この世の全てを呑み込む闇が広がる。
月も星も見えない夜。
こんな日はいつも以上に独りの夜が寂しくなる。
晃(あきら)は無意識に窓辺に寄り添うと自分を抱きしめるように腕を組んだ。
いつも茜(あかね)がそうしていたように、何かを語りかけるように空を見上げる。
何も映さない闇夜。
その中に唯一つ淡く輝く星が、とても寂しげに見えた。
「ねぇ、茜。夜の闇にたった一つ僕の為に光る星…。
あれは君なんだろう?
今夜の空はまるで僕がプロポーズした夜のようだね」
こうして一日の終わりに夜空を見上げ、ベッドサイドで微笑む妻に向かって語りかけるのが、いつの頃からか晃の習慣となっていた。
「君にプロポーズをしたあの夜の光景を僕は生涯忘れないよ」
瞳を閉じれば目の前には、闇夜の森に舞い踊った星屑の群れが広がる。
そして、淡い光の中で微笑んだ愛しい女性(ひと)が蘇る。
手を伸ばせば消えてしまう儚い幻。
抱きしめたくても、口づけたくても、彼女は永遠の時の中にいる。
伸ばしかけた手をグッと握り締めると、二人が出逢った運命の夜へと想いを馳せた。
あの夜の出逢いがなければ、僕はどんな人生を歩んでいただろう。
君に出逢っていなければ、誰かを本気で愛することなどあっただろうか。
いや…僕には分かる。
あの日出逢うことなく君の愛を知らずに生きていたら、本当の幸福を知ることなど永遠になかっただろう。
窓から吹き込む夜風が、甘い香りを運んでくる。
懐かしい想いが切ないほどに蘇った。
「茜…そこにいるの?」
答えが無いことを知っていても、そう問わずにはいられない。
ゆっくりと瞳を開けば、そこには永遠に18歳の笑顔で晃を見つめる花嫁がいた。
「君はいつだって僕の傍にいるんだろう?」
晃の問いに答えるようにカーテンがフワリと夜風に揺れる。
部屋に満ちる茜の香りが晃を抱きしめる。
彼女が消えるのを恐れるように、急いで窓を閉め部屋の明かりを消した。
月明かりの無い夜、部屋は闇に包まれる。
それでも彼女の香りが残る部屋は、先ほどよりずっと温かく感じた。
「茜…今夜は夢の中でもう一度君と出逢った夜を過ごそう」
永遠の恋物語が始まった運命の夜を何度でも繰り返し夢に見よう。
あの日に戻って何度でも君に恋をしよう。
たとえその先に待っている悲しい運命を知っていても…
それでも僕は君を愛することを止められないと知っているから…
君の愛を知らない永遠を生きるくらいなら
君を愛して生きる一瞬を躊躇うことなく何度でも選ぶよ―…
微笑む君の写真と語り合う長い夜を過ごすのは切なくて
苦しいほどに溢れ出る思い出が愛しくて
何度でも何度でも君と過ごした幸せな時を繰り返し『思い出』という夢の中で生き続ける。
悲しい生き方だと君は泣くだろうか。
それでも…君のいない現実の中では僕は生きてはいけないから
せめて夢の中では笑顔の君を抱きしめていたいんだ。
僕はここでずっと待っている。
いつの日か君の魂が僕の元へ還ってくる日を
それがどんなに小さな命でも…
たとえこの体が朽ち、生まれ変った後の世であっても…
必ずもう一度君をこの腕に抱きしめよう。
茜…
僕は今でも君を心から愛しているよ。
薬指に光る指輪に唇を寄せ、ゆっくりと瞳を閉じる。
夢に沈む晃を見守るように、小さな星が闇夜に瞬いた。
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