『大人の為のお題』より【スクランブル】

** 星に願いを 3 **






翌日、一臣さんと信子さんに別れを告げ、あたし達はペンションを後にした。

帰る直前に龍也先輩が一臣さんに引き止められて何か話していたとき、あたしは信子さんに声を掛けられた。

渡したい物があると見せられたものは数十冊にも及ぶ大学ノートだった。

「これは…?」

「それは、さくらさんの日記よ。彼女が翔さんと出逢ってから失踪前日までの毎日が書き綴られているわ。彼女の無くした記憶の全てがこの中にある。これは龍也君ではなく、あなたに渡しておきたいの。」

「これをあたしに?どうして龍也先輩じゃないんですか?」

「聖良ちゃん。これはきっと、あなたに必要な時が来ると思うの。迷った時にさくらさんに相談していると思って読むといいわ。龍也君に見せるかどうするかは、読んでからあなたが決めなさい。」

「…はい。わかりました。」

「重いでしょうから宅配で送っておくわね。住所教えてもらってもいい?」

ニッコリと笑った信子さんの笑顔に、あたしの心は複雑だった。

手に取った一冊をパラパラとめくってみると、綺麗な字で丁寧に毎日の思いが綴られている。

さくらさんの日記。

彼女が翔さんを愛して、龍也先輩と暮らした時間がこの中に全て詰まっている。



日記の中の彼女はあたしに進むべき道を教えてくれるのだろうか。



さくらさん…あなたは記憶を無くさなくても翔さんを愛していましたか?






新緑の中を来た時と同じように龍也先輩の背に張り付いて、若葉の香りのする風を感じながら山道を下っていく。

昨日からの事をずっと心で整理しながらあたしは龍也先輩の鼓動を自分のそれに重ねて感じていた。

あなたが好き…。

ずっとこうしてあなたに寄り添って歩いていきたい。

あなたのぬくもりを感じて、あなたと幸せな時間(とき)を重ねていきたい。

あたしがあなたと巡り逢った理由(わけ)

それは偶然ではなく必然で、そうなるべき運命にあったのだと今までは漠然と感じていた。

だけど今はそれを確信する事ができる。

あたしはあなたを護るために生まれてきた。

あなたを導くためにここに在る。

柔らかな微笑で幸せそうにお母さんの話をした昨夜のあなた。

その幸せが永遠であるようにあたしの全てをかけて護っていく。

必ずあなたを幸せにしてみせるわ。


何度振り切っても押し寄せてくる不安を拭い去りたくて、龍也先輩の鼓動をもっと感じようと、あたしは彼に回した手に力を込めた。

それに気付いた彼は返事の代わりにあたしの両手にそっと手を添えてくれた。

ここへ来る時にも同じような事があったとふと思い出す。

ほんの昨日の事なのに、あの時と今では何かがまったく違う気がする。

それでも触れる部分から伝わる先輩の優しさが変わらない事に心のどこかで安堵していた。

『大丈夫。心配するな。』とその手は気持ちを伝えてくれている。

うん、そうだね。

あなたとならばきっと大丈夫。

目のまえの壁がどんなに巨大でも

それがどんなに苦しい茨の道でも

あなたを失う事に比べたらそれがどれほどの障害だというの。


「あなたが好き。失いたくないの。」


小さく呟いた声はエンジン音と耳を切る風の音で龍也先輩には聞こえなかったと思う。

それでもそれが呪縛を断ち切る呪文であるように、呟かずにいられなかった。


あなたを愛している。


この恋を翔さんとさくらさんのように哀しい恋にはしたくないの。





+++   +++   +++






あたしはパパのお墓参りへ龍也先輩を連れて行く事をママに許してもらう為、一旦龍也先輩とわかれて家に帰ってきた。
それは嘘ではなかったけれど、一番の理由はママと先輩を会わせる前に昨日知り得た事実をどうしてもママには先に話しておかなければならなかったから。

