朝というのは、何故こうも毎日変わりばえせず眠いものなのだろうか。たまにはすっきりぱっちり目が開く爽やかな朝があってもいいと思うのだが、今朝もご多分にもれず、いつまでも布団の中から起き上がれない。だがしかし、このままぐずぐずとベッドに沈んでいては、いつあの小さな怪獣が容赦ないボディプレスを食らわせてくるともしれん。猶予はもういくらもない。新しい朝だ希望の朝だ。さあ、頑張れ俺、目を開けてここを抜け出すのだ――――。
「キョンくぅーん」
 ――――来たなッ!!
 くっ、少し遅かったっ。俺は続く衝撃を覚悟し腹筋に力を込めた。しかし予想に反し、ベッドを揺るがすどすんという強烈な重みはやってこずに、妹は小さな手で軽く俺の肩を揺さぶっただけだった。
「キョンく〜ん?」
 おお、何度言ってもノックはしないわ人に飛び乗るわ布団をはぎとるわ乱暴な起こし方ばかりしていた妹が、やっと優しい兄の起こし方を覚えたのだな。背は全く伸びる気配がないが、中身はきちんと成長しているじゃないか。
 などと妹のレベルアップを喜ばしく思っていると、
「起きないとぉ、ちゅーしちゃうよー?」
 What!?
 俺は我が耳を疑った。何だ今の、幻聴だろうか。覚醒しているつもりでいたが、俺はまだ夢の中にいるのかもしれん。ははは、道理で妹の様子がいつもと違うと思ったぜ、そうだよな、あいつが兄の身体を気遣ったソフトな起こし方ができるようになるなんて成長を一晩で遂げるなど俄かに信じ難いし、ましてやこんなこと言うはずがない。やはり夢だな。ならさっさと目覚めないと、今度こそ腹に強烈な洗礼を食らってしまうぞ。さあ起きるんだ俺。
 と、気合を入れて目を開け、夢世界からの脱出を図ったのだが。
「あっ、おはよーキョンくん!」
 しかし、目を開けて映ったのはやはり妹の姿だった。
 俺のベッドの足もとに丸まっていたシャミを腕に抱え込み、朝からにこにこと上機嫌な様子で、熱でもあるんじゃないかと思うようなセリフを吐いた。
「キョンくん今日もかっこいいー! あたし、キョンくんみたいなお兄ちゃんがいてすっごく嬉しいなー」
 らんらん、と上機嫌の妹の腕から、シャミがするりとぬけだして俺のところに寄ってくる。すりすり、と何度も俺の肩口に自分の身体をこすりつけ、慕わしげににゃーと鳴いた。
「わー、シャミもキョンくん大好きだにゃあー」
 そう言って妹はシャミを抱きあげ、出ていった。
 ……一体何がどうなってやがる。


 母親は「今日のお弁当はお兄ちゃんの好きなもの入れたからね」と弁当箱を手渡ししてくれ、シャミは俺がでかけるギリギリまで「ニャー」と足首に身体をすりよせ、妹は「途中まで一緒にいこー?」と俺の制服の袖を引いた。そして、おかしいのは家族だけに留まらなかった。
「……」
 見られている。
 苦行のハイキングコースをただいつもと同じように歩いているだけなのだが、道のそこかしこから視線を感じる。しかも俺の人生においておよそ縁のなかった類の熱視線だ。
 主に北高の制服を着た女子たち、クラスメイト非クラスメイトかかわらず、から、ピンク色のハートがぴしぱし投げつけられている気がする。
 ……なんなんだ、俺の顔は一夜にして古泉にでもなっちまったのか? 洗面所で顔を洗ったときには、確かに十六年つきあってきた俺の顔だったはずなんだがな。
 念のため道の端に停めてあった車の窓ガラスに姿を映してみるが、そこに映ったのはやはり女子に人気のにやけハンサムではなく、眠そうな目をしょぼつかせた冴えない俺だった。とりたてて不細工ではないが道行く人の目を奪うほど美しくもない、ありふれた普通の造形をしている。
 とすればこの異常事態はやはり、あいつのせいなんだろう。
「んっ?」
 カタ、と靴箱を開けると、中に手紙が入っていた。それ自体は今までにも何度かあったことなのでさして驚くことではないが、一度に三通も入っているのは珍しい。まさか未来・宇宙・超能力陣営が揃ってメッセージを寄こしてきたのではなかろうな。俺の靴箱はポストじゃねえっての、まったく。
 手紙を回収し、上履きを履き、靴を靴箱の中に突っ込んで、教室に向かう道すがら手紙をひっくり返し、差し出し人を確認する。なんと三通とも無記名だった。おいおい、放課後教室に呼び出されて殺されかかるのは勘弁だぞ。
 中を見てみるか、と封を開け――――なになに、突然こんな手紙を出しちゃってごめんなさい、でももう見ているだけでいるのが我慢できなくなったんです。実はわたし、ずっと、あなたのことが――――……なんだこれは、何かの罠か?
