窓の外は満開の桜が風に煽られ花吹雪を散らしている。
亜里沙を連れ帰ってすぐに俺達は籍を入れ、二人で暮らし始めた。
季節は3月。
病室の窓から早咲きの桜が少し早い花見を楽しませてくれる美しい風景の中、春の日差しに祝福されるように俺達の息子は産声を上げた。
窓の外を彩る美しい薄桃色は椿寒桜とかいう早咲き品種らしい。この産婦人科の院長には拘りがあるらしく、生まれてくる子ども達を迎える花として、どの季節にも桜科の花が咲くように庭を彩っているのだそうだ。
桜には癒しの効果があるのだろうか。
幻想的な風景に天使の微笑を浮かべる俺達の息子を見ていると、とても幸せな気持ちになる。
母親に抱かれ無垢な瞳で微笑む純真な魂。
その場にいるだけで、誰もが癒され微笑まずにはいられなくなる。
…そう誰もが…
多分、そうなるはずなのだが…
「――ったく!もっと亜里沙を大事にしてよね。拓巳が代わって出産してみたらどうなのよ」
ムチャクチャな事を言いつつ、陽歌が俺にジロリと冷たい流し目を送ってくる。
子どもと桜のダブル癒し効果も、かなり俺にご立腹の彼女には効果は薄いらしい。
あれ以来陽歌は俺に対してやたらと手厳しくなった。
今日は、俺が添乗で出産に立ち会えなかったことに憤怒しているのだ。
もちろん怒っているのは俺限定で、俺を庇って陽歌を宥める亜里沙に対しては相変わらず優しいし、息子にいたっては一目でメロメロの状態だ。
「…まあ、亜里沙に免じて許してあげるわよ。無事に生まれたんだし。でもね…もっと亜里沙を大切にしてよね? 流産せずに無事出産を迎えられたから良かったけど、出産までも入退院を繰り返していたんだし、まだ貧血で大変なのよ。産後は拓巳がサポートしてあげないと、亜里沙が倒れちゃうじゃない」
陽歌が大きく膨らんだおなかを擦りながら溜息をついた。
彼女はあと2ヶ月で出産を迎える。
妊婦をここまで怒らせて破水でもされたらと、そっちのほうが俺としては心配だったりする。
陽歌に何かあったら、晃先生に殺されるだろうな、俺。
「でも、まさか私より先に亜里沙が出産を迎えるなんて思わなかったわね」
「色々心配掛けてごめんね。でも私だって陽歌よりも先に赤ちゃんを授かるなんて思わなかったわよ」
亜里沙が幸せそうに笑いながら、生まれたばかりの小さな命をそっと抱きしめた。
俺は二人を抱きしめるようにして亜里沙の肩を抱き、陽歌を見つめる。
多分俺もきっと幸せな顔をしていると思う。
「産後は絶対に無理しちゃダメよ。もっと拓巳をこき使ってやらなくちゃ。亜里沙は甘いんだから」
陽歌の言葉に思わずゾッとしたが、亜里沙を心から心配しているだけに何も言い返せなかった。
陽歌はいつも亜里沙の為に全力疾走するところがある。
亜里沙が見つかったと連絡をした時も、深夜にもかかわらず陽歌はワンコールで電話を取った。
開口一番、「子どもが出来たんだ」と報告した俺に、「誰の?」と訊かれた時には自分のテンションの高さに苦笑したが、陽歌は「真っ先に報告する事がそれってどうよ?」と呆れながらもとても喜んでくれた。
そして、朝一番の列車に飛び乗って【ヤマモトレディースクリニック】までくると、謝る亜里沙を泣きながら抱きしめて、「辛いときに傍にいてあげられなくてごめん」と言った。
亜里沙を探すため、陽歌も随分動いていたらしい。
彼女は俺と会った後、亜里沙のアルバムの写真を頼りに、過去に旅行した先を一人で探し回っていたのだ。
それは大学時代の友人との旅行から始まって、陽歌の夢の場所を探すために亜里沙が歩いた軌跡でもあった。
新婚早々に何日も家を空けて、晃先生を随分心配させたらしい。
「必要としてくれるときに傍にいるのが友達でしょ。それがたとえどんなに遠い所でであろうと、亜里沙の為なら飛んで行くわよ。それで離婚だなんて言うような心の狭い人と結婚した覚えは無いわ」