さくらさんの事と龍也先輩が春日クループの後継者である事を…。

話を聞くなりママは信じられないと驚きを隠せなかった。事実を全て話し終わると、とても悲しい顔をして、パパのお墓参りに龍也先輩が行く事を了承してくれた。

「春日家に後継者が見つかるなんて…。龍也君には苦しい道になるでしょうね。聖良にはパパやママのようにだけはなって欲しくないわ。」

黙って頷くあたしをママはフワリと抱きしめてくれた。

「17才の誕生日おめでとう聖良。あなたの記念日がこんなに大きな運命の分かれ道になるなんて…。神さまはどうしてこんなに意地悪をするのかしらね?
でもどんな結果になっても、ママはあなたが選んだ道を応援するわ。…決して後悔だけはしないでね?」

「うん、あたし…龍也先輩が好きなの。ずっと彼と生きて行きたい。だから…どんなに苦しくても頑張ってみようと思う。もう、逃げない。龍也先輩と一緒に全部受け入れて彼を護るって決めたの。」

あたしの答えにママが流した涙を、あたしは一生忘れないと思う。



パパとママ、翔さんとさくらさん…。



愛する人と静かに暮らして幸せになりたいと願っていただけなのに。



愛し合う者にどうして運命はこんなに残酷なんだろう。




+++   +++   +++




空が鮮やかな朱に染まり、太陽がその姿を西の彼方に隠す頃、あたしは龍也先輩とママと三人でパパのお墓へやってきた。

パパの墓前でまるで何かを語りかけるように手を合わせた龍也先輩は、なかなか動こうとはしなかった。

そんな龍也先輩を見てママはとても複雑な顔をしていた。

ようやく顔を上げた龍也先輩はあたしを隣りに来るように呼ぶとパパのお墓の前に手を繋いで立って静かに言った。

「聖良…俺さ。決めたんだ。」

龍也先輩の言葉に強い決意を感じたあたしは、不安に胸を乱されながらも彼の言葉を待った。

「俺、大学へ行くのを止める。高校を卒業したらすぐに就職する。」

「え!…なっ…何を言っているんですか?龍也先輩!」

「大学へは行かない。すぐに就職して、一日でも早く聖良とふたりで暮らせるように、生活の基盤を作りたいんだ。大学へ行ったからといって特に学びたい事がある訳じゃないしな。」

大学へ行かない?全国模試で常に首席の龍也先輩が?

学校側が許すわけ無いじゃない

龍也先輩が大学へ行かずにあたしと結婚するために就職を選ぶなんてありえない。
あってはいけないことだ。

それに…春日グループの後継者として名を連ねる事になれば尚更の事だ。
あの一族は教養を重んじる。
一族全員が必ず大学まで進み、何かしらの成果を得なければならないとされているほどだ。

巨大な力に龍也先輩が奪われてしまう予感で心が不安定になっていたあたしは、余りに衝撃的な先輩の言葉に、思考と感情が完全にスクランブルして声すら出せなかった。

「龍也君。冷静になって?あなたが今しなくちゃいけない事はあなたの立場を受け入れて行動する事よ。」

声も出せずに固まっているあたしに救いの救いの手を差し伸べてくれたのはママだった。

「おかあさんは反対ですか?聖良が高校を卒業するのを待って結婚するのは早いと思いますか?」

「結婚に反対とか早すぎるとかそう言う事じゃないの。あなたの立場が問題なのよ。」

「立場?…俺に何の立場があるって言うんですか?」

「龍也君はわかっていない。お願い、落ち着いてよく聞いて?春日はずっと後継者に恵まれていないの。あなたの存在を知ったら、きっと龍也君を喉から手が出るほど欲しがるわ。」

ママの言葉にあたしは凍りついた。否定したかった事実を誰かの口から聞く事がこんなにも衝撃的だとは思わなかった。
胸を圧迫するような絶望感が襲ってきて身体が小刻みに震え始めていた。

「おかあさん?何を言って…。」

「あなたたちは少し前から結婚式場のポスターで話題になって雑誌でも取り上げられていたでしょう?私ももっと早くに気付けばよかった。見る人が見ればわかるものね。あなたには雪の面影があるもの。」

