『大人の為のお題』より【Chocolate】
2007 St. Valentine's Day Special Story Sweet Dentist番外編
** 新米パティシェのバレンタイン **
※この作品は【新米パティシェのバレンタイン】(お題41Chocolate)→【歯医者さんのバレンタイン】(お題84恋人)→【歯医者さんのホワイト ディ】(お題13Sweet night )の順で読まれることをお勧めします。
バレンタイン当日まで、あと1時間を切った頃、あたしは疲れた身体を引きずって、玄関のドアを開けた。
「ただいまぁ〜…」
疲れきった生気のない声で言うと、靴を脱ぎ捨てフラフラとリビングへと向かう。
「おかえり。えらく元気の無い声だな?あんまり遅いから迎えにいこうかと思っていたんだぞ?」
リビングのドアを開ける前に響さんが顔を出して、あたしを出迎えてくれた。
「ん〜疲れた…。もうダメ。響さん、ちゃんとご飯食べた?」
「うん、俺は遅番だったし、スタッフと一緒にクリニックで弁当食ったから。」
ああ、そっか。自分の旦那様のシフトも頭に入っていないくらい、あたしボケているんだ。
なんせ、ここんとこメチャクチャ忙しかったからなあ…。
バレンタインが近づくと、あたしのパパの洋菓子店【SWEET】はとても忙しくなる。
だから勉強しながら実家のお店を手伝っている、あたしも必然的に忙しくなる。
バレンタインの前は猫の手も借りたいくらい忙しいから、まだパティシェにはほど遠いあたしなんかでも重宝されて、ちょっと嬉しい。
それに、今年はちょっと特別だった。
あたしは1年前のバレンタインで、甘いものが大嫌いな響さんでも食べられるチョコレートを作る事を心に決めた。
春に結婚してからは、勉強と主婦業をこなしながら、時間を見つけてはこっそりと試作品を作り続けてきた。
なかなか思うものが出来なくて、バレンタインがどんどん迫ってくることに、焦りを覚えながらも、ようやくそれを完成させることが出来た1月の半ば。
バレンタインまで1カ月を切っていたけれど、何とか間に合ったと喜んで、パパに試食してもらったら、お店に出してみないかと言われた。
思いがけない事に驚いたけれど、お店に試食品を置いてみたらこれがとても好評で、バレンタイン用にと予約が殺到して、ただでさえ忙しいお店の手伝いのほかに、予約のチョコレートを作る為に、あたしは毎日遅くまで残業をすることになってしまった。
いろんな賞をもらったことのあるパパでさえも、何度も試してもこのチョコレートの微妙な味が出せなかったのは、パパが言うには、あたしが響さんを想う気持ちがとても強く反映されていて、それがエッセンス(パパ曰く、恋の媚薬)となっているかららしい。
誰にも真似できないお菓子を作ることは、あたしの夢だったし、それが叶ったのはとても嬉しかったけれど…
結局予約分のチョコレートは、全部一人で作ることになってしまい、あたしは忙殺される羽目になってしまった。
それは、あたしにとっては、とても誇らしいことでもあったし、やりがいのあることだったのだけれど…
…かわいそうなのは、響さんだった。
響さんは、毎晩遅くなるあたしに理解を示してくれて、文句一つ言わず家の事を手伝ってくれる。
食事だって、響さんの職場で実家の【YASUHARA Dental Clinic】でスタッフの皆さんとお弁当を食べて済ませたり、自分で作ったりしてくれて、あたしより早く帰る日は、夕食を用意してくれる事も多い。
一人暮らしをしていたせいか、そういう事は余り苦にならないらしい。
だからと言って、甘えてばかりも申し訳なくて、この時期は響さんもお仕事が忙しくて、帰りが遅い事が少し救いだったりする。
でもね、響さんは何も言わないけれど、あたし気付いているの。
本当はわざと遅い時間のシフトで仕事を入れているって。
自分も仕事で遅くなるほうが、帰宅時間が遅くなる事を気にすることなく、あたしがお菓子を作ることが出来ると思って、気づかってくれているんでしょう?
それを聞いたら笑って否定するのは分かっているから、あえて聞かないけれど、響さんの心遣いには本当に感謝しているのよ。
あたしが一人前のパティシェになることを誰よりも望み、応援してくれる、素敵な旦那様。
響さんと結婚したあたしって、世界で一番幸せ者だと思うの。
今だって、ほら。疲れて帰ったあたしの為に、紅茶を入れてくれたりして…。
俺様なところもあるけれど、意外と尽くしてくれたりするのよね。
「千茉莉はちゃんと食ってきたのか?まだなら、何か軽く作ってやろうか?」
ああ、こういう優しさが大好き。
「…ううん、いらない。試食のしすぎでご飯食べれない。」
「大丈夫かよ?」
心配そうにグレーの瞳を細める仕草も、クシャ…と、髪をかき回すように撫でてくれる優しい手も、全部大好き。
「ん…明日はバレンタインだし、とりあえずこんなに遅いのは今日でおしまいだから…。明日はちゃんと食べる。」
試食のしすぎというよりも、むしろ明日のバレンタインを前に凄く緊張しているんだけどね。
告白をするお客さんの気持ちを、ちゃんと届けられるだけのチョコレートが出来ただろうか…?
