
 しこたま呑んで、しかも夢うつつだったところを起こされたばかりだったから、呂律も回らなきゃ頭も上手く回らん。
 どうやったら笑顔で怒り狂っているらしい古泉を静めるような上手いことが言えるのかさっぱりだ。
「き、っ!?」
 バン、と叩きつけるように顔の横の壁に手のひらがつき、古泉の両腕による檻が出来上がった。
 閉じ込められてしまった俺に逃げ場はもはやない。
 見下ろしてくる古泉の威圧感ときたら、もしスカウターがあったら絶対に弾け飛んでいることだろう。
 こここここ怖え!!
 笑顔を崩さないのが更に恐怖感を煽る。
 そしてにっこりと壮絶な笑顔を浮かべた古泉が、液体窒素を通したような声で言った。
「なにを……してたんですか? あなた」
 俺の身体が震えているのは寒気のせいか恐怖のせいか。焦らすような速度で近づく古泉の顔。
「ねえ」
 その顔は吐息がかかるほど至近距離にあり、俺の目を覗き込むように合わせてくる目は一切の偽証を許さないと光っている。
 俺が何をしていたかって?

 部屋に、女を連れ込みました。


 さて、どうしてこんなことになったのか初めから整理してみようか。
 今朝の俺はここのところずっとかかりきりになっていた面倒なレポートをようやく仕上げたおかげで、それはそれは開放感に満ち溢れていた。
 これでやっと睡眠不足とはおさらば、知恵熱出そうな日々も終わりだハレルヤ!
 浮かれきったそこにゼミの飲み会が重なって、ついハメをはずしてしまったのだ。
 教授が連れて行ってくれたのは大衆向け飲み屋ではなく教授お気に入りのちょっと高めの店で、しかもポケットマネーで奢ってくれるというし、店のおすすめだと出された一杯目が思いのほか美味かったのもあって、これは飲まない話はないだろうと、調子に乗って飲み過ぎた。
 自分がそれほど酒に強くないのを忘れ、パカパカとグラスを空にしていった結果がどうなったか、もうおわかりだろう。
 数時間もたずに潰れた。そりゃもう見事に。
 カクテルってのは口当たりの良さに反してアルコール度数が高いものが多く、味や飲みやすさに騙されると痛い目を見る。
 男が女の子を酔い潰してお持ち帰りするために利用するってのはよく聞く話だが、まさか自分がその罠に陥るとは思ってもみなかった。
 気付けば俺は同じゼミの女の子に引っ張られるようにして、タクシーに乗せられて家に送られ――――たまではまだよかったのだが、その女の子ってのが、付き合った男の数を勲章にしてるような子だったんだよな。
 顔もスタイルもなかなかで、自分がもてるってことを熟知していて、男を振り回して喜ぶタイプ。
 ゼミ仲間の中でも何人か彼女に熱をあげてるやつがいるんだが、生憎俺は顔面偏差値のやたら高いSOS団に所属していた過去があったり、今も家に帰れば下手なアイドルより整った顔の男がいたりで美形を見慣れていたこともあり、数多の男がやられた彼女のぶりっこ攻撃に対してのリアクションがことごとく薄かった。
 それが彼女のプライドを傷つけたのかなんなのか、俺に思わせぶりな態度をとってくるようになったのだ。
 どうやら自分に興味のない男が許せないらしい。ちやほやされるお姫様でいたいんだろうな。
 ここからは推測になるが、俺に付き合ってる女がいないこと、そして実家暮らしではないことを知っていた彼女は、俺に付き合ってる男がいること、そいつと二人暮しをしていることは知らず、これを好機と見た。
 おそらく、既成事実さえ作ってしまえば男なんてちょろいものとでも考えたんだろう。逆送り狼だ。女は怖いね。
 彼女はなんと、前後不覚の俺の部屋に一緒に上がりこみ、俺をベッドに寝かせ、服を脱がせて大胆にもやっちまおうとしたのである。
 念を押しておくが、俺はかなり酔ってたんだ。レポートに追われてしばらく禁欲生活でもあった。
 アルコールが回っていい気分でふわふわしていたのに加え、久しぶりに感じる人肌の温かさに気持ちよくなってしまって、自分が何をされているかも理解できずにぼうっとされるがままになっていた。
 そんなところに、バイトを終えた古泉が帰ってきたのだ。
 ちなみにバイトってのは学習塾の講師で、高校のときの物騒なあれじゃない。
「……ただいま、帰りました」
 氷柱のような声に、ふわふわしていた俺の意識が少し硬さを取り戻す。
「んっ……こいずみ……?」
 で、そこでやっと自分の状態に気付いて驚いた。
 あらかた脱がされていて、半裸の女体が今まさに覆いかぶさってこようとする瞬間だったからだ。
 女の子は突然の闖入者に驚き、きゃあと悲鳴を上げて毛布で身体を隠した。
 靴を脱いでベッドの前までやってきた古泉が、にこりと笑顔を作る。
 古泉のことを何も知らない人間が見たら一発で惚れるくらい完璧な笑顔だったが、残念ながら俺は古泉のことをよく知っているため、もはや恐怖しか感じられなかったね。
 古泉は笑顔のままで問いかけを口にした。
「どちらさまですか?」
 部屋の中にブリザードが吹き荒れた。
 極寒の地と化したアパートの一室で、俺はゆっくりと半身を起こして状況把握に努め、その結果上記に長々と説明した通りの推測を導き出したわけだが、古泉にそんな事情などわかるはずがない。
 違うんだ、誤解だ、誓って浮気をしようとしたんじゃないんだ!!