ママの言葉に龍也先輩は大きく瞳を見開いて、その答えをあたしに求めるように見つめて来る

「雪って…おかあさんは俺の母さんを知っているんですか?」

「ええ、とても良く知っていたわ。だけど彼女が失踪中、こんなに近くで暮らしていたとは思わなかった。知っていたら…もっと違う形で幸せになれたかもしれないのに。」

「ママ…もしかしたら、さくらさん…いえ、雪さんは…。」

「たぶんそうね。私を訪ねてこの土地に来て…事故にあってしまったのだと思うわ。…記憶を失う前に私と会っていればこんな悲劇は起こらなかったかもしれないのに…。
聖良、龍也君にきちんと話しなさい。春日が龍也君の存在に気付いたらきっと放っておかない。…特に、龍也君のような優秀な人材なら尚更ね。」

ママはパパのお墓に両膝をついて座るとお墓を愛しそうに撫でた。

「あなた。春日の家から…一族の呪縛から二人を護ってあげて。これ以上哀しい恋物語は増やしたくないわ。私たちと…雪だけで終わりにしたいの。」

ママは幾筋もの涙で頬を濡らしていたけれど、肩を震わせるだけで決して声をあげる事はしなかった。

パパと心で会話しているママにこれ以上声をかけることが出来ず、あたし達は静かにその場を離れた。







言葉もなく手を繋ぎお墓から少し離れた河川敷を歩く。

少し歩いた先の河川公園のベンチであたし達は腰を降ろすと互いを求めるように抱きしめ合った。

あたしの不安が伝わるのか優しく髪を剥き宥めるように額にキスをする龍也先輩に何をどう話していいのかわからない。

それでも龍也先輩は戸惑いの表情を隠そうともせずあたしに無言で問い掛けてくる。

彼も不安なのだと思う。

昨日から急激に色々な事がわかって、自分を取り巻く環境にも変化が現れていくのを敏感に感じているようだ。


それでもその瞳の中には昨日までの人を拒絶するような冷たい光は薄らいでいる。

昨日までより格段に柔らかくなった微笑み、瞳に宿る温かな光。

彼はもうクールビューティなんかじゃない。

心を冷たく閉ざしていた厚い氷はもう溶け始めている。

龍也先輩はずっと何かを考えながらあたしが心の整理をするのを待っていてくれた。

頭の良い彼のことだもの、春日家とママが関係があるのは気付いていると思う。気になるのはママとお母さんとの関係だろう。

きっと心の中は疑問や不安でいっぱいだと思う。

それでも、あたしが心を決めて口を開くのを、急かすことなく静かに待っていてくれている。

彼の優しさにあたしは応えなくちゃいけない。

あたしは心を決めると深呼吸をして、彼と向かい合った。




「龍也先輩はあたしの叔父の武(たける)ちゃんを覚えています?カメラマンの。」

「ああ、忘れる訳ねぇだろ?俺達の模擬結婚式でポスターを撮ったあの……っ!水谷 武…ってまさか?」

「そう、武ちゃんは泉原の傘下、水谷グループの後継者なの。ママは水谷グループの総裁の娘で、あたしは…一族の末端なの。」

龍也先輩があたしの言葉に息を飲んだ。

先輩のお母さんの実家、春日家、お嫁に行った先の浅井家、そしてあたしのママの実家、水谷家。

絡まった糸が解れるようにあたし達の出逢った意味が露わになっていく。

「武ちゃんもいずれ水谷グループを継ぐんです。お兄ちゃんは武ちゃんの片腕とでも言うのかしら?二人ともグループ内の幾つかの会社を任されているんです。」

「……聖さんも?」

「そう、水谷グループの幹部役員の一人…ですね。あたしのママもです。」

「そんな…こんな事って。」

「雪さんには直接あった事は無いけど…お名前は知っています。会おうと思えば…連絡をとる事はできます。」

「せ…い…。」

あたしは先輩の言葉を唇でそっと塞いだ。

龍也先輩の言葉を聞くのが怖かった。

