β−9
「どうでしょう。ボードゲームのあても尽きてきたことですし、たまには身体を動かしてみませんか」
僕はそう言って彼を誘った。
涼宮さんに部室の留守番を仰せつかった身ではあるが、実のところ、入団希望者が来ることはないという確信に近い思いがあった。
なぜならば、ほかならぬ彼女自身が、最初から入団希望者を望んでいないからだ。
一年間近くにいて、彼女の成長とも言うべき感情の変化が、僕には手に取るようにわかった。
涼宮さんは今のSOS団をとても愛している。そう、僕と同じように。
最初はただ涼宮さんに対してそれぞれに思惑がある各組織のエージェントの寄せ集めにすぎず、かろうじて「彼」を仲立ちとして繋がっていたような僕らだったが、今や所属組織へのそれよりも比重の大きな仲間意識が芽生え、SOS団がかけがえのない大事な存在になっていた。
この五人のバランスを崩すような新しい人間を、現状、涼宮さんは恐れている。
イレギュラーである佐々木さんの出現は、まさにそんな涼宮さんを揺さぶるものとなった。
そんなところにさらに「新しい不安要素」に成り得るかもしれない「新入団員」などを追加したがるはずがない。
だから僕には、部室を空けることに対してのためらいなどなかったのである。
「いいだろう」
ライバルの挑戦を受けて立つような不敵な笑みの彼の了承も得られたところで、僕たちはグラブとテニスボールを持って部室を出た。
――――僕たちは、春休みに恋人になったばかりだった。
僕は彼にたくさんの嘘をついている。明かしていないことはさらにある。
それでも彼は、僕を受け入れてくれた。そんな僕でもいいと言ってくれて、好きになってくれた。
なんて懐の広い人だろうと思う。無条件の信頼を得られているとまでは流石に自惚れないが、十分な立ち位置を許されている。許容されていると感じる。
彼の隣は、いごこちがいい。休日のソファの上みたいな人だ。
彼はよく僕に「顔が近い」と言うが、彼の場合は人に対する心の距離が近い。ただしずけずけ踏み込んでくるというわけではなく、触れて欲しいと思うところに触れてくれて、しっかりと向き合ってくれる。
絶妙なのだ。
だから魅力的で、好きになる。ならずにいられなかった。いつの間にか、恋に落ちていた。
他に誰もいない中庭で二人きりの時間、こんな単調なキャッチボールも、とても楽しい。
ボールを受け取った彼がふと何かを思い出したように口を開いた。
「古泉」
「何でしょう」
「いや……」
躊躇って口ごもり、結局、
「なんでもねえ」
と終わらせてしまった。
彼が佐々木さん、藤原と名乗る未来人の青年、周防九曜という天蓋領域……そして橘京子と接触した旨の報告は受けている。
機関の対立組織のエージェントである橘京子、彼女は、ようやく我々と同じ舞台に上がれると思いこんではりきっているようだ。
まったく、余計なことをしてくれる。
彼には明かしていない僕の立ち位置。
ミスリードを誘うような言動をさんざんしてきた結果、優しい彼は僕の境遇に(言葉にはせずとも)同情してくれた。
かつてこぼした「あなたの同情を惹きたいだけなのかも」という言葉は僕の本音だったわけだ。
最初に打ち明けなかったのは、自分を末端だと思わせていた方が都合がよかったから。
長門さんや朝比奈さんは、今でこそ他に代えのきかない特別な存在になりはしたが、SOS団結成前はそれこそ本当に末端に過ぎなかった。
加えて彼女たちは内実はどうあれどちらも可憐な女性の容姿である。
そんな二人からのカミングアウトを受けた後で、男である、しかもどうやら彼に敵意すら向けられかねない属性を持ってしまっている僕が、機関の代表だと名乗った上で彼に協力を求めたなら、おそらく彼は三人のうちで誰よりも僕を警戒しただろう。
どうも彼は弱者を放っておけない傾向があるから、彼が長門さんや朝比奈さんに肩入れすることでパワーバランスは一気に崩れ、機関はアドバンテージを失う。
そうなるよりは、弱みを見せることで彼の同情を得たほうがいい。
頭がおかしくなったのかと思ったとか、自殺も考えたことがあるだとか、言わなくてもいいショッキングな言葉をわざと用いて、可哀想な自分の背景を彼に匂わせた。
僕は自分の意志とは裏腹に幼くして突然「神」のごとき涼宮さんに選ばれて、組織に所属せざるを得なかった、立場の弱い超能力者であると彼に思い込ませるためだ。
そう、最初はそんな打算的な理由だったのだ、でも今は。
好きな人が自分を思って心配してくれるのを嬉しく感じない男がいるだろうか?
