夏と錯覚しそうな青空が窓の外に広がる梅雨の中休み。
昨日までの鬱陶しい雨が嘘のように晴れ、一週間ぶりに顔を出した太陽が今日の行事に合わせたように気温を上げている。
本日午後一番に行われる行事に心躍らせている男子生徒も多い中、どんよりと雨雲を背負ったようなオーラを漂わせる男が一人。
言わずと知れたビケトリの一人、生徒会長の佐々木龍也である。
「なんでうちの学校の体育系行事はこんなにいい天気になるんだ?」
本来なら喜ばしいはずの事に恨み言を言いつつ、自らが発するジメジメオーラに引き寄せられ雨雲が来る事を願ってみる。
だが信仰心も無く、盆と正月くらいにしか手を合わせない彼が、自分の都合に合わせて願いを掛けるなど虫の良い話で、いかに心の広い神様仏様でもそうそう微笑んでくれないのが現実だ。
もっとも、この学校で彼のように今日の行事を快く思わない者が多ければ、万人に平等な神様仏様は多数決によってその願いを叶えてくれたかもしれない。
だがしかし、残念ながらその数は圧倒的に少なく、龍也の願いは即効で却下されるのは決定事項だった。
窓の外の快晴とは裏腹に、龍也のクラスには朝から暗雲が雷を伴って立ち込めていた。
少しでも浮ついた素振りを見せた男子生徒は、即効で龍也の八つ当たりの落雷を受けるだろう。
紫がかったサラサラの黒髪を無造作にかき上げては溜息を吐くその姿は、計算されたように優雅で美しい。だが射抜くような冷たい視線と一瞬でも目が合い睨まれでもしたら、汗ばむほどの陽気も何処かへ吹き飛ばされてしまいそうだ。
クールビューティとはよく言ったものだと、響は小さく溜息を吐きながら長年の親友を見つめた。
龍也の発するオーラが半径1mの空気を2〜3度下げているようにすら感じられるのは、響の錯覚ではなかっただろう。
「今日の龍也は使い物にならねぇな。…覚悟はできてるな、暁」
確認するようにそう言うと、「俺も手伝うから」と付け加える響。
午後の行事を副会長である自分が指揮を執る事が決定した瞬間、暁はガックリと肩を落とした。
朝からの龍也の様子に覚悟はしていたが、流石に今日の行事は荷が重かった。
なぜなら…
今日は数ある学校行事の中でも、最も人気も期待も高いプール開きがあるのだ。
プール開きの後に行われる、学年対抗水泳大会は、別名『夏の出会い系行事』と呼ばれており、特に男子生徒にとっては待ちに待った夢の一日でもある。
普段体育の授業は男女別に行われ、それはプールの授業でも変わることは無く、男女混合でしかも全学年が水着で集うのは年に一度のプール開きしかない。
男子にとって、普段は目立たない女子が意外にスタイルが良かったり、眼鏡を外した姿が可愛かったりと、新たな発見のあるこの日は、少々(かなり?)の下心と共に出逢いも期待できるという、年間行事の中で最も血の騒ぐイベントである。
更に学年対抗水泳大会では、水着姿の女子に触れるチャンスもあるかもしれないという、鼻血ものの特典があり、まさに男子生徒にとって、年に一度のパラダイスとも言うべき最大にして最高の行事なのだ。
女子にとってもまた、夏を前に恋人候補を厳選する期待度満点の行事であることは言うに及ばないだろう。
「はぁ…、あいつの様子じゃ生徒会長の任を果たすどころか、水泳大会の邪魔をしそうだ。出場予定の種目だけでもちゃんと出てくれない事には困るんだけど」
「龍也の説得は頼んだぞ暁。水泳部のエースの武田は、去年龍也に負けて今年リベンジに燃えてるからな。二人の勝負は今年一番の見せ場だし、期待が高いんだ。龍也が腑抜けで勝負にならなかったらブーイングものだ」
「そうだな。…ところで響は幾ら賭けたんだ?」
「……まあ、そこそこいい金額…かな? ったく、誰が言い出したかしらねぇが、龍也で金儲けしようなんていい度胸だぜ。ところで、暁は賭けてないのか?」
暁はそれに答えず大きな溜息を吐くと、「龍也を説得してくる」と立ち上がった。
「しかし、よっぽど聖良ちゃんの水着姿を公にしたくないんだなぁ。去年の今頃じゃ龍也がこんなに恋に溺れるなんて想像もつかなかったよな」
「…どうせ溺れるならプールでにして欲しいよ」
「…暁、お前何気に怖いぞ?」
親友にあるまじき残酷発言をサラリと言い放つ暁に苦笑する響だが、その気持ちも解らないではない。