 女の子はそそくさと服を着ると、沈没する船から真っ先に逃げる鼠のように部屋を出て行った。俺も逃げたい。
 残された俺はヤマタノオロチに睨まれたアマガエル状態だ、といっても古泉は睨んでいるわけではなく笑っているんだがな。
 その笑顔のプレッシャーが半端じゃなく、後ろに般若を見た俺はここからが地獄だと確信した。
 で、話は冒頭に戻る。
 俺の退路を断った古泉は、外気に晒された俺の肌をわざとらしくそっとなぞった。
「僕の留守中に、随分楽しそうなことをなさっていたようですね」
 にこ、と一度細められてから開いた瞼の下の鋭い光、ひいいいい目がマジィィィ!!
 激しく身の危険を感じ、裸の背筋を嫌な汗が伝う。
「んぅっ」
 近づいていた唇に唇を塞がれ、壁に押し付けられながら貪られた。後頭部が痛い。
 舌が口の中をかき回すようにして、粘膜や唾液を味わいつくすかのようにぴちゃぴちゃと蠢く。
「っ、ん、んん……っ、う」
 苦しい、もう無理だ、と思ったころにようやく顔が離れた。三センチあるかも怪しい程度の距離に過ぎないが。
「は……」
「お酒の味」
 もう一度近づいた舌が濡れた唇を舐める。
「相当飲んだみたいですけど……そんなに盛り上がったんですか」
 だから誤解だって、と俺は自分の潔白を切々と訴えたかったのだが、それより先に腕を引っつかまれ、腰を支えられるようにしてベッドから立たされた。
「なっ……こ、こいずみ?」
「酔っていらっしゃるようですから、頭を冷やしたほうがいいですよ」
 お前の絶対零度の声だけで随分と冷えたと思うぞ。
 しかしそんなことを言おうものなら火に油、っていうより水に氷のほうがいいか、とにかく余計に古泉を煽るだけなのは目に見えているので、心の中で独白するだけにしておいた俺は賢い。
 古泉は高校のときにとった杵柄なのかそれとも元々の運動神経がいいせいか、理系学生らしからぬ(というのは偏見か?)腕力と体力の持ち主で、酒と情けないことにさっきのキスで力の入らない俺の身体は、抱きかかえられるのに近い姿勢でやすやすと古泉の意のままに導かれてしまう。
 ベッドを降り、部屋を出て廊下へ。俺パンツ一丁なんだけど。
「古泉、違っ……待て、ちょっと止まれ」
 説明くらいさせてくれ。そうすれば誤解も怒りも解けるはずだ。
 お前の考えているようなことなんか全然ないんだから、そりゃちょっとまずったかもしれないが、俺にその気は微塵もなかった!