「よっ、」
彼が投げたボールを受け止める。
手の中でパン、と小気味いい音がした。
キャッチボールをしながら、グノーシス主義の話と、機関、そして橘京子の一派の話をほとんど一方的に繰り広げ、また、彼の本気ではない呟きのような言葉を引き取る。
例の二人きりの閉鎖空間のときだって、改変された世界でだって、彼はいつだって正解に向かって走っていける人で、僕はそれがとても羨ましい。
そしてきっと今回だって、彼は正しい答えを導き出すのだろう。
飽きるほどにボールを投げ合い、おおよそ満足したところで、僕たちは中庭を後にした。
スローペースのキャッチボールではあったが、それなりにいい運動にはなったんじゃないだろうか。
思っていた通り、部室には入団希望の新入生など一人も来ておらず、僕と彼は顔を見合わせてから野球道具を片付けた。
彼が何か物言いたげな目で僕を見ているので、追求したいことが色々あるのだろうなと「何か?」と笑って促すと、彼は視線を逸らして言いづらそうに、予想外のことを口にした。
「いやその、初めはお前が妙に意味深な声で身体を動かすとかいいだすから、俺はてっきり……」
ははあ。
「てっきり?」
にこりと笑って先を催促する。
彼は苦いものを食べたように口をぎゅうっと結び、顔を赤くして僕を睨んだ。
「……わかってて訊いてるだろ」
「さて、僕には何のことだかわかりませんね。教えていただきたいものです」
「くそ、たち悪いぞお前……」
「僕の性質なんて、それこそわかっていらっしゃるでしょう?」
悔しそうに睨んでくる表情がたまらなくかわいくて笑みがこぼれてしまい、彼がますます眉をしかめる。
その顎を取って上向けた。くすくす笑い、
「では、ご期待にこたえましょうか」
「っ、別に期待はしとらん! つか、やっぱわかってんじゃねえか!」
抗議の終わったタイミングを見計らって唇を塞ぐ。
文句を言いつつも彼はすぐに大人しくなってキスを受け入れた。
「ん……」
春休みに付き合い始めてから、何度かキスをした。セックスも二度したが、僕はいたって紳士的だったと自分で思う。なんというか、恋愛事に対してあまり積極的なようには見えない彼を怯えさせないように怖がらせないように、鞭を隠して甘い砂糖菓子だけを与えた。
優しいだけ、気持ちの良いことだけ。
絶対に乱暴には扱わなかったし、ギラギラしたオスの側面を仮面の下に隠して、彼の瞳に僕の欲望が映り込むことのないように、細心の注意を払って彼に触れた。
猫をかぶるのが得意で良かったと思った。
こちらが食べたい食べたいと思っていることを悟られては、きっと逃げられてしまう。
行為の最中、貪りたくなる衝動を何度必死で抑え込んだことか。
だが今日は、理性の箍を外してしまっても構わないんじゃないだろうか。折しも、彼の中の僕の像は揺らいでいるようだし、さあ人畜無害な古泉一樹の皮を脱ぎ捨ててしまえ。
彼の身体をテーブルに押し付ける。
「……部室だぞ、ここ」
「ええ部室ですね。しかもいつ入団希望の下級生が訪れるともわかりません。ですので、声は控えめにお願いします」
「……っ」
わざと意地悪く、わざと逃げ道を塞いで、わざと追い詰めるように。捕まえた。
彼の喉がごくりと上下する、そこに噛みついてしまいたい。
どこか不安げに揺れる焦げ茶色の目の中に、僕はどう映っていることか。
彼のネクタイに指をかけて、完全に解いてしまう。首筋を舐めようとすると彼が嫌がった。
「あ、汗臭いだろ」
「気にしません。むしろ興奮します」
二度のセックスはどちらともシャワーを浴びてから事に及んだし、彼が照明を暗くしろと言えば要求に応じた。
僕らはキャッチボールをしたばかりで汗をかいており、室内は電気が点いていて明るい。
これまで彼が嫌がればやめてあげていた寛容な僕は、この部室にはいないのだと、彼は気づくべきだ。
再びキスをして、何度か角度を変えて深く差し込む。
指先でボタンを外し、前を開けて手を滑り込ませた。
「んっ」
鼻にかかった声が漏れる。
「っは、」