何かを聞く事で恐れている事が大きく動き出しそうな気がして、言い知れない不安に身体が震えていくのを止める事が出来なかった。




春日も水谷も泉原も…できればあたしは関わりたくなかった。

ママもお兄ちゃんもあたしだけは一族とは縁の無い人と結ばれて欲しいと強く願っていてくれたのに…

彼に運命を感じたのは、一族の血が呼び合っていたからなのだろうか。

どんなに逃げても、濃い血が魂を引き寄せるように…。

こんな事で龍也先輩とあたし達が繋がるなんて…。

これが運命で無かったら何だというんだろう。


「…俺は父さんが死んでから天涯孤独の身だと思っていた。今更血縁なんて欲しくは無いし、母さんを不幸にした一族なんてクソ喰らえだ。俺が必要なのは聖良だけだ。俺が春日の血を引いていようがいまいが何も不安に思うことなんか無い。」

龍也先輩は真っ直ぐだ。

泉原グループの世界を動かす事さえ可能な力も、春日家の残酷さも、一族の強固なまでの血の繋がりも…彼はまだ何も知らない。

だからこそ、彼が傷つくのでは無いかとあたしは恐れているのに…。

「先輩…あたしのママがパパと出逢って結婚した時、水谷のおじい様は理解のある方でママの幸せだけを祈ってくれていたから、反対はされなかった。だけど、その結婚を大きく批判したのは春日家の大おじい様だった。
春日の大おじい様は既に引退していらっしゃるけれど、その発言力は絶大なんです。ママを春日の家に嫁がせたいと考えていた大おじい様にとって、パパは邪魔者だったの。
ようやく一族から離れたこの土地で幸せになりかけた時、パパが事故で亡くなったのは、春日が仕掛けたものかもしれないとママもお兄ちゃんも思っている。」

「…まさか?」

余りの事実に龍也先輩が鼻白むのをあたしは悲しい目で見つめた。

「あの一族の中で古いしきたりを支持している人間はまだたくさんいて…一族はいま、泉原の当主様を支持する者と、春日の大おじい様を支持する者とで二分されているの。
龍也先輩の存在が明るみに出ると言う事は…その争いに巻き込まれる事になるんです。」

「馬鹿馬鹿しい。俺にはそんなもの関係ない。」

「ママとお兄ちゃんはあたしにだけは一族から離れて欲しいと望んでいたんです。だから…二人は本家から遠く離れたこの地に身を置きながらもあえて水谷の…泉原一族の末端として協力してきたんです。」

「バカな…もしも本当に春日家が聖良のお父さんに何かを仕掛けたのなら尚更一族から離れるべきなんじゃないのか?」

「ママもお兄ちゃんもあたしを護ろうとしていたんです。春日の大おじいさまはママが自分の意思に背いた事を今でもよく思っていなくて、あたしを一族結婚の対象にしようとしたの。
ママとお兄ちゃんはあたしを一族結婚に巻き込まないために、水谷のおじいさまと泉原の当主様の力を借りているんです。水谷と泉原の守護が無かったら、今ごろあたしは春日の手駒の一つにされていたでしょうね。」

「そんな馬鹿な事!聖良に選択権は無いのか?なんで春日のその爺さんが人の人生を左右するんだよ。俺の母さんだって言わばそいつの犠牲者なんだろう?」

「春日の大おじいさまは一族の長老と呼ばれていた数人の最後の一人なんです。長老達はかつて一族の闇の部分を仕切ってきました。現当主様になってからはその様な事は一切無くなったはずなんですけれど…頭の古い一部の一族と大おじいさまがまだ、一族の中で闇の力を持っているんです。」

「闇の…?それはどういう…。」

「一族の邪魔となる者は不自然な死を遂げる。…あたしのパパのように。」

「――っ!」

「あたしにはわかります。龍也先輩を護るために翔さんがどれだけ苦しい思いでさくらさんが失踪したと告げたのか。
春日に先輩を渡すわけにいかなかったから、先輩の存在を隠す必要があったんです。」