そう思うとドキドキして、まるで明日が合格発表の受験生みたいな心境よ。
だから、今日は尚更、お菓子作りに没頭して考えないようにしていた。
「無理するなよ?ぶっ倒れたら明日も何も無いんだから。今日は特に遅かったんだし、もう風呂に入って寝ろよ。」
「うん…もう、お風呂もダメ。ねむい…。」
「こら、ソファーで寝るな。とりあえず着替えて寝室まで行けよ。」
促されて、フラフラと寝室へ行くと、パジャマに着替えてそのままベッドに飛び込んだ。
そんなあたしを見て、「ガキみてぇ」と苦笑する響さん。
しょうがないじゃない。今日は凄く緊張しているし、疲れたんだもん。
今夜の帰りがいつもより遅かったのも、こんなにも緊張して疲れたのにも、実は特別な理由がある。
明日のバレンタインに、響さんに渡すスペシャルチョコレートを作っていたからだ。
いつだって、あたしを応援して、優しく見守ってくれる響さん。
あなたがいてくれるから、あたしは頑張れるの。
あなたが愛してくれるから、あたしはお菓子に愛を注げるの。
だからね、今年はあなたに感謝と、ありったけの愛情を詰め込んだスペシャルチョコレートをどうしても食べてもらいたい。
バーボンの好きな響さんのために、お酒にも合うようにと作ったチョコレートは、ほのかな苦味と舌に残らない微妙な甘さが絶妙の一品となった。
ありったけの心を込めて作った今夜のチョコレートは、今までで最高のものが出来たと自負している。
あたしの全てを注ぎ込みすぎて、出来上がったときには
疲労困憊。
よく自力で帰ってきたと、自分を褒めてあげたいくらいよ。
これで食べてもらえなかったら、あたし泣いちゃうだろうなあ。
ねぇ…響さん。ちゃんとあたしの気持ちを受け止めてね?
あたしの愛情がいっぱいに詰まった、“媚薬入り千茉莉スペシャルチョコ”(命名パパ)
これを一口食べたら、きっと伝わるんだから。
あたしがどんなに、あなたに感謝しているか…
あたしにとって、あなたがどれだけ大きな存在か…
あたしがどれほど深く、あなたを愛しているか…
もしも、甘いものは嫌いだからって食べてくれなかったらどうしよう?
とりあえず泣き脅しでもしてみようかな?
それでも断固として食べてくれなかったりしたら…
睡眠薬でも飲ませて、無理矢理口に入れちゃうからね?
ベッドに倒れ込んですぐに目を閉じたあたしに、響さんがフワリとお布団をかけてくれる。
その感覚が、まるで抱きしめられているようで、ドキドキと鳴り続ける心臓が不思議と治まって、緊張が少しずつ解けていく。
あなたの温もりを感じて眠れば、きっと不安も無く、幸せな夢を見られる気がした。
「…あのね、響さん…あたし怖いの。」
「ん?何が?」
「あたしの作ったチョコレートが、ちゃんとお客さんの想いを伝えてくれるのかな…って。」
クス…と小さく笑う声と共に、あたしの隣に滑り込むと、不安を消すようにキュッと抱きしめてくれる。
響さんの香りに抱かれて、優しい鼓動を聞いていると、どんどん心が穏やかになって、あたしはすぐに夢の中へと引き込まれていった。
「大丈夫…。お前のお菓子には人を優しくする力があるんだから…明日はきっと、みんなを幸せにしてくれるさ。」
優しいキスを頬に感じたけれど、もう目は開かなくて、響さんがどんな表情をしていたかは分からない。
だけど、その声はとても優しかった。
「あたしの作ったチョコレートで、みんなが幸せになってくれたらいいな…。」
声に出していたかすら、分からないけれど、きっと響さんには聞こえていたと思う。
あのね、響さん。
あたしのお菓子に人を優しくする力があるとしたら、それはあなたに愛されているからだよ。
あたしはこんなにも大切にされて、とても幸せだから…
この気持ちをお菓子に込めて、たくさんの人に幸せを分けてあげたいの。
だから明日、あなたにきっとこの想いを伝えるからね。
あたしを愛してくれてありがとう…って…。
あなたをとてもとても愛している…って…。
「あんまりお前のお菓子の人気が出て患者が増えたら、まるで裏で手を組んでいるみたいに思われるからさぁ…、早く虫歯にならないお菓子っつーのを開発してくれよ?奥さん。」
あなたがタメ息混じりに呟くのを聞いた気がするけれど…
あれは夢の中の事だったのかしら?
バレンタイン当日まであと5分…。
溢れるほどのあなたへの想いを詰め込んだチョコレート…
あなたはきっと、食べてくれるよね?
+++Fin+++
2007/02/12
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