「理由がどうであろうが、事実に変わりはありません」
 冷たく一蹴され、確かにそれはその通りで押し黙るしかない。
 俺の行動は誰が見ても軽率だったし、どうしたって非は俺にある。
 そうして半ば引きずられるように連れて行かれた先は風呂場で、有無を言わさず中へと押し込まれた。
 床に座らせられ、
「古泉!?」
 古泉はシャワーヘッドを掴み、俺に向けると、もう片方の手で勢いよくコックを捻った。
「う、わっ!」
 噴き出てきたのは当然のように水で、俺は冷たいそれを頭から引っかぶった。下着をまだはいたままだったのに、そんなのお構いなしだ。
「ほとんど裸なんだからいいじゃありませんか」
 髪の毛から雫が滴り落ちてたちまち全身がびしょ濡れになっていき、降り注ぐ水も次第に温かくなっていった。


「やめ、古泉、……っ」
 立ち上がろうとしたときにうっかり気管に飛沫を吸い込んでしまい、結局へたり込んだままみっともないくらいにむせた。
 苦しくて少し涙が出たが、その涙もすぐに顔に線を引く水流のひとつに溶けてわからなくなる。
 げほげほとひとしきり咳をして、ひゅうと喉を鳴らす。
「は……っ」
 シャワーの音と息遣いがバスルームにこもり、口や鼻の中に水が入らないよう顔を下に向けて、注意深く呼吸をした。
 最初冷たかった水もいまや完全にお湯に変わり、今度はのぼせそうだ。下着が肌にぺっとりと張り付く。
 手で降り注ぐお湯をよけるようにして顔を上げると、目が合った古泉はシャワーを止めて顔を歪めた。
 眉間に力を込め、目元はきつく、痛みをこらえるように唇をきゅっと噛んで、子どもが癇癪を爆発させて泣くときのような、ああこういう表情を見たことがある。
 俺は目を逸らして俯いた。
「す、すまん」
 古泉の顔が頭から離れない。水をかけられたのも当然のような気がした。
 だって悪いのはどう考えても俺のほうだろうよ。俺が古泉の立場でも水くらいぶっかけてやりたくなる。
 胸が痛んで、それでもどうにか俺の気持ちだけはわかって欲しくて、まるで言い訳のように言葉を繋ぐ。
「でも、本当に、飲みすぎて一人じゃ帰れなかったから、送ってもらっただけなんだ。酔っててほとんど寝てたし、まさかあの子があそこまでするとは思わなくて」
 髪の毛からぽたぽたとタイルに落ちる水滴のように、古泉の声が落ちた。
「……あなたは無防備すぎる。危機感が欠けています」
 ゆっくりとかがんでくる。ズボンをはいたままなのを気にした様子もなく水滴の散る床に膝をつけて、俺の顔を覗き込んだ。
 その瞳の中の激情を読み取れるほどの至近距離で、長い睫が震えた。
「酔っていて、いいようにされるなんて」
 前髪が触れ合って、雫が古泉の長い髪の毛に移った。
 古泉は俺の頬を両手で包み、体温を確かめるように唇同士を軽く重ねる。
「……僕が帰ってこなかったらどうなっていたと思うんですか? あのままあの女性と最後までしていたかもしれませんよね」
 その通り、古泉が帰ってこなかったら。
 いや、あと少し帰ってくるのが遅かっただけでも、取り返しのつかないことになっていただろう。
「そんなの僕は、考えるだけでおかしくなりそうなのに……っ」
 次の瞬間、俺の身体は思い切り抱きしめられていた。
 自分の服が濡れるのも構わず、古泉は俺を抱く手に力を込め、肌と服とを密着させた。
「僕以外の人間に、あんな風に身体を触らせないでください、……あんな風に、僕以外の人間があなたを手に入れようとするなんて、許せない……!」
 本気で怒っているのだ、そして本気で傷ついているのだということがはっきりと伝わってきて、罪悪感が膨れ上がり、今更ながらに自分がどれほど浅慮だったかを自覚した。
 古泉の留守中に勝手に女を部屋に上がらせてしまい、しかも危うく襲われかかった。
 軽はずみな行動のせいで、酷い裏切りを犯すところだったのだ。飲みすぎたことなんか言い訳にもならない。
 なんてことをしちまったんだろう。最低だ。
 俺は自分のバカさに打ちのめされながら、古泉の腕の中で痛いほど後悔した。
「ごめん……!」
 こいつがいつもどこか不安がっていることを、知っていたはずなのに。


 古泉は俺が古泉を選んだことがいつまでも信じきれていないらしく、それは男同士であるからという以前の話であるようだった。
 そのくせ、自分のせいで俺に道を過たせた、俺にはもっとふさわしい相手がいるのに自分の手を取らせてしまったとかたくなに思い込んでいて、ときどきそれがふっと態度に出るんだからなあ。
 たとえば、いつだったか秘密を打ち明けるように、「ずっと夢の中にいるようだ」と言ったことがある。
 夢ならやがて覚める。覚めるときがくるのが怖い、あなたにいつか本当に好きな女性ができて、この生活が間違いであることに気づく日がくるのが怖いんです、と。
 その都度俺はそんなものは空が落ちてくるんじゃないかと憂えて眠れなくなるくらい無駄な心配であり俺は俺の意思でお前を選んだのだからと懇々言い聞かせ、古泉の不安を払拭するのに心を砕く羽目になるのだった。
 散々態度で示してやってるというのに、だいたい俺が好きでもない相手と一緒に暮らしたり、あまつさえ足を開けるような人間だと思うのかお前は。どんだけうたぐり深いんだ。
 呆れてそう言えば、
「気持ちいいから流されてるだけなのかもしれないじゃないですかっ」
「ふざけんなお前、それは俺が気持ちよきゃ好きでもない男に抱かれるような尻軽だっつう侮辱と一緒だ!」
 という会話になり大喧嘩に発展してしまったこともあった。確かあのときは一週間口をきかなかったっけな。
 いや、今はそんな過去の喧嘩の話はどうでもいいんだよ。
 古泉の装備しているフィルターは驚きの低性能で、そのフィルターを通した古泉の中の俺は魔性の超モテ男ということになっており、そして周囲の人間は警戒すべき狼ばかりなのだそうだ。
 だからいつ誰に襲われるかわからないので気をつけてくださいね、と常日頃から注意を受けていたりする。
 盲目もここまでいくとすごい。アホじゃないかとも思うが本人は至って真面目なのが始末におえない。
 そりゃついさっき襲われかかったのは事実だが、あの子はかなりレアケースだぜ?
