私は某大手旅行会社の地元支店に短大卒で入社した。
その年の新入社員は全部で8名。営業の男子社員3名と、店頭営業の女性社員3人、事務員2人。
私は事務所で経理を担当している。
それから6年、あの頃一緒に入社した5人の女性社員のうち、独身で残っているのは、
私、細河 亜里沙(ほそかわ ありさ)と親友の如月 陽歌(きさらぎ はるか)の二人だけになってしまった。
私も気付いたら26才。2階の事務所で毎日パソコンとデートしながら、数字とにらめっこの日々。今ではそれなりに責任のある仕事を任されるようにもなってきた。
陽歌は大卒で私より二つ年上の28才。1階の店頭でサブチーフを任されている。
二人とも現在恋人はナシ。
陽歌は余り多くを語ろうとしないけれど、想いを寄せている人がいる。
だけど、それは決して叶わない恋だと言っても良いだろう。
彼女は、毎夜夢に現れる男性に恋をしているのだから…。
だけど私も叶わない恋をしているのだから、人の事は言えない。
忘れることも諦めることもできず足掻いている所なんて、私達はソックリだと思う。
だから親友でいるのかもしれないと、ちょっとだけ複雑な心境で思ったりもする。
決して叶わないと分かっていても、どうしても忘れられない。
決して恋愛対象としては見られないと知っていても、それでも傍にいたい。
それがたとえ、親友という形であっても…。
「彼氏のいる女の子って綺麗だよな。俺、恋をしているあの目が好きなんだよな」
その男、梶 拓巳(かじ たくみ)は新入社員歓迎会の席でそう言った。
180cm以上はある長身。すらりと伸びた手足はとても長く、彫りの深いハッキリとした二重がエキゾチックな印象的だ。自信家らしく薄い唇に笑みを浮かべ話す様は女性社員を魅了するには十分だった。
「梶君モテるじゃない。梶君を見てくれている女の子なんてたくさんいるんじゃないの?」
「俺さあ、一途な女ってウザイんだよね。最初は良いんだけど、段々気持ちが重くなってくる。他の女を見るなとか、飲みに行くなとか、自分だけを見ろとか…。そうされるとどんどん気持ちって冷めていくだろう? でも女はむしろ逆でしつこく食い下がってくる。付き合い始めた頃の初々しさなんてどこへやら…って、萎えるぜ?」
拓巳はうんざりと吐き捨てるように言った。
「それより、彼氏のいる女の子と遊んでいるほうが気楽でいいんだ。向こうも火遊びだし、相手も俺が本気じゃないって割り切っているから後腐れが無いだろ。なんのかんのって、時々俺みたいのと遊んでも、やっぱり彼氏が一番って娘が楽なんだよなぁ」
誠実さの欠片もない彼の台詞がとてもショックだった。
私は入社試験の会場で彼と初めて話した時から惹かれていたから。
「梶君は、本気で誰かを好きになったことないの? あなたは良くても浮気された人の気持ちはどうなるの? 彼女を信じている人を平気で傷つけるなんてサイテーじゃない?」
私の横に座っていた陽歌が突然梶君に冷たく言い放った。
「女に浮気させるような男も悪いだろ? 大体、女が浮気に走るって事は、恋人の変化に気付かないくらい興味が無い男か、満足のいくセックスをしてやっていないかだ」
「何よそれ。責任転換して自分は悪くないって言うつもり?サイテー」
「責任転換じゃないよ。女は欲望に忠実だって事だよ」
「そういう女性をバカにした態度って私大嫌い。ねぇ?亜里沙」
「ねぇ」って、私に同意を求めますか?
んーと、それって私に仄かな恋心を抱いている人と敵対しろってこと? それはキツイよ、陽歌。
「……陽歌ったら…。言い方キツイわよ。梶君はまだ本気になれる相手に出逢っていないだけでしょ? 本気で自分から好きになる人が現れたら考え方も変わるわよ」
そう思っていたい。そして、その時に梶君が私を見てくれたらいいのに…。
そう思っていたのに…。
「ふう…ん。おまえ、良い目してるな。如月 陽歌か。お前のその目、好きだな。その感じなら恋人は居るんだろうけど、気に入ったぜ」
――― ソノメ、スキダナ ―――
ズキンと胸がえぐられるような痛みが走る。
足から力が抜け、立っていることが出来なくなりそうだった。
「なによ、それ、人の目がどうしたって言うの? 恋人なんかいなくたって、このくらいの瞳の力は持ってる人間はたくさんいるのよ。そんな理由でちょっかい出してもらってちゃ、迷惑だわ」
まさか梶君は陽歌の事を本気で…?