『夏の出会い系行事』と期待されるだけあって、この日を境に付き合い始める者は多く、パートナーのいない者にとって、プール開きは夏休み前に恋人をゲットする絶好の機会とテンションは最高潮に達している。
しかも水泳部のエースと龍也の賭け競泳が水面下で進行中となれば、やる気の無い龍也の泳ぎではブーイングどころか暴動さえも起こりかねないのだ。
代役を務めなければならない暁にしてみれば、気が滅入ることこの上ないことは当然で、『聖良の水着姿を邪な視線に曝したくない』という龍也の切なる願いをコンクリート詰めにして海底に沈めてでも行事の成功を願うのは無理からぬことなのだ。
暁が龍也に対してシビアになっても責めることはできないだろう。
響は暁の後姿を見守りながら、上手く龍也を説得してくれることを祈った。
暁が龍也の元へ臨戦態勢で歩み寄るのを見て、恐ろしいほどの緊張感と静けさが教室を包み込んだ。
超不機嫌な龍也に話しかける事の出来るのは、やはりビケトリ以外にいないと、クラス全員が固唾を呑んで暁の動向を見守った。
龍也の八つ当たりの雷(いかずち)で暁が撃沈するか、それとも天使のスマイルと名高い暁の癒し系笑顔で龍也が投降するか。
誰もがこの悪魔対天使の軍配が天使に上がることを願いつつ、酸欠になりそうな気持ちで重苦しい教室の空気に耐えていた。
クラスの視線を一身に感じながら、腑抜けの割には高飛車な態度で無愛想に自分を見つめ返す親友の前で足を止めた暁は、言葉を発する前に頭の中を瞬時に整理した。
生徒会に関しては、響もいるし何とかなるだろう。
だが、問題は賭け競泳だ。
誰が言い出したのか知らないが…と言った響を思い返し、実は発案者が自分だとはとても言えそうに無い今の状況にゲンナリとする。
このままでは龍也の負けは確実、下手をすれば八百長を疑われかねない。
何が何でも八百長疑惑だけは避けねばならないと決意を固め、切り札をしっかりと確認してからゆっくりと口を開いた。
「龍也、いい加減にしろよな。クラスの奴らには罪はないだろう?」
暁に声をかけられ、厳しい表情が僅かに緩む。八つ当たりと自負しているだけに、流石の龍也も暁の柔らかな物腰で正論を突きつけられると弱いのだ。
「…まあ、龍也の気持ちは解らないでもないけどね? でもそんなに嫌なら聖良ちゃんを休ませればよかったんじゃないか?」
「休ませるつもりだったさ。だけど準備の段階から頑張っていたからどうしても行くって譲らなくてさ」
人一倍熱心に準備を進めていた聖良の姿を思い出し、確かにあれだけ頑張っておきながら当日は休めというのは酷だろう。と、
雲ひとつ無い青空を見上げるヘタレきった親友に気の毒な視線を注ぐ。
「はぁ…雨、降ってくれねぇかなあ」
「聖良ちゃんも楽しみにしているんだし、諦めて頑張れよな」
普段の素行の悪さが表れているのだと、喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで、必殺悪魔撃退用天使スマイルで励ましてみる。
いつもなら悪魔…いや、龍也でさえも毒気を抜かれる見事な笑顔。
だが今日ばかりはそれも効果は薄かった。
「昨夜の内にプールをぶっ壊しておくんだった…」
「…龍也が言うと本気に聞こえるから怖いって」
親友の必死の励ましも虚しく、学校の所有物を壊すことも厭わない発言。
どこまでも自己中心的な男である。
「なぁ、龍也。聖良ちゃんは水泳大会でお前の泳ぐ所を観たいんじゃないか?」
「あー…まあ、今年が最後だから観たいとは言っていたけど…出たくねぇ」
「ダメ!」
予想通りの龍也の台詞を暁がピシャリと突っぱねた。
「去年は水泳部のエースの武田の自己ベストを更新して勝って大騒ぎだったじゃないか。武田は今年こそお前にリベンジすると燃えているんだ。ここで逃げるなんて男が廃(すた)るだろ?」
「簡単に言うけどなぁ。あの後、あいつ自信を失くしちまって水泳部は大変だったんだぞ。もうあんなのはゴメンだ」
「うっ…確かにそうだけど、その代わり龍也が助っ人で大会に出て優勝したじゃないか。あいつだって最終的には龍也に触発されて頑張ったおかげで大会新記録を出して個人優勝したんだし、反ってよかったじゃないか。ま、雨降って地固まるってことでさ」
「何が雨降って地固まるだ。濁流で学校ごと押し流されてもいいから雨が降って欲しいぜ」
