『大人の為のお題』より【Solitude(孤独)】
―――あの夜、あなたの瞳に私はどう映っていたの―――
**LOVERS**
この歌が終わったら〜彼女の物語〜
ヘッドライトを消して窓を開けると、あなたはエンジンを止めてカーステレオの音だけを残した。
夏の夜の生ぬるい風が開け放った窓から流れ込み、二人の間を舐めるように吹き抜けていく。
エンジンを消した車内は静かで、あなたの好きなボーカルの歌声だけがやけに大きく聴こえる。
やがて曲が変わり、お気に入りの曲が流れると、あなたは瞳を伏せて聴き入った。
別れの曲の切ないメロディが、開け放った車の窓から夏の夜空に流れ出し、闇夜へと消えていく。
『もうあなたの隣で微笑むのは私じゃない』
哀しい歌詞に目を閉じて聴き入るあなたの横顔は、蒼白い月の光に照らされ、まるで初めて見る男性(ひと)のように冷たくて、すぐ隣にいるあなたとの距離感に
孤独を感じる。
歌詞と重なる私達の未来に、胸が抉られるようだった。
わかっているわ…
この歌が終わったら、きっとあなたは告げるのでしょう?
私たちの恋の終わりの時を。
街から少し離れたこの場所からは星と夜景がよく見える。
この丘を下った先にある私の家までは歩いても10分余りの距離で、デートの帰り道はいつも門限ギリギリまでこの場所で過ごした。
『門限を破ったらまた怒られちゃうね』と言いながらも、少しでも長く一緒にいたくて、家々の灯りが星のように闇に煌くのをいつまでも寄り添って見つめていた。
門限10分前になると、名残惜しげに重ねられる唇。
熱を帯びた唇はいつだって甘い夢を見せてくれた。耳元に囁かれた愛の言葉の数々は、今も思い出すだけで体の芯が熱くなる。
それなのに、今夜私を抱いた腕は冷たくて、まるで義務のように重なる唇にも、触れる肌にも、熱を感じることはなかった。
私を抱きながらも、心はもう、他の誰かに向かっている。
薄々気付いていたけれど認めたくなかった事実を突きつけられ…心が痛かった。
あなたの好きな別れの曲が終わるまで、あと少し。
『好きだったよ』と歌う切ない声が、私の心に添うように流れ空へと消えてゆく。
やがて歌が終わり、静かな余韻が辺りを包んだとき、あなたは躊躇いがちに私の名を呼んだ。
迷いが揺らぐ瞳。
あなたが私を捨てるはずなのに、まるであなたが捨てられるような顔をするのね。
どうしてそんなに苦しげな顔をするの?
私を見つめる哀しげな色の瞳は、後悔? それとも同情?
迷うなら、何故…あの娘を選ぶの?
迷うなら、何故…私を捨てるの?
本当は行かないでと泣き伏したい。
本当は別れたくないと縋りたい。
だけどきっと、私が取り乱せばそれだけ、あなたの心は冷めていくのでしょう?
我が儘を言うのはいつもあなた。
甘えるのはいつもあなた。
あなたの前では、無理をしていつだって笑っていたけれど、本当は寂しかった。
あなたの前では、いつだって大人の女を演じていたけれど、本当は甘えたかった。
だけど、優柔不断で、気が弱くて、強く押せば流されてしまうあなたに、甘えたり我が儘を言ったりするのはきっと重荷になると思うと、できなかった。
私は、いつの間にか都合の良い、あなたの言いなりの女になっていた事に気付いていなかったのね。
あなたの我が儘にがんじがらめになって、自由を奪われていることにすら、気付かないほどに、私はあなたしか見えていなかった。
優柔不断だけど、私の体調が悪いことに一番に気付いてくれたあなた。
気が弱いけれど、酔っ払いに絡まれた私を助けてくれたあなた。
流されやすくて頼りないけど、二人だけの時はチョッピリ強引で、頼りがいのあることもあったよね。
あなたの全てが好きだった。
優しい声も、笑うと顔をくしゃくしゃにするところも…
意地っ張りな所も、寂しがりやなところも…
全部全部大好きだった。
何もかもが愛しかったよ。
あなたが笑っていてくれれば、それだけで嬉しくて…
あなたの腕の中にいれば、それだけで幸せで…
あなたの色に染められいくのが何よりも嬉しかった。
だけど、あなたの望む色の服を着て、望むままに行動するうちに、大好きだったピアノもサークルも制限されていった。
私の世界の中心はあなただけになり、徐々に友達とも疎遠になって、一人で居ることが多くなった。
『私らしさ』という輝きは徐々に失われ、あなたが愛していた私が薄れていくことにも気付かず、いつしか、ただ言われるままにあなたを待つだけのつまらない女になっていた。
そんな時、ちょっと我が儘で甘え上手なサークルの後輩にあなたが心を動かされたのは自然なことだったのかもしれない。
年上の私には甘えてばかりのあなただったけれど、彼女の前では大人の顔で接していたんでしょう?
慕ってくれる甘え上手な後輩は、きっとあなたの自尊心を擽ったのでしょうね。
素直に甘える…そんな私が望んでも出来なかったことを、自然に出来る彼女が羨ましくて、あなたの知らないところで泣いていたなんて、きっと想像もしていないでしょうね。
だけど…あなたはきっと私の元へ還ってくると信じていた。
たとえ一時(いっとき)心が揺らいでも、安らげる場所は私であって欲しいと祈っていた。
でも、あなたは安らぎよりも、トキメキを…
甘えることよりも、大人になることを選んだ。
どこで狂ってしまったのだろう。
どこから壊れてしまったのだろう。
あの時、私から甘えていたら、何かが変わっていただろうか?
あの時、私が素直に泣いていれば、私を選んでくれていただろうか?
虚しい事だと分かっていても、胸を占めるのは後悔ばかりだった。
やがて小さく息を吐くと、あなたは何かを決意したように顔を上げた。
私を振り返り、小さく深呼吸してから唇を動かす。
……言わないで…
私はその唇を最後のキスで塞いだ。
冷めてしまった私への想いのような、とても冷たい唇。
私の知っている唇が紡ぐのは、優しく甘い愛の言葉だけ。
大好きだったあなたの唇から別れの言葉は聞きたくない。
幸せな記憶を哀しみで染めたくないから、最後の言葉は私が言うわ。
私の愛したあなたは、もう何処にもいない。
幸せだった時間も、優しかったあなたも、甘かった唇も、もう何処にもない。
ここに居るのは、私が愛した人の残像だけなのね。
だから…この恋は私から終わりにする。
ねぇ、大好きだったよ。
沢山の思い出をありがとう。
沢山の幸せをありがとう。
どうかどうか…幸せになって…。
さようなら。
ねえ? 最後の私はあなたの瞳にどんな風に映っていた?
最後まで、大人の女を演じられた?
私、一番綺麗な笑顔で笑っていられたかしら?
+++ Fin +++
お題【月光】
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