唇を離し、力の抜けている彼が息を吸ったのを見計らって胸の尖りを指で転がすように押し潰すと、開いた口からたまらない嬌声が聴ける。
僕はゆっくりと彼の上に覆いかぶさった。
「こういう僕は駄目ですか?」
自覚した上で卑怯な言い方をした。
そうだ僕は、彼に僕を受け入れて欲しい。許されたい。そして、選ばれたい。嘘をついている僕、隠し事をしている僕、それごと全部。
冬のあの事件を起こした長門さんも、似たような気持ちだったんじゃないかと思う。
すがる人間を(宇宙人だって未来人だって超能力者だって)見捨てたり突き放したりすることのできない優しい彼は、脅迫のような僕の言葉に、自分の恥ずかしさを殺して僕の欲しい答えを返してくれる。
彼に好きだと言われたい。今の自分そのままでいいのだと、言って。
「……め、じゃない」
「続きをしては駄目ですか?」
「だめじゃ、ない……っ」
羞恥に耐え絞り出すように言った彼に、僕の本性はとうとう牙を剥いて襲いかかった。吸血鬼のように歯を立てたいのを寸前でこらえて、首筋に舌を押し当てた。
「……しょっぱい」
「……!」
彼の耳が羞恥でさあっと赤く染まる。
「だ、だから、嫌だって……!」
若干涙声にすらなっている彼に、僕の欲情を知らしめるように下半身を押し付ける。
息を呑んだ彼の首筋を、わざとらしく時間をかけてべろりと舐めあげた。
いつもだったら彼が嫌がるような真似はしない。
だが優しくない古泉一樹は、たとえ彼が泣いたとしても、一層煽られてもっと泣き顔が見てみたいなどと考えてしまう男だ。
「……かわいい」
「はっ……!?」
彼は自分が人からかわいいと思われることがあるなど考えたこともないようで、いつだって自然体で無防備で健全だ。それゆえに危うい。
自分は平凡だと信じ切っていて、男の劣情を煽るなんて思いもよらないらしい。
つけ込んでいる僕が言うのもなんだが、もう少し危機感を持ったほうがいいと思う。
「こ、こいずみ……?」
いつもと様子の違う僕に戸惑ってはいるようだが、止めさせようという気まではないようだ。遠慮なく最後までやらせてもらおう。
「好きです」
彼に伝えられる数少ない真実を差し出して、口づけながらボタンを探る。
と、自分のものではない手とぶつかった。
驚いたことに彼は自主的に脱ごうとしてくれていたらしい。
二人で協力してあっという間に前を開けてしまって、続いてベルトに手をかけたところで、
「……お前は脱がんのか」
はぁ、とやや乱れた呼吸で言われ、そういえば過去の二度ともほとんど脱がないままで行為に及んでいたことを思い出す。
だって僕は彼を余すところなく見たいけれど、彼の本来の好みは朝比奈さんのような豊満な女性のはずだし(まあ僕だって生来の嗜好はノーマルだったので、彼でなければ男の裸なんて見ても全く楽しくはない)、どう見ても男である僕の身体なんて見たら興ざめするかもしれない。それなら、なるべく視界に映らないほうがいいんじゃないか。
そう正直に述べると、彼は呆れたような顔をした。
「お前さ、そういう卑屈な考え捨てろよな。そんなん、俺だって……お前と同じなんだよ」
「え……?」
「俺も……もっと、お前に触りたいと思ったりとかだな……つか、俺がなんでお前と付き合ってると思ってんだ」
がっ、と胸倉を掴まれて、彼はそのまま引き寄せた僕の胸のあたりに顔をうずめて表情を隠してしまう。
「好き、だからに決まってんだろバカ! 好きでもねえやつとこんなことするか。好きなやつの身体を見たいって思うのは普通だろ……」
「っ」
僕はぶわっとこみあげたその衝動のままに彼の身体に腕を回して、思い切り彼を抱きしめた。胸がぎゅうっと、どうしようもなく苦しくなる。
ああもう、ああもう、ああもう! どうしてそんなにかわいいんですか。
「……わかったか」
「はい、わかりました。もっと自信を持つことにします」
若干苦しそうな彼の声に、でも腕を緩めてあげられない。強く抱きしめてもまだ足りない。甘酸っぱいもどかしさ。なのにとても幸せな気持ちなのだ。
「どうぞお好きなように脱がせて下さい?」
