Little Kiss Magic 3 第1話



いつもの道。いつもの角を曲がると、いつもの通り君がそこにいる。

振り返って満面の笑みで僕を迎えてくれる香織。
そんな彼女が愛しくてキスを落とし、頬を染める姿を見て頬が緩みっぱなしの僕。

それが僕たちの当たり前の朝の光景。


……だけど、今朝は少しだけ様子が違っていた。

「――っ!香織」

声をかけようとした僕の目の前にいたのは真っ赤なポルシェの車体に押し付けられ逃げ場を失い途方にくれている香織の姿だった。
僕の声に振り返った瞳には大粒の真珠。
さくらんぼのような唇は噛み締められ血色を失っている。
いつもなら真っ直ぐに僕に向けられ満面の笑みを浮かべてくれるその瞳が、怒りと不安に染まっていた。

目の前でニヤニヤと挑発的な笑いを浮かべる男の顔には見覚えがある。
僕より5歳年上の従兄、瀬名紀之(せな のりゆき)だ。

「…紀之さん…香織に何をしているんです」

明らかに嫌がっている香織を自慢のポルシェに押し付け、無理矢理顔を覗き込む行為に、湧き上がる怒り。
カッと身体に火がつき体温が上昇するのとは反比例して、怒りに震える声は低く静かだった。
ツカツカと近寄ると香織を閉じ込めている腕を右手で掴んで振り払い、同時に左手で彼女を引き寄せ腕の中に収める。

「香織に触らないで下さい。あなたの毒牙にかけるわけにはいきません」

怒りに震え睨みつける僕を見て、一瞬驚いた顔をした紀之さんは、いきなり弾けたように笑い出した。

「あはははっ、おまえがそんなに怒るなんて思わなかった。本当にこの娘に本気なのか?」

「…本気なのかってどういう意味?」

「遊びだと思ってたよ。当然だろう?だってお前は…」

「遊び?冗談じゃない。あなたと一緒にしないで下さい」

「随分な口を利くんだな。お前を変えたと噂の高い彼女がどれほどのものか見に来てやったんじゃないか」

「ふざけんな!僕の彼女だってわかっててワザとやっているのかよ!何の関係も無い香織を怖がらせて…こんな事大人のすることじゃないだろう?」

プチンと切れた僕にはもう彼が年上だと言う事は頭からぶっ飛んで、普段なら絶対にない暴言を吐いていた。

「大体、噂ってなんだよ。どっからそんな…」

「廉、彼女は何も知らずにお前と付き合っているんだろう?本気ならそれは可哀想なんじゃないか?真実を告げてやるのが彼女の為ってもんだろうが」

「真実も何も…。僕は誰かの言いなりになるつもりなんてありませんよ」

「クスクス…威勢のいいことだな。だが、それも今だけだ。せいぜい恋愛ごっこを楽しむといいさ」

紀之さんはそれ以上の事は言わず、面白そうにクスクスと笑いながら車に乗り込んだ。

「廉の本気が何処までのものか…見せてもらうよ」

僕に向けられたのか、独り言なのかも判らないような小さな声でそう呟くと、車を急発進させあっという間に走り去った。
僕の腕の中で震える香織が不安げに成り行きを見つめていた。

「紀之さんに何かされた?」

「ううん…怖かったけど大丈夫」

顔を横に振った時、目じりに溢れていた涙が頬を伝って流れた。
その姿が胸に痛くて…僕は彼女をギュッと抱き締めた。

「廉君…あの人誰?真実っを告げるって…どういうこと?」

「あの人は僕の従兄だよ。紀之さんの言ったことは気にしないで。香織が心配することなんて無い。それより…唇は大丈夫?随分強く噛んでいたけど切れてない?」

噛んだ後が痛々しく残る唇を親指でなぞり、触れるだけのキスをする。

「泣かないで。大丈夫、僕が護るから…どんなことからもきっと護るから」

「…廉…くん?」

不安げに揺れる香織の瞳に、僕は言いようの無い不安を掻き立てられた。

彼女から離れてはいけない。
心がそう警笛を鳴らしていた。
明後日から始まる夏休みを父の別荘で過ごす僕は、暫くここへ帰ってくることは出来ない。
今朝のようなことが、僕のいないときに起こったら…
そう思ったら、今日まで迷って中々言い出せなかったことを、今すぐにでも実行しなくてはと思った。