キッパリと言い切る陽歌に、やっぱりおまえって本物の親友だよなぁ。と、頭が下がる。
同時に、先生が心の広い人でなかったら、今頃陽歌は俺達のせいで離婚していたかもしれない。と、晃先生の包容力にも深々と頭が下がった。
俺達夫婦は一生高端家に足を向けて寝ることは出来ないかもしれない。
「赤ちゃん、男の子だったのね。名前は決まったの?」
陽歌の言葉に俺達は同時に互いの顔を見た。どちらが話すか目で会話をした後、亜里沙がコクリと頷いて口を開いた。
「うん、あのね、私たちがこうして幸せになれたのは、陽歌や山崎夫妻やたくさんの人に支えてもらったからだと思っているの。だからね…」
亜里沙がふんわりと幸せそうに微笑んだ。
その場がひと際明るくなった気がしたのは俺だけじゃないと思う。
陽歌が眩しいものを見るように亜里沙を見て微笑んだのを、俺は確かに見たのだから…。
「陽歌の名前から一字貰う事にしたの」
「ええっ!」
「陽歌の陽と山崎さんの一臣から一字貰って『陽臣』(はるおみ)って名付けたのよ」
「へぇ…陽臣くんか。いい名前じゃない。なんだか照れちゃうけどね」
「俺としては陽歌みたいになったら困るからやめとけっていったんだけどな。亜里沙がどうしてもって言うからさ」
俺の言葉に「何ですって?」と言い返してくる陽歌。おまえ妊婦だろ?胎教って言うのをもっと考えろよ。
「まあまあ、悪気は無いって。ところで陽歌はもう名前決めているのか?」
「うん、もう女の子だってわかっているから…『朱音』(あかね)って決めているの。朱の音って書くのよ」
思いがけない名前に一瞬言葉が出なかった。俺と亜里沙は多分同じ事を考えていたんだと思う。
陽歌はそれでいいんだろうか。
自分の中に眠っている自分の夫が愛したもう一人の女性の名前を、漢字は違うとはいえ自分たちの娘の名前にするなんて。
「晃さんがそう決めたのか?」
「ううん、私よ。晃さんは驚いたみたいだったけど、反対はしなかったわ」
「陽歌はそれでいいの?」
「茜さんは今も私たちみんなの幸せを願ってくれている。それを私はとても感じるの。時々語りかけられるように吹く風の中や、抱きしめられるように感じる陽射しの中にね。彼女は私の中に共に生きて共に幸せを感じてくれている。だけどね、本当はもっともっと生きて幸せになるべき人だったの」
「陽歌…」
「この子は私と晃さんと茜さんの三人の子どもなのよ。だからね、茜さんの分も生きて幸せになってもらいたいって思うの。とても心の強い、優しい女性だった茜さんの素晴らしさを受け継いでね」
陽歌は迷いを微塵にも見せない綺麗な笑顔で俺達に微笑んだ。
彼女の後ろには窓越しの満開の桜が風に煽られて、陽歌を桜色に染めている。
まるで桜の花びらに陽歌が包み込まれて護られているように見えたのは俺の錯覚だったのかもしれない。
だが…その光景に強く深い意志を感じずにはいられなかった。
陽歌は茜さんに護られている。
いや、陽歌だけじゃない。彼女の周囲の人間全てが幸せになるようにと祈りで包み込み守護されているように感じるのは決して思い過ごしでは無いのだと思う。
陽歌の中でずっと眠り続けていた茜さんの深い愛情は、陽歌に関わったすべての人にも降り注がれていたのかもしれない。
陽歌の夢に深く興味を持っていた亜里沙があの丘を見つけたことも…
それによって陽歌が晃さんと結婚した事も…
陽歌の結婚式の夜、俺達が結ばれて子どもを授かった事も…
亜里沙を追いかけて【Friend】へ行った夜に感じたあの胸騒ぎも…
全ては皆の幸せを願う彼女の想いが、運命へと導いてくれたのかもしれない。
人が出逢う理由なんて俺には解らない。
でも惹かれあう理由は解る気がする。
自分には無いものを埋めたいと魂が願うから…
二人で一対になるべく生まれてきた魂を引寄せたいと心が求めるから…
自分の命よりも愛しい存在を護りたいと思うから…