ううん、またいつもの軽い挨拶で言ってるんだよね。
「へえ、本当に付き合ってる奴いないのか? それなのにそんな目をしているなんて…」
「…っ!何よ、変なこと言って。一体どんな目をしてるって言うのよ」
「ん? 恋している目。強い意志を秘めて誰かを想う事のできる瞳だよ」
「別に…誰も想ってる人なんて…」
「ふうん、男がいなくてもそんな瞳が出来るのなら、尚更良いんじゃないか? なぁ、俺と付き合おうぜ」
「はぁっ? なっ、何言ってんの? 冗談じゃないわよ」
陽歌は声が裏返るほど驚いて抗議した。
さすがに私もこれには驚いて助け舟を出した。
「梶君ったら何言ってるの? さっき一途な女がウザイって言ったばかりの癖に。陽歌をからかわないでよ。冗談ばっかり言って本気になることを恐れていたら、本当に欲しいものが出来たとき受け止めてもらえないよ?」
陽歌を助けるように強気で言ってみたけれど、内心は凄く動揺していて、少し声が震えたのを気付かれませんようにと必死に祈っていた。
「別にからかってる訳じゃないけどさ。陽歌に興味が湧いてきたんだよ。付き合うって言っても、今すぐって訳じゃねえ。ただちょっと本気になってみるのも良いかなって思ったんだよ。陽歌のその瞳が俺を見てくれるならな」
胸に痛い言葉だった。
彼が本気になっても良いと思ったのは、私ではなく私の親友。
それでも、やっぱり彼が好きで、ずっと忘れる事が出来なかった。
その日を切っ掛けに、私と拓巳の距離は急激に近くなった。
陽歌の事で色々相談を持ち掛けるようになったという、私にとってとても辛い理由からだったけれど、それでも彼と過ごすことが出来るだけで嬉しかったし、彼が私を特別な友人として扱ってくれることが幸せだった。
傍にいられるならそれでいい。
そんな邪な私の本心を知らない彼にとって、私は誰よりも近い存在となっていった。
『恋人』ではなく『一番の親友』として。
あれから6年も経つ。
相変わらず拓巳は陽歌に「付き合おう」と言い続け、陽歌は「いやだ」と断り続けている。
最初の頃は二人も噂になったけれど、今では「あれが二人の挨拶だ」と思われているようで、誰も二人の仲を取り持とうと考える者もいなくなった。
たったひとり、私以外は…
「だ〜〜〜〜っ!亜里沙。また断られたよ。くっそ〜。あいつ、いつまであんなことに拘ってるつもりだ?」
「しょうがないじゃない。きっと、拓巳よりその彼が素敵なのよ。それに、随分長い付き合いみたいだしね」
「亜里沙。その言い方やめろよ。陽歌とその男が付き合ってるみたいじゃねぇかよ。」
「だって、毎日のように会いに来るみたいだし」
「いや、会いに来てんじゃねえって」
「昨日も見たって言ってたよ」
「…ったくよお。何で俺が実在してもいない男に負けるんだ? かれこれ6年だろ? いい加減に俺にしておけばいいんだよ」
「拓巳、凄く自分を安売りしてると思うけど?」
「ううっ、安売りもしたくなるよ。あいつの前じゃ自信たっぷりに俺のこと好きにさせてやるなんて言ってるけどさ、ライバルが夢に出てくる男じゃ戦いようがねえんだよ。くそ!!
なんだって陽歌は、毎晩会った事も無い男の夢なんか見るんだよ」
「そんなの、知らないわよ。陽歌も分からないって言ってるし。…でも、もしかしたら昔の記憶なのかもね。
ほら、あの子事故で両親亡くしてるでしょ? その前後の記憶がハッキリしない所があるって言ってた事があるから…
何かのきっかけで古い記憶が出てきているのかもしれないわね。本人が忘れているだけで、会ったことのある人なのかもしれないわよ」
もし私の仮説が正しければ、陽歌の毎晩見る夢は過去の記憶に纏わるものじゃないかと思う。
それにしてはおかしな点はいくつかあるけど、夢の男性に恋したのなら、多少の希望的脚色があってもおかしくはない。
詳しいことは話したがらないけれど、キスしたりとかそれ以上を求め合ったりと…どうもそのようなこともあるらしい。
陽歌は彼がこの世界のどこかに存在していると信じている。
いつも夢に見る丘の風景の話を何度も聞いて、私もその存在を信じたくなっている部分もあったりして…。
ねえ、陽歌?
もしも、あの風景が見つかって、そこにあなたの恋する彼が本当に存在したとき、あなたはどうする?
恋に恋をしている自分に気付いて、拓巳を見てくれるのかな?
それとも、初対面のあなたを恋愛対象どころか無視するかもしれないのに、やっぱり夢の彼に思いを告げるのかな?