「香織…明後日から夏休みだけど…僕は父の別荘で仕事を手伝っているから…当分ここへは帰って来れない」

「そうだったね。お誕生日にも会えないんだよね。…プレゼントは早いけど明日にでも渡そうかな?」

そう言うと、僕から視線を逸らし腕の中からスルリと抜け出し、少し先を歩き出す。
誤魔化したつもりでも、一瞬浮かんだ哀しげな表情を僕が見逃す筈はなかった。
君にはいつだって微笑んでいて欲しい。
その微笑が僕にとっては究極の癒しで、慣れない仕事でいっぱいいっぱいの僕を支えてくれる唯一のエネルギーなんだから。

「香織、そのことなんだけど…」

「気にしないで。…あたしなら平気よ。お仕事頑張って」

ニッコリと笑ってみせるが、むしろそれが痛々しかった。
確かにその日は僕にとって大きな仕事のある日で、僕の不在では始まらない。
17歳の誕生日は、僕にとって生涯で忘れることの出来ない日になるだろう。
でも…そんな日だからこそ、できれば香織には僕の傍で笑っていて欲しいと思っていた。
彼女さえ良かったら、一緒に過ごして欲しいと、密かにそれを切り出すタイミングを考えていた。

だが、紀之さんの出現が起爆剤となり、『できれば』とか『彼女さえ良かったら』なんて悠長な気持ちは何処かへ吹っ飛んでしまった。
今すぐに、彼女に約束をさせたいと思ったら、考えるより先に身体は動いていた。

先を歩く香織をフワリと背中から抱き締めると、そっと耳元に内緒話のように囁く。

「ここでは会えないから…休みの間、うちの別荘に暫く来ない?」

「え?」

「僕の誕生日に、今度僕が父を手伝ってオープンするホテルでパーティがあるんだ。
香織には僕の彼女として出て欲しいんだけど…ダメ?」

「え?あたしが?」

「うん。僕の誕生パーティを兼ねたお披露目みたいなものなんだけど、ホテルにも宿泊できるんだ。
オープン前に、社員教育の為に一部の関係者や身内にホテルを利用してもらうんだよ。
香織には…僕のホテルの一番最初のゲストになって欲しいと思っているんだ」

「廉君のホテルに泊まれるの?」

「うん。来てくれる? 僕の両親も香織に会いたがっていてさ、照れくさくて中々言い出せなかったけど、実は夏休みに別荘へ招待しろって、かなり前から五月蝿かったんだ」

「ご両親が?」

「二人とも君に会うのを凄く楽しみにしているよ。僕が惚れた女の子がどんな娘かってね」

「なんだか恥ずかしいよ。あたしも廉君と一緒にいられるならうれしいけど、パパやママが何て言って出て来たらいいの?1泊ならまだしも、暫くってどのくらい?」

はにかみながら僕を見上げる瞳は、まだ少し潤んでいて…。僕は魅せられるように、 柔らかな髪に唇を押し当てた。
どんな理由をつけても連れて行くつもりだが、強引に勧めると、先ほどの事もあり香織を怖がらせてしまいそうで、あくまでもソフトに話を持っていく。
こんな芸当が出来るようになったのは、香織と付き合うようになって、仕事でも少しずつ自信を持てるようになったからだ。
『お前を変えたと噂の高い彼女がどれほどのものか――』紀之さんの言葉が脳裏を過ぎった。

彼女が僕を変えたのは事実。
だけど、その噂がどんなもので、どんな風に広がっているのか…
彼女に何かある前に、早急に突き止めなくてはと思った。

「…できれば夏休みの間ずっと一緒に過ごしたいな。香織のご両親にはちゃんと挨拶に伺って、僕から話すから」

「えっ!廉君が家に挨拶にくるの?」

「もちろん。コソコソ連れ出すつもりはないよ。胸を張って堂々と君をお借りするつもりだ。…来てくれるだろう?」

泊まりに誘うにしてもこういうパターンは世の中の高校生カップルにしては稀だろう。
僕の姿勢に香織は驚いた様子だったけれど、中途半端な気持ちで彼女を連れて行くつもりは無い。
僕の気持ちが伝わったのか、香織はニッコリと微笑んで応えてくれた。


「うん、喜んで」





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2周年企画に久々の廉と香織のカップル登場です。
今回はいつもと違い、いきなり波乱の予感。他の作品の登場人物もちらほら出てきます。
あなたはどれだけ関連性を見つけることが出来るでしょうか?
ジレジレしたり、切ない部分もあるかと思いますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。

2007/07/02