「よぉーう、キョン! はよっす」
「うおっ」
 後ろから登場した谷口に、馴れ馴れしく肩を抱かれた。しまった、俺の手には手紙が握られたままだ。
「んっ、お前こりゃ……ラブレターじゃねえか!」
 年中発情期のお前からしたらそう見えるかもしれんが、これは俺の命を狙うどこかの過激派勢力の呼びだし状か、お茶目な朝比奈さん(大)が「うふっ、ちょっとそれっぽく書いてみちゃったの、どう、どきどきした?」なんていう呼びだし状か、古泉の差し金による悪趣味な呼びだし状か、長門……はこんなことしねえな。とにかくそういったものの可能性が高い。従って喜ぶのは早計というものである。
「くぅーっ、さっすが俺の親友、心の友! モテるよなあ。いやあ、俺も鼻が高いぜ」
 谷口お前……悪いもんでも拾い食いしたのか。
 そのときの俺が谷口を見る目は、この上なく冷たい同情心に満ちていたに違いない。モテる友人を持つと鼻が高くなるというなら、古泉と四六時中行動を共にしている俺の鼻は今ごろピノキオの如く伸びているだろう。
「なんだよ、リアクションが薄いなーキョン。そりゃあお前にとっちゃ、ラブレターなんざ毎日山ほどもらうもんかもしれねえけどさ」
「……」
 思わず無言にもなるっつー。
 どうやらこれは本物のラブレターである可能性が出てきたが、じゃあなぜ俺がいきなりラブレターなんぞを貰うのだ。本当に自慢じゃないが、俺はラブレターを貰ったことなどこれまで一度もない。毎日山ほどもらうって、そりゃどこの都市伝説だ。いや、もしかしたらSOS団の他の連中の靴箱には毎日のように舞い込んでるのかもしらんが――――少なくとも俺のとこにはこない。


 さて、どうしたものだろう、この異常事態。ハルヒのやつは一体何を考えてやがるんだ? とにもかくにも現状を把握しなければ始まらんが、長門に訊くしかないか。
 しかし部室に行こうにも、
「おいキョン、そろそろ教室入んねえとチャイム鳴っちまうぜ」
 これじゃあ長門に会えるのは昼休みになりそうだ。
 読みかけの手紙を鞄にしまいこみ、教室に入る。ハルヒは、と教室のすみっこの席を見たがいやしねえ。鞄はあるから、またチャイムギリギリまで校舎を駆け回って不思議を探しているんだろう。
 おーい、今まさにここでありえない不思議が起こっていますよー。
「やあキョン、おはよう。谷口も一緒かい?」
「……国木田」
「まーなっ、俺ら親友だから朝も会っちまうわけよ」
 はておかしいな、俺の記憶では俺とお前は知り合い以上友人未満くらいの関係だったはずなんだが。
 谷口は俺の肩に腕を回し、どや顔で国木田に親指を立ててみせたが、国木田は少し微笑んだだけだった。
「僕の方が君よりキョンとの付き合いが長いよ。キョンの親友というなら、谷口、君じゃなく僕の方じゃないかな」
 国木田よ、お前そういうキャラじゃなかっただろ。