「過去の記憶か。言われればそうかもしれない。何だか亜里沙って精神科医みたいだな?」
「ええ、私が? なっ、何、突然意外なことを言うからびっくりするじゃない」
「今の陽歌の事だってそうだけど、相手のこと良く見ているよな。口には出さなくてもいつも気遣っているのも分かるし、誰よりも人の気持ちに敏感だよおまえは…」
ドキ……
拓巳の言葉に胸がざわめいた。
「亜里沙は俺の泣き所だよ、癒されるって言うか話し聞いてもらえるだけでほっとするって言うか。
ありがとうな、おまえがこの6年いろいろ話を聞いてくれたり相談に乗ってくれたから、俺は救われてるのかもしれないよ。
何度も陽歌に振られて、途中他の女と遊んだろ? あの時も、おまえがいつも軌道修正してくれた。
ぐらつく心を真っ直ぐに陽歌に向けて、胸を張って歩けるように力をくれた。おまえには本当に感謝しているんだ。
本気で誰かを好きになるなんて思っても見なかった俺が、ここまで真剣になったんだ。絶対に陽歌を手に入れるさ」
「そうだね。がんばって…」
「俺、あの時お前に言われた台詞一生忘れないだろうな」
「……何か言ったっけ?」
「ほら、『本気になることを恐れていたら、本当に欲しいものが出来たとき受け止めてもらえない』ってやつ…。俺、あの言葉でハッとしたんだよ。あれから陽歌には本音でぶつかることにしたし、少しくらい振られても諦めない事にしたんだ」
「そっか…。拓巳が振られても振られても、不屈の精神で陽歌に向かっていけるのは私のおかげだったってことね。私でお役に立てればウレシイですわ。拓巳サン♪」
茶化すように言ってふざけあうこの時間がとても嬉しい。
ただの同僚でもなく恋人でもない、親友という拓巳の中の特別な場所。
そこに私が住んでいるということが、とても幸せだと思う。
恋愛対象になれないなら、せめて心の支えになる友達でいたい。
ずっとずっと、この関係が続いて欲しい。
「お前もさ、いい加減彼氏作れば?」
ギクリ…
私の想いに気付かれたような気がしてドキドキした。
「いっ、いるよ。好きな人くらい。知らなかったっけ?」
……付き合ってはいないけどね
「マジで? 初耳だな。どんなヤツ?」
……突っ込んでくる訳?
「え?ん〜〜〜言いたくない。」
……あなたです。なんて言えるわけ無いじゃない
「何でだよ。長い付き合いで彼氏が出来たって初めて聞いたんだぜ? 教えろよ」
……勝手に彼氏ができた事にされてるし
「そうだなあ。奢ってくれたら考える。な〜んて…」
「よし、わかった! 今夜飯食いに行くぞ。そこでちゃんと教えろよ。よし、陽歌も誘うからな。…って、あいつその事知ってんのか?」
「はっ、陽歌?知らないよ。誰にも言ってないし、それにさっきの奢ってくれたらって言うのは冗談で、今夜はちょっと駄目だって…」
冗談で言ったはずのセリフを最後まで言い切る前に強引に約束させられた。
どう誤魔化そうかとプチパニックの私を他所に、拓巳はどんどん話しを進める。
ちょっと待ってよお?
奢ってくれたらなんて、思わず冗談で口から出た言葉なのに…。
「問答無用。絶対に話し聞き出してやる。おまえには色々と世話になりっぱなしだしな。応援してやりたいんだよ」
拓巳…その優しさは辛いよ…。
この気持ちに歯止めが利かなくなる。
あなたの幸せを願う私とは別に、あなたを求めてしまう自分がいることを思い出させないで…。
忘れるって決めたのに…
親友のままでいいから傍にいるって決めたのに…
「おまえの恋には俺が一番の協力者になってやるからな」
そう言って私の頭をガシガシと弄るように絡んできて、自然に肩を抱く拓巳。
あたりまえのように感じるこの『友達の温度』は、時にはとても心地よくて、時には血を吐くほど苦しい。
今夜私はあなたにウソをつく
「おまえには幸せになって欲しいんだ。なんたっておまえは俺の『ベストフレンド』だからな」
無邪気に笑ってそう言う拓巳に本当の心を見せないために…。
ずっと拓巳の友達でいる為に…。
切ない想いを永遠に封じるウソをつく。
拓巳、あなたが好きよ
この想いを捨ててただの『ベストフレンド』になる為に。
今夜私は人生で最大の大芝居を演じよう
「しょうがないわね。彼の話を聞きたかったらフランス料理のフルコースは覚悟してもらうからね?」
覚悟は良いわね?と流し目でちらっと見ると拓巳は渋い顔をしていた。
「ええっ?ひでぇなあ。俺の財布の中身なんてたかがしれてるだろう?
でも、まあフルコースはムリだけど亜里沙のためならフンパツしてやるか。
その代わりきっちり吐いてもらうぞ?」
――亜里沙のためなら――
親友に向けられた言葉とわかっていても、心が躍るくらい嬉しくて、胸が締め付けられるくらいに切なくて。
こんなにも自分が拓巳を好きなんだと裸の心を突きつけられたようだった。
今日でちゃんと忘れるから…。あと少しだけあなたを好きでいる事を許して。
明日からはちゃんとただの『ベストフレンド』になるから…
今夜私はウソをつく。恋心を隠す鎧となるウソを…
「あははっ、期待しているね?何を食べさせてもらおうかなあ」
私は…いつもの笑顔を作れていただろうか?
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2005/10/26
2008/11/20改稿