「父さんは…俺を護ろうとして?」

「はい。春日なら失踪から戻ったさくらさんの身体を隅々まで調べて、病院にかかった経歴から記憶の無い間の生活を探ったでしょう。さくらさんが子どもを産んだことは分かっている筈です。きっと必死に探していたと思いますよ。今までわからなかった事のほうが奇跡に近いと思います。」

「…母さんは俺の存在を知らないんだろう?」

「だぶん…教えられていないでしょうね。彼女が再び家を飛び出すような情報を漏らすとは思えませんから。」

「…くっ…どうして…なんでそんな残酷な事が出来るんだ?それが一族のためとか言うヤツなのか?」

「……だから、あたしはずっと逃げていたんです。どうしてもあの一族の人とは結婚なんてしたくなかったから。」

龍也先輩は怒りに拳を強く握り締め、ベンチへ打ち付けた。

ガン!と響く鈍い音が先輩の心を傷つけた音のようで痛々しかった。

昨夜、彼の瞳に宿った柔らかな光を再び封印するかのように、憎しみに心が囚われていくのが分かる。
あなたにはあの穏やかな幸せの中で過ごして欲しいという願いは長くは続いてくれなかった。

どうして運命は彼にこんなにも冷たいのだろう。


「あたしは龍也先輩にこのまま一族に見つからずに静かに生きて欲しいんです。翔さんが望んだように…。」

「ああ、同感だ。絶対にかかわりたくないね。俺は誰かに干渉されて、人に操られて生きるなんて真っ平だ。春日のクソジジイが接触してきたって大人しく言う事を聞いてやるつもりは無いし…それ以前に見つかってやるつもりも無いね。
俺は聖良と幸せになる。誰にも邪魔なんてさせるつもりは無い。」

龍也先輩の自信に満ちた言い方に、この人なら本当に一族に逆らう事が出来るんじゃないかと思えてしまう。

この人から出ているオーラはやはり一族の持つそれと通じるものがあると思った事は口にはしなかったけれど、たぶんそれは血の成すものなのだと思う。



この人を一族の呪縛から護る事があたしの運命だった。

だからこそ、あたしたちは巡り逢い、そして今運命を大きく分ける扉の前に二人で立っている。

それがあたしの誕生日だった事も全ては必然だったのだと思う。

あなたを愛している

決して春日の手駒になるような事はさせないから。


パパ…


どうかあたしに彼を護れるだけの勇気と力を下さい。


どうかあたし達をずっと見守っていて下さい。






「こんなつまらない話はもう止めよう。まだ春日が俺を見つけた訳じゃない。見つかっても何も変わらない。俺は俺だ。ずっと聖良の傍にいる。」

額に頬にキスの雨を降らせながらあたしを抱きしめる龍也先輩の身体から直(じか)に伝わる熱があたしに勇気を与えてくれる。

「そうですね。あたし頑張る。春日なんかに絶対先輩を渡さない。きっとあなたと幸せになってみせる。」

「そうだ、当たり前だろう?俺が聖良と離れるなんてありえないよ。不安になる必要なんて無いんだ。」

コクンと頷くと龍也先輩はようやくフッと息をつくように柔らかい表情を戻した。

先ほどまで瞳に宿っていた憎悪が影を潜めた事に、あたしは胸を撫で下ろした。

「龍也先輩…本当に大学へは行かないんですか?」

「そのつもりだ。春日が学歴を重んじるならば尚の事俺は逆らってやるさ。
大学へ行かない事で後継者の条件を満たさないのならば、そのほうが好都合じゃないか。」

「でも、学校側も反対します。」

「まあ、結婚して生活も落ち着いたら大検でも取るさ。そのうちね。」

「でも…。」

「いいんだ。俺がそうしたいと思って自分で決めた事だ。俺には大学へ行って学ぶ時間より、少しでも早く聖良と暮らす事が大切なんだ。
俺と一緒に暮らそう。ずっと一緒にいよう。俺が必ず幸せにするから。嫌だって言っても遅いからな。聖良のお父さんのお墓でもうお願いして来たんだ。」