 しかしなんにせよ、今回の俺の行動は、そういった古泉の中にある不安の種を芽吹かせるには充分すぎるもので、つまり俺が全面的に悪い。
 よって深く反省すべきであり、これからは悔い改めて酒は控え、今後は二度とこういったことのないように気をつけよう。
 俺は古泉の頭を抱きかえして形のいい後頭部をなでた。精一杯の決意を込めて。
「……ごめんな」
 だというのに。
 人が健気にもそんな決意を新たにしているというのに!
 古泉はそろそろ湯冷めして体温を奪われ始めた俺の身体を一際強くぎゅっと抱きしめた後、
「いいこと思いつきました」
 と、いやそれ絶対ろくでもないだろと突っ込みをいれずにはいられない笑顔で言いだした。
 泣いたカラスがなんとやら、さっきまで負のオーラ駄々漏れだったやつが嘘のように楽しげな雰囲気を醸し出している、この変わり身の速さはいったい何事だ。
 あっけにとられている俺の下着のふちに指がするりとかかり、流石に我に返る。おいおいちょっと待て。
「な、なにするつもりだ」
「決まってるじゃないですか、脱がすんですよ」
 まるでそれが黄金律ででもあるかのように言い下着を脱がそうとする古泉の笑顔はどこまでも不穏当だ。
 そうだな、風呂場だから服を脱ぐのは当然かもしれないがだったら一人で脱げるから出てっちゃくれないか、俺は適当にシャワーを浴びなおすから。
 しかし俺の訴えはまったく取り合ってもらえず即座に棄却された。
「ダメです。僕の思いつきに付き合っていただかなくては、ね」
 控訴も認められそうにない。
 古泉は逃げたくて仕方のない俺を目で制しながら、空調のパネルを操作して暖房を入れた。
「あなたが風邪をひいてはいけませんから」
 そう思うなら服を着させてくれればいいと思うんだ。


 抵抗むなしく裸に剥かれ、色んな意味で震えが走る。
 そもそもすでに下着一枚だけだったという開始時点で明らかにこっちが不利なのだ、初めから勝負は見えていた。出来レースだ。負けるに決まってる。
 ぐっしょりと水を吸って重くなった下着を脇にのけた古泉はつい先ほどまでのしおらしさはどこにいったのかと草の根分けて探したくなるくらい、もうすっかりいつもの嬉々として俺を追い詰めるときの古泉で、どういうスイッチの切り替わり方なんだろうな。
 そしてなんとも悲しいお知らせだが、俺はこうなった古泉から逃げられたためしがない。
 捕らえたねずみをすぐに食わずにいたぶる猫のような、いやにもったいぶった態度で、でもしっかり逃げ場は奪っていく古泉の手練手管。
 窮鼠が猫を噛めればいいが残念ながら多少噛み付いたところでこいつは止まらないし、むしろ喜んだり通常の三倍返しをされたりと余計に歓迎できない事態を招くことが多く、下手に反撃もできないのである。
 あああ、上着を脱ぎ捨てるその楽しそうな笑顔が憎い!