運命とか赤い糸とかそんなこと信じた事は無かったけれど
世の中は因縁とか惹かれあう糸みたいなもので、みんな結ばれているのかもしれないと最近は思うようになった。
陽臣と朱音…。
彼らの未来もそれぞれの未来で結ばれるべき誰かとすでに赤い糸は結ばれているんだろうか。
きっとこの子達も何かに導かれるように愛する人と繋がっていくのかもしれない。
「朱音かぁ…『梶 朱音』って言うのもなかなか良いかもしれないぞ。」
俺が小さく呟くと、陽歌が敏感に反応した。
「バカな事言わないで。拓巳の息子なんかに絶対に嫁にはやらないから。大体晃さんの溺愛ぶりったら大変なのよ。毎日お腹に話しかけて、生まれる前からべったりなんだから。転んだらどうするとか、誰かにぶつかって何かあったらどうするとか、本当に心配性なんだから。今日だって診療所を閉めて一緒に来そうな雰囲気だったのよ」
「うわ…。マジかよ? そんなんで生まれたらどうなるんだよ」
「今から考えるもの怖いから…考えないようにしているの」
「そっかぁ…。『梶 朱音』は無理かな」
「まだ言ってる。何だったらお婿に貰ってあげるわよ。『高端 陽臣』ってどう? こっちのほうが良いんじゃないの?」
俺と陽歌の会話を呆れて聞いていた亜里沙がたまりかねたように笑い出した。
「どっちでもいいわよ。この子達が幸せになってさえくれればね。だいたい朱音ちゃんが陽臣を好きになるかなんて解らないのに、親が勝手に暴走してどうするの?」
亜里沙の言葉にもっともだと納得して三人で一斉に笑った。
この子達の未来がどうなるかなんて判らない。
だけど、俺達がそうであったように、きっとこの子達もいつか手に入れるのだろう。
どんなにお金を積んだって、どんなに力を使ったって、決して手に入らない真実の友情を。
どんなに時が流れても、どんなに互いの環境が変わっても
いつだって互いを支え、時には励まし
道を誤りそうなときは本気で向かってきてくれる大切な友達。
ベストフレンドという名の永遠の宝物を。
+++ Fin +++
2006/02/20
2008/12/01 改稿
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最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品はホタルシリーズ【きみの瞳に映るもの】の番外編として拓巳のその後を書き綴ったものです。
途中【きみの瞳に映るもの】に纏わる内容が出てきて、良くわからないと思われた方もいらっしゃるかもしれません。複雑で申し訳ありません(滝汗)
【きみの瞳に映るもの】では最後に陽歌の幸せを願い背中を押してやった拓巳ですが、彼も幸せにしてあげたかったと言う思いが当初の予定とは違うこの作品を生みました。
【きみの瞳に映るもの】を書き始めたときは、『次の作品は亜里沙が凄く性格の悪いプレイボーイの拓巳に片想いする話しよう』と考えていたんです。
でも【きみの瞳に映るもの】でだんだん拓巳がかっこよくなっていって(*/∇\*)惚れました(オイ)で、もっと切ない大人の恋愛を書きたくなって出来たのがこの【ベストフレンド】です。
ホタルシリーズ完結後すぐに書き始めたのですが、途中スランプに陥りなかなか拓巳が動かなくて随分時間がかかってしまいました。
拍手で短編読みきり連載のつもりが、毎度の事ながら随分長い話になってしまいました(苦笑)
お楽しみいただけましたら嬉しく思います。
最後に茜についての回想が出てきて違和感を覚えた方もいらっしゃるかもしれませんが、これは次世代へのメッセージとプロローグになります。
次世代物語、朱音と陽臣の未来については…また次のお話で。
最後までお付き合いくださったことを心より感謝いたします。本当にありがとうございました。
朝美音柊花