アホ、と毒づいた彼は、僕の首元のボタンに噛みついた。
「自信を持つってより調子に乗ってんじゃねえか。つうか、脱がすも何も、とりあえず離してもらえんことには腕が使えないんだが」
「うーん、どうしましょう、離したくないんですよねえ」
ずっとこのまま触れ合っていたい。くっついて、体温や鼓動を実感していたい。
でもそれでは他のことはなにもできなくなってしまうし、彼を抱きたい僕としてそれは困る。
「……名残惜しいですが、少しの間我慢することにします」
「おう、偉い偉い」
子どもにするように(彼の場合は妹さんにするように、か?)頭をよしよしと撫でられた。
……余裕だな、でも、そんな余裕なんてすぐに奪いますから。
「ん、」
ぴく、と彼の身体がかすかに跳ねるのを、胸に押し当てた手のひらごしに感じる。女性とは違う、少しだけ肉がのった薄い胸をゆっくりと撫で、弾力を持ちだした中心を指で捉える。
彼は何か言いたげな目で僕を睨んでから、僕のシャツのボタンを上から外し始めた。
「案外負けず嫌いなところがありますよね、あなた」
「うるせえ」
おぼつかない手つきながらなんとか彼がボタンを外し終えるのを待ってあげ、僕は彼のベルトを緩めた。
制服のズボンを太ももまで下ろすと、意図を汲んだ彼が身体を持ち上げ机に腰から乗り上げるように座ったおかげで、浮いた両足からズボンを抜き取りやすくなる。
脱いだズボンは汚さないように椅子にかけておき、はだけたシャツと下着、靴下だけとなった彼は何とも扇情的な姿を僕の前に曝した。
「……どこがだ。かわいい女の子ならともかく、俺がやったって間抜けなだけだろ」
「僕はあなたが好きですから、好きな相手のこういう姿には簡単に煽られるんですよ」
先ほどの彼の言葉を使って返し、何度もキスをする。
汗をかいたばかりの肌がぺたぺたとくっつくが、どうせ今からだって汗をかくのだ。
僕が彼の胸を弄る間、彼は彼なりに反撃を試みていた。僕の腰回りをくつろげて、性器を取り出す。
「ふ……は、」
僕も彼の下着の中に手を突っ込んで、緩やかに勃ちあがりかけている彼のものを掴んだ。
引っ張り出したそれに指を絡めてゆるりと圧をかける。
彼がむっと僕を見上げて、負けるかと言わんばかりに手を動かしだした。こんなに積極的なのは珍しい。
「……っ」
「んっ……ん、あっ」
まだ慣れない彼の動きは最初は拙いものだったが、基本飲み込みのいい人なので、次第にコツが掴めてきたようだ。
先走りの体液が指先を濡らす。あつい。部室内の温度がどんどんとあがっていく気がする。
「っ、ふ、っ……んっ、」
「っく……」
「んんっ、……っ!」
一生懸命に唇を噛んで声を殺す彼は、声は控えめにお願いします、と言ったのを忠実に守ろうとしているのだろう。
先端を包み込むようにして、手のひらで精液を受け止める。僕の出したものは彼の指をすり抜けて、彼の腹や太ももに散ってしまっていた。
「は……あ、」
射精後で少しだるそうな彼が目元をほんのり赤く染め、息をするのに合わせて腹部がなめらかに上下する。
これで自覚がないのだから、本当にどうしてくれようか。めちゃくちゃにしてしまいたい。
僕は濡れた手を拭うこともせず、彼の足の間、さらに奥に触れた。彼が息を呑む。僕は小さな穴をゆっくりとなぞった。
「入れたい」
我ながら呆れるほどに欲情を隠せていない声だった。
彼はわずかの逡巡ののち、「いいからさっさとしろ」と僕の腰をぎゅっと両足で挟んだ。
精液のぬめりを借りたとはいえ、やや強引に指を侵入させる。
ローションでとろとろになるまで丁寧に慣らしたいところだが、残念ながら学び舎にそんなものを持ってきてはいないし、
「ゴムがないので……生でします、ね……?」
つけずにするのは初めてだが、彼の中を直接味わいたい、もっと彼を感じたいという欲求に従うと決めた。
今日の僕はいつもよりやや過激なので、我慢したりしないんです。
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