 一発殴りたい、顔……はダメだせっかく綺麗なんだしもったいない、殴るならボディーにしなボディーに。
 しかし一撃離脱は不可能だろうし後が怖い。俺は結局拳を振りかぶることもないまま、残機0なのにどんどんと迫りくるインベーダを見ているときの心境でもって背中をぴったりと壁にくっつけ、近づく古泉を見つめた。
 左手を取られ、持ち上げられて、甲にちゅ、と唇が触れる。
 ゲームオーバー。コンティニューもできやしない。
「気をつけてください、と何度もお願いしているのに、いつまでたってもおわかりいただけないようですので、仕方ありませんね? 実力行使に出ましょうか」
 やつの本気を感じ取った皮膚がぞわりとする。
 頭の中ではけたたましく防犯ブザーが鳴り響き脳は立ち上がってここから逃げろと指令を送っているのだが、身体が謀反を起こしているらしく足からの応答はなしだ。
 すわストライキか春闘か。足を止められては以降の行動に大幅な影響が出るのは私鉄と同様だ。
「な……にするつもりだ」
「そうですね、あなたが絶対に気をつけるようになるための策を施そうかな、と」
 その手に握られた光を見て、ぎくりと竦んだのも無理はない。
 古泉が持っていたのは安全カミソリだった。
 ヒゲならまだ伸びてないから剃らなくても大丈夫だぞ。
「とぼけずとも、そんな用途でないことなどすでにお察しでしょう」
 古泉はそう言って、これ見よがしにカミソリをちらつかせる。
 煌き閃く小さな刃の光は抜き身の日本刀にも劣らず俺の恐れを煽った。
 まずいまずいまずいやばいやばいやばい。
 ごくん、と唾を飲み込んで、なんとか思いとどまらせようと、ネゴシエーターのごとく交渉を試みた。
「こ、古泉、待て、話し合おう。もっと違う解決策を検討しよう、な!」
「違う解決策……と言われましても、これがベストだと思いますけどね。だってあなた、跡をつけるのは嫌がるし」
 微妙に俺が悪いみたいな言い草だが、嫌がるほうが普通の反応だろうが!
 去年の夏休み、観光がてら東京に遊びに来た谷口に飲みの誘いを受けたときのことが蘇る。
 前日しつこかった古泉は俺の身体の目立つところにばっちりしっかりキスマークをつけてくれやがった。
 しかも首筋、鎖骨、胸元に各数箇所という手の込みよう。
 これが冬ならまだタートルネックで隠すという手もあったが、厚着をしたらまず間違いなく熱中症で救急搬送されるであろう真夏日では使えず、大量に蚊に食われたという苦しい言い訳が年中発情男谷口に通用するはずもない。箸が転がっても笑うどころか大真面目で恋愛沙汰に結びつけるような男だ。
 そっからはもう質問攻め、彼女が出来たんだろ東京の子か同じ大学の子か可愛いか胸はでかいか年はいくつだいつから付き合ってるんだどこまでいった、と口角泡を飛ばす勢いの谷口を誤魔化すのには本当に骨が折れた。
 彼女じゃなく彼氏で、同郷だし違う大学だし可愛くないし胸もないし同い年だし高校のときからの付き合いで同棲までしてるのが真実だが、もちろんそんなこと谷口のみならず他の誰にだって言ったりはしない。
 としみじみ過去の苦労を回想していると、ひんやりとした声で現在時空に戻された。
「……別のことを考える余裕がおありですか」


 うあ、古泉の不機嫌度が上がっていやがる。今夜の俺はとことん墓穴を掘っちまう運命にあるらしい。
 しかし下手なことを喋らなくてよかった、谷口が来たときのことを考えていたなどと口走ったらどんな目に合わされていたことか。
 古泉はボディタオルにソープを取ると、手早く泡立て、俺の腕を片手で拘束し、有無を言わさずその泡で俺の下腹部をデコレートし始めた。
 俺はケーキのスポンジになった覚えはない。
 掴まれた手を外そうとするが「縛り上げますよ」と言われて身体が凍った。こいつはやる。絶対やる。
 そんな美味しい口実を与えてなるものか。
 楽しくてたまらないといった様子の古泉に、恐ろしくてたまらない俺。泣いてもいいですか。
 黒かった茂みの部分は白い泡で覆われて、鏡に映った顔は青ざめている。
 狼と七匹の仔ヤギで時計の中に隠れたヤギが部屋を覗き見ながら感じていたであろう恐怖と似たようなものを感じつつ、爽やかスマイルの古泉を見上げた。
「ちょ、ちょっと待て、本気か!?」
「ええ、本気です」
 シャキーン、と効果音でもつきそうな手つきで古泉がカミソリを構える。
「あまり暴れないでくださいね、手元が狂ったりしたら危ないですから」
 反射的に身体が竦むのは人間として当然の反応だと思う。
 さらりと脅迫を口にした当の本人は涼しい顔で、泡にまみれた肌にカミソリの刃をあてがった。
 なにこのアブノーマルプレイ。
 これまで若者的勢いと好奇心にまかせてそっち方面への冒険は結構してきたが、せいぜい体位を工夫するとか場所を変えるとかシチュエーションに凝ってみるとかでそれほど逸脱したものでもなかったから、剃られるなんて初めてだ。
 付き合いだして数年ですっかりふてぶてしさを確立しそこに変態性まで付随させてしまった古泉の手により、ショリ、と小さな音を立てて毛が剃り落とされていく。
 さらば俺の毛よ、お前は決して無駄毛として処理されなきゃならんような無駄な毛じゃなかったのに。
 このカミソリは二度と使えないなと諦めの境地に達したところで、俺にもう抵抗する気がないことを理解した古泉の手が俺の腕を解放した。
 と思ったら別のところに移動しただけだった。
「っおま、どこ触ってっ!」
「だって剃りにくいんですよ」
 だってじゃねえ!