「は〜っ、ネガティブだなあ。いつまで雨乞いしても無駄。いい加減諦めて正気に戻れよ。とにかく、今日の生徒会は俺と響で指揮を執るから龍也は休んでな。でも生徒会としては水泳大会は絶対に成功させなきゃならないんだから出場種目だけはこなせよ。いいな?」
「やる気でねぇ…」
あくまでもやる気のない龍也に、ついに暁は龍也のアキレスであり、強心剤でもある最愛の恋人を切り札に、最後の手段をとることにした。
「なぁ、龍也。お前の泳ぎを観たら、聖良ちゃんきっと惚れ直すと思うぜ」
「…そうかぁ? 去年も観てるだろうし今更じゃねぇか?」
気の無い素振りだが、『惚れ直す』という部分に明らかに反応したのを見逃さず、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「何言ってんだよ。去年の今頃はまだ付き合っていなかっただろ? つまり彼女にとって去年の龍也はまだ
全く興味の無い他人だった訳だ」
意図的に強調された『全く興味の無い他人』という言葉にピクリとした龍也に、掛かったと暁はほくそ笑んだ。
「だけど今年は違うだろう? 今の彼女にとってお前は特別な存在だ。彼女の高校生活の中で、自分の彼氏であるお前の超カッコイイ所を観られる最初で最後のチャンスなんだ。そうだろ?」
「…あ…あぁ、まぁ…そうだけど」
「お前と聖良ちゃんが恋人同士で思い出を作ることの出来る水泳大会は今日だけだ。お前が格好良く泳ぐところを彼女に焼き付けておきたくないか?」
「…うーん…」
「自分の恋人が水泳部のエースと競って勝ったら、聖良ちゃん感動すると思わないか? 絶対に惚れ直すって」
「…そっ、そうか?」
「あたりまえだろ? それどころか、ご褒美に今夜辺り良いことがあるんじゃないかなぁ?」
「ご褒美?」
「そりゃぁ、自分の彼氏の超カッコイイ所を観て、他の女の子に騒がれたら、嬉しい反面嫉妬もあるだろうし、独占欲だって出るだろうからなぁ。今夜は離れたくない〜ってな具合になってもおかしくないんじゃないか? ご褒美にあたしをあ・げ・る♪ …なぁ〜んてな」
「………やる」
今夜のラブ度アップを匂わせる無責任発言によって、嘘のようにアッサリと丸め込まれる龍也。
その様子に響は、やはり今回の説得は暁に任せて正解だったと心の中で拍手を送っていた。
子供の頃から不機嫌モードの龍也を諌められるのは響と暁だけだったが、響の場合はスポーツで体を動かしてストレスを発散させる形が多い。今回のように言葉で説得するのはやはり暁向きだといえる。
本当に聖良がご褒美をくれるかどうかは定かではないが、とりあえず龍也がやる気になってくれたことに、二人はホッと胸を撫で下ろした。
それと同時に教室のあちらこちらから、ホウッと息を継ぐのが聞こえ、たちまち室内の雰囲気が緩んだ。
軍配が暁に上がったことで、これまでの緊張が一気に解け、普段の教室の雰囲気が戻ったようだ。
クラスメイトは明らかに暁を特別な眼差しで見つめていた。
女生徒は頬を
桜色に染め熱い視線を送り、男子生徒でさえも彼に魅了されたのは言うまでも無い。
確かに龍也のあの威圧感といったら半端ではないのだ。クラスメイトにしたら暁の行為はハリケーンの中に飛び込むに等しく、あの怒りにも果敢に立ち向かい、諌めてしまった暁は救世主のようにすら感じられのかもしれない。
尊敬と畏怖の眼差しに、暁は思わず苦笑した。
賭け競泳の発案者としては、八百長疑惑だけは避けたいってだけだったんだけどね…。
天使の笑顔の救世主、高端 暁。
だがその笑顔の下に隠された本音を知る者は、誰もいなかった。
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『大人の為のお題』より【桜色】 お提配布元 : 女流管理人鏈接集
3周年記念ストーリーは『Love Step』の二人の砂吐き激甘ラブラブストーリーです。
全4話予定、週1更新で暑い夏に負けない灼熱の恋をお届けします。あ、熱すぎてアイスが溶けたって苦情は受け付けませんよ(笑)
異常気象的恋愛症候群…まさに龍也のための…いや、柊花ワールドのキャラの為の言葉(笑)。
今年の夏もヤツらの恋で暑っ苦しくなりそうですσ(^◇^;)。。。
最後まで龍也の嫉妬…あ、いや、あっちぃ〜恋にお付き合いくださいませ。
2008/07/26
朝美音 柊花