「先輩?」

「聖良を俺に下さいって頼んできた。おかあさんに立ち合ってもらって正式に婚約しよう。こんなにも色んな事が一度に分かると思っていなかったから…少し、いや、かなり段取りが狂ったんだけど…。
俺は母さんの事を受け入れて、自分の気持ちに蹴りをつけたら、お前にこれを渡したかったんだ。」

龍也先輩が差し出したのは、スターサファイアの指輪だった。あたしは驚きに声を失って、口をパクパクしながら龍也先輩を見ていた。

「これは母さんの物だ。父さんがはじめて母さんと出逢った時から指にはめていたそうだよ。
今思えば母さんの記憶を繋ぐ唯一の物だったのかもしれないな。
いつか俺の花嫁にこれをプレゼントするのが母さんの夢だったと言って父さんは大切にしていたんだ。だから何度も捨てようとして捨てれなかった。
でも…捨てなくて良かった。今は自信を持ってこれをお前に渡せるよ。母さんからお前にだ…。」

「さくらさんから…。」

「未来の俺の花嫁に…。聖良がいてくれれば俺はどんな事でも乗り越えられるんだ。
たとえ春日が俺を見つけようと、運命が俺達を引離そうと、俺は負けない。
必ずお前と幸せになってみせる。」

痛いほどの想いを受け止めて、あたしは涙が止まらなかった。

「だから…怖れずに俺について来い。必ず護るから…。どんな苦しみからも悲しみからもおまえを護って支えていくから…。あの部屋で俺と暮らそう?俺と生きていこう。」

パパ、この人ならきっとあたしを護ってくれるよね。

あたし達きっと幸せになれるよね。


「あたしも…先輩となら春日を敵に回しても構いません。あなたを護って、幸せな時間を共に生きていきたい。」



―― あたしを一生あなたの傍に置いてください。



最後の言葉は龍也先輩の熱いキスに絡め取られてしまったけれど…心が繋がっていたからきっとちゃんと届いていたと思う。


フワリ…


そのとき淡い光があたし達の周りを掠めるように飛んでいった。

一匹のホタルが抱き合うあたし達の周りをゆっくりと飛び回り、やがてあたし達が歩いてきた方向へと消えていったのを二人で見つめる。


「あれは…お父さんだったのかな。」

龍也先輩にもわかったのだと思う。

あたし達はホタルの消えた方向を見つめたまま互いを支えあうようにずっと抱き合っていた。

「パパ…あたしきっと幸せになるから。」
「聖良をきっと幸せにします。」

二人の声が同時に重なって思わず顔を見合わせて笑みがこぼれた。


うん、大丈夫。


きっとあたし達は幸せになれる。


だってパパがあたし達を見守っていてくれるんだもの。


パパはあたし達を祝福してくれたのよね?


だって、あたし達にはパパの声が聞こえたもの。






―― 聖良…幸せにおなり ――










+++ Fin +++



BACK お題【拒否反応】

聖良の誕生日にと書き始めたのですが、龍也の両親の話しに触れたことでかなりシリアスになってしまいました。ひたすら甘いバカップル話でなくてごめんなさい。
龍也の両親の恋バナはまた別の機会に…。こちらは悲恋になりますので、苦手な方はご遠慮ください。
ブログで連載中の『ETERNAL FRIENDS』で、翔とさくらの幸せな頃のワンシーンが垣間見る事ができます。
悲しい別れをする二人ですが、二人の出会いから共に暮らした日々は本当に輝いていた事もまた事実で、龍也もようやくそれを受け入れ前に進む段階にきました。
これから二人の進む道は波乱に満ちていますが、より二人の絆は深まっていきます。
二人が成長して結婚へと向かうプロセスをどうぞ応援してやってください。

朝美音柊花

2006/06/26

追記:母親の失踪についてもっと知りたい方は、関連作品『Little Kiss Magic 3』へ。(2007/11/3 現在、本館にて2周年記念連載中)
翔とさくらの恋物語【桜咲く季節に】は現在執筆中です。
2007/11/3



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