 古泉は俺のブツを掴みつつ、カミソリを持ったほうの手を中心を避けるようにして動かし、時々刃についた毛を水で流す。
 だんだんと、いつもは隠れている皮膚を露出していく下腹部。
 直視するのがきつい。滅茶苦茶恥ずかしい。だが見ていないと怖い。怖いもの見たさ、ってやつかね。
 さて復讐……じゃない復習だ。
 俺はここのところずっと、レポートで忙しくてそれどころではなかった、とはすでに述べたな。
 古泉とは当然ご無沙汰だし、一人で抜く暇もなかった。ぶっちゃけ溜まっている。
 そのせいで人肌の甘い誘惑に流されかけたのが、現在の状況を引き起こす元凶になったわけだし。
 どうだろう、思い出していただけただろうか?
 つまり何が言いたいかと言うとだな、今の俺は久しぶりだということもあってちょっとした刺激でも反応しちまうような身体だったんだよ。
 意思とは関係なく、触れられたら勝手に勘違いする。
「おや」
 古泉が目を細めた。
 俺は今すぐ古泉の手からカミソリを奪って手首に当てたかったが、安全カミソリじゃ手首は切れねえよな。
 剃られているうちにそこは緩やかに首をもたげ、古泉と俺の視線に晒されながら勃ちあがっていった。
 この馬鹿息子おおお!!


 恥ずかしさで人が死ねるものなら、きっと俺は即死していただろう。
 なんでちょっと握られて周囲の毛を剃られたくらいで勃っちゃってんの俺。
 しかしながらこれは不可抗力でありその辺りの事情をぜひとも斟酌して欲しい。
 普段の俺ならこの程度の刺激、たぶんやり過ごせるんだ、うん。
 かああっ、と頬に血が上って、慌てて古泉の目から逃れようと身をよじるも叶わず、その部分を足で隠そうとしても、膝を立てればかえって見せ付けるようなポーズになってしまうし、ならばせめてもと制止の言葉を投げかけた。
「み、見んなバカッ」
「……見ないと剃れませんよ?」
 古泉はすっとぼけた口調で言い、手の動きを再開する。
 確かに余所見なんかしてたらざくっといく危険が高くなるかもしれんが、だからといって明るいところでそうまじまじと、絶対に人に見せたくないようなところまでもを見られているという状況を平気で許容できるほど俺は羞恥心を捨ててはいない。
 肌を撫でるカミソリの感触がとてつもなく淫猥なものに感じられ、サリサリと普通なら隠れているはずの場所を裸にされていくこの恥ずかしさは筆舌に尽くしがたい。
 毛を刈られる羊がみなこのような羞恥と寒さに耐えながら人間に毛糸を提供してくれているというのなら、俺は来週の、大学の友人に誘われたジンギスカンを食いに行く予定をキャンセルしようと思う。
 これからはセーターやマフラーに対して敬意を表してもいい。
 母さんが夜なべをして手袋を編んだ折には母さんだけではなく羊にも感謝を捧げなければならないな。
「ん……っ」
 とかそういう現実逃避をしている間にも、古泉は泡でぬめる手でときどき悪戯を仕掛けてきては、俺の反応を面白がっている。悪趣味め。
 そんな悪趣味野郎の手からしっかり快楽を得ているだけではなく勃たせちまっている自分の身体の意地汚さを思い知らされるようで、身悶えしたくなるほどの羞恥プレイだ。
 神様、俺が何か悪いことをしたでしょうか。……ええしましたね。
 古泉を悲しませたくなくて、だから古泉のために深酒しないよう節制しようとさっき思ったが、どうやら『俺のためにも』そうしたほうがよさそうだ。こんな目に遭わされるのは二度とごめんだからな。
 古泉がカタン、とカミソリを置いた。
「流しますね」
 そう言い、シャワーをそこにかけて泡と毛を洗い流す。と、突然水流の勢いが強くなった。
 噴きだす湯をわざと敏感な部分に当てるように近づけたり遠ざけたりと遊ぶ。
「っ! ぅ、」
 睨みつければ、古泉はそ知らぬ顔で肌の上に手を滑らせ、ぬめりを落とすように撫でる。なんでそういちいち手つきがやらしいんだ。
「それはやはり、いやらしいことをしているからではないでしょうか」
 開き直ったように認める口ぶりがムカつく。
 泡が落ちても、古泉はそこを撫でるのをやめない。
「ですが、そもそもあなたがいやらしいからこそ、そんなあなたにふさわしいいやらしいこと、をしたくなるんですよ。僕だってあなたと知り合う前は性的なことに関してかなり淡白だったんですから」
 俺のせいだってか。人を公然猥褻物みたいに言いやがって、自分の変態性嗜好は自分で責任を負えよ。
 俺だってお前と知り合う前はまさか自分が男に抱かれる日が来るなんて夢にも思わなかったぞ。
 ほとんどのことをそっち方面に結びつけるフロイト先生の夢判断にかかれば深層心理で思っていたことにされるかもわからんが。
 古泉がくすりと笑い、ゆっくり手をどける。
 その手のひらの下、泡が消えた後の皮膚は、そこを覆って守っていた毛が全て取り払われて、無防備な姿に変えられていた。
 ツルツルになった下腹部を見下ろしながら、あまりの羞恥と情けなさに、湯気に混じって蒸発したくなる。
 みっともないだけだろ、男のくせにパイパンなんて。


 すっかり丸裸にされた色の微妙に違う肌の上を古泉の視線が舐めていくのがわかり、鳥肌が立ちそうだった。
 唇を噛締めて羞恥に耐えるが、そのうち血管が切れて脳内出血を起こすんじゃないか。
 なぜこのような辱めを受けねばならんのだ。今すぐ殺せ、殺してくれ!
 こんな言葉を吐くのは敵国に捕らえられ奴隷の身に落とされ性的に嬲られた王族か今の俺ぐらいのものだろう。
 確か人間は洗面器一杯の水でも死ぬことが出来ると言うな、と蛇口を視界の隅に入れつつ世を儚む俺とは真逆に今この瞬間を精一杯楽しみ人生を謳歌しているかのようないい笑顔の古泉。殴りてえ。渾身の力を込めて。
 古泉は満足気に小さく息を吐くと、目を細めて
「ふふ、すごく恥ずかしい格好になりましたね」
 貴様のせいだろうが!
「こんなこと、他の人には絶対に知られたくないですよね? 今日のように襲われないよう、これからはちゃんと警戒なさってください。ああ、言うまでもないですが、女性だけではなく男性も警戒対象ですよ。それに僕も、あなたを他人に見せたくないので……あなたの恥ずかしいところは、僕だけが知っていればいい」
 この台詞を俺と違って酔っているのではなく素面で言っているのだからすごい。
 心配せずとも俺を襲おうなんつう酔狂は滅多にいないし、ましてそんな酔狂な人間の中でわざわざ同性を襲う男なんて、それはもう現代におけるドードー鳥と同レベルでレアだろうよ。
 まあそんなもの関係なしに、こんな情けない秘密を持ってしまった下半身を絶対に絶対に誰にも知られるわけにはいかないのは確かなので、絶対に絶対に絶対に気をつけなければ。
 つうか自分の恥ずかしいところなんてお前にだって見せたくねえ。
 一糸纏わぬどころか毛すら剃られて全部丸見えのこの姿ではまるで迫力などないだろうが、努めて低い声を出した。
「……気が済んだか。もういいだろ」
 終わったんなら出てけ、俺はシャワー浴びて寝るから。
 すると古泉は鳩がポップコーンを撒かれたような顔で答えた。
「え、何言ってるんです、これからじゃないですか」
 俺の顔は鳩が機関銃の一斉掃射を食らったようになっているに違いない。
 これからって、お前はこれだけしておいてまだ何かすると? さてはお前鬼畜だろう。そうじゃないかとは思ってたけどな。
 逃げたくて腰を引こうとしたところで、すでに壁にもたれていた背中はこれ以上後ろに下がることは不可能だ。
 古泉が背をかがめ、半勃ちのそこに吐息がかかる。微かな刺激に腰をねじりたくなるのを抑えたが、古泉の目は誤魔化しきれなかった。
「だってほら、触って欲しそうですよ」
「……っ!」
 びくん、と震えた俺をちろりと見やって、そこからぐんと伸び上がってのしかかる勢いで身体の距離を狭め、顔を覗き込んでくる。
 息をひとつ吐く間に、指先が軽くへその下辺りに触れた。さっきよりももっと、明らかな性的意図を持って。
「僕も……触りたい」
「っ、こ、いずみ」
「ねえ、触らせてください」
 すっと指が下へ降りる。肌に触れる指の腹の面積が増え、思わず反らした首筋に唇の感触があった。
 口付けられ、時々不意打ちのように舐められる。そうして、古泉の息がびっくりするくらい荒く熱いことに気がついた。興奮している。
「あ、」
「……あなたがレポートにかかりきりだった間、禁欲生活に協力してずっと我慢していたんですからね。溜まっているのは、お互い様なんですよ」


 完璧に獣の本性を明らかにした感じの息遣いに、こちらまで煽られる。
 古泉は手のひら全体で感触を確かめるように剃ったばかりの肌を撫でていたかと思うと、おもむろに指先を滑らせた。
 指が触れた部分から肌が粟立つような、それでいて焼けるような、どちらともつかない不思議な温度がともる。
 ってちょっと待て、このまま風呂場ですんのか!? 部屋戻ろうぜ。それでベッドに入ったらちゃんと電気も消してくれ。な!
「ここでいいでしょう? 大きな鏡もありますし」
 あるからなんだってんだ。よくない、ちっともよくない。電気はビカビカ明るいし全然よくない。
 確信めいた嫌な予感に顔を上げ、まず古泉の顔を見、それから横を向いて壁に取り付けられている鏡を見ると、潤んだ目をした自分とばっちり目があった。我ながらなんつう表情してやがる。もう一度視線を古泉に戻せば、にこりと笑いかけられた。
 なるほど、今夜はとことん羞恥プレイってわけだね。
 はっはっは、冗談じゃねえや。
「ええ、冗談ではありませんよ。本気ですから」
 その言葉が正しいことを証明するかのような強い瞳で射抜かれたと同時に、指が性器を撫でた。
「んっ!」
 親指以外の四本の指が絡み、軽く握られる。
 近づいた唇が頬を掠めてから顔の横、耳元へと移った。
「ね……?」
 湯気よりも湿ってるんじゃないかと思う熱っぽい声が耳を擽って、
「ひ、」
 ぞくりとした。ぞくぞく、と波のように背筋を伝い、辿り着いた身体の奥底から熱が湧き上がる。
 恥ずかしいという思いは消えていないが、それ以上に触れて欲しい、触れたいという欲求の声のほうが大きくて、ずっと燻ぶっていたものに本格的に火がついた感覚。
 あーちくしょう。若い男ってのは本当に即物的な生き物なんだ。
 俺だって好きでもない女に勝手に触られるんじゃなく、お前がいいに決まってる。観念するしかないか。
 だったらどうせなら、と手を伸ばして古泉の服を掴んだ。
「俺も触る……から、脱げ」
 開き直ったとたん、欲望がはっきりと形をとり、もう古泉に触りたくてたまらなくなってきていた。俺ってわかりやすいな。
 掴んだままの手をくい、と引く。お互いが触れ合うためにこんな布なんか邪魔なだけだ。
 だいたいなあ、こちとら素っ裸なうえに下の毛まで剃られてまるっと露出させられているというのに、お前だけいつまでもきっちり服なんか着てるんじゃねえよ。
 古泉は俺がその気になったことにふわりと嬉しそうに笑ったと思うと、その一瞬後には笑みをもう壮絶にいやらしいものに変え、
「ああ、すみません。無粋でした」
 そう言って服の裾に手をかけた。
 あ、それ後でちゃんと洗濯のかごに入れとけよ、洗うから。
 生活臭漂うようなことを考えて少し興奮を治めようと思ったが、期待に打ち震える身体はそんなことじゃ治まるはずがなかった。
 はやくはやくと動悸まで俺を急かすようだ。
「せっかちめ」
 自分に向けて小さく呟いたつもりの言葉だったが、どうやらもう一人のせっかちにも聞こえていたらしく、古泉は苦笑しながら上を脱ぎ捨てた。
 均整のとれた上半身が露わになり、俺は己が男の半裸で喉を鳴らすような変態になっちまったことを嘆きながらも、手伝ってやろうとベルトに手をかける。はやくはやく。
 古泉が俺の頭を撫でながら、水を吸ってしまった靴下を脱ぐ。
「ん……どうしたんです? 急に積極的になりましたね。さっきまではあまり乗り気ではなかったようなのに」
 ふん、俺ばっかが恥ずかしい格好なんて嫌だからな。いいからとっとと脱げ。
 湿っているせいで脱がせにくいズボンに苦戦しつつ、俺は挑戦的な上目遣